完璧すぎる令嬢は婚約破棄されましたが、白い結婚のはずが溺愛対象になっていました

鷹 綾

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第26話 揺らぐ均衡

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第26話 揺らぐ均衡

 それは、些細なきっかけだった。

 触れない約束が破られたわけでも、
 言葉にされない感情が爆発したわけでもない。

 ただ――
 “均衡”が、揺れただけだ。

 朝の報告会。

 執務室に集められたのは、セーブル、ヴェルティア、そして数名の側近たちだった。

「東側領地で、反発が出ています」

 報告役の声は、落ち着いているが内容は重い。

「新しい徴税制度に対し、一部の有力商会が不満を表明。
 ……扇動の動きも見られます」

 セーブルは、即座に理解した。

「王都か」

「はい。
 背後関係は、ほぼ確実に――」

 名前は出なかった。
 だが、誰もが察している。

 元婚約者アルベリク派。
 あるいは、彼に連なる勢力。

 ヴェルティアは、静かに報告を聞きながら、胸の奥がわずかに冷えるのを感じていた。

(……来たわね)

 過去からの干渉は、終わっていなかった。

「……私が動きます」

 セーブルが、低く言った。

「直接、領地へ向かう」

 側近が驚きの声を上げる。

「公爵自ら、ですか?」

「必要だ」

 即断だった。

 そして。

「……ヴェルティア」

 彼女の名を呼ぶ声が、いつもより低い。

「君は、屋敷に残れ」

 一瞬、空気が張り詰めた。

(……残れ)

 それは、合理的な判断だ。
 危険がある以上、正しい。

 だが――。

「……それは、命令ですか」

 ヴェルティアの声は、静かだった。

 セーブルは、わずかに言葉に詰まる。

「……いいや」

 短い否定。

「提案だ」

 その違いに、彼女は気づいた。

「なら、断ることもできますね」

 側近たちが、息を呑む。

 セーブルは、ヴェルティアを見つめた。

「……理由を聞かせてくれ」

「これは、私の過去から派生した問題です」

 逃げない視線。

「あなた一人に背負わせるのは、対等ではありません」

 均衡が、揺れる。

 触れない約束とは、
 身体的な距離だけではない。

 “責任の距離”も、含まれている。

「……危険だ」

 セーブルの声が、わずかに荒れる。

「承知しています」

「君が傷つく可能性がある」

 その言葉に、ヴェルティアの胸が鳴った。

(……出た)

 初めて、彼の感情が、理屈を越えて表に出た。

「……それでも」

 ヴェルティアは、一歩踏み出す。

「私は、あなたの後ろにいる存在ではありません」

 触れない距離を、保ったまま。

「隣に、立つと決めました」

 執務室に、沈黙が落ちる。

 セーブルは、深く息を吸った。

(……揺らいでいる)

 均衡が。

 理性と感情の間で。

「……分かった」

 低く、しかしはっきりと。

「同行を許可する」

 側近が、驚きの表情を浮かべる。

「ただし、条件がある」

 セーブルは、ヴェルティアを見た。

「私の判断に、従え」

「……はい」

 即答。

 だが、その“はい”は、従属ではない。

 共同戦線の了承だった。

 出発は、翌朝。

 馬車の中、二人は向かい合って座っていた。

 距離は、近い。

 だが、触れない。

「……後悔は?」

 セーブルが、低く尋ねる。

「ありません」

 ヴェルティアは、迷わず答えた。

「揺らぐ均衡は、悪いことではありません」

 彼は、視線を逸らさずに聞く。

「動いている証拠です」

 その言葉に、セーブルは小さく息を吐いた。

「……君は、怖くないのか」

「怖いです」

 正直な答え。

「でも……」

 一拍置いて、続ける。

「一人でいるより、
 あなたと揺れる方が、ずっとましです」

 その瞬間。

 セーブルの表情が、はっきりと変わった。

 抑制が、崩れかける。

(……危険だ)

 彼女が、あまりにも近い。

 触れない距離が、
 感情を刺激する。

 だが、彼は動かなかった。

 触れない。

 約束だからではない。

 “今は、まだ”だと、二人とも分かっているからだ。

 馬車が、領地へと向かって走る。

 外には、不穏な気配。

 内には、揺らぐ均衡。

 だが――。

 それは、崩壊の前兆ではない。

 均衡が揺れるということは、
 固定された関係が、
 次の段階へ進もうとしている証拠だ。

 触れない約束は、
 試されている。

 そして。

 次に試されるのは――
 感情を抑えきれるかどうか
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