26 / 40
第26話 揺らぐ均衡
しおりを挟む
第26話 揺らぐ均衡
それは、些細なきっかけだった。
触れない約束が破られたわけでも、
言葉にされない感情が爆発したわけでもない。
ただ――
“均衡”が、揺れただけだ。
朝の報告会。
執務室に集められたのは、セーブル、ヴェルティア、そして数名の側近たちだった。
「東側領地で、反発が出ています」
報告役の声は、落ち着いているが内容は重い。
「新しい徴税制度に対し、一部の有力商会が不満を表明。
……扇動の動きも見られます」
セーブルは、即座に理解した。
「王都か」
「はい。
背後関係は、ほぼ確実に――」
名前は出なかった。
だが、誰もが察している。
元婚約者アルベリク派。
あるいは、彼に連なる勢力。
ヴェルティアは、静かに報告を聞きながら、胸の奥がわずかに冷えるのを感じていた。
(……来たわね)
過去からの干渉は、終わっていなかった。
「……私が動きます」
セーブルが、低く言った。
「直接、領地へ向かう」
側近が驚きの声を上げる。
「公爵自ら、ですか?」
「必要だ」
即断だった。
そして。
「……ヴェルティア」
彼女の名を呼ぶ声が、いつもより低い。
「君は、屋敷に残れ」
一瞬、空気が張り詰めた。
(……残れ)
それは、合理的な判断だ。
危険がある以上、正しい。
だが――。
「……それは、命令ですか」
ヴェルティアの声は、静かだった。
セーブルは、わずかに言葉に詰まる。
「……いいや」
短い否定。
「提案だ」
その違いに、彼女は気づいた。
「なら、断ることもできますね」
側近たちが、息を呑む。
セーブルは、ヴェルティアを見つめた。
「……理由を聞かせてくれ」
「これは、私の過去から派生した問題です」
逃げない視線。
「あなた一人に背負わせるのは、対等ではありません」
均衡が、揺れる。
触れない約束とは、
身体的な距離だけではない。
“責任の距離”も、含まれている。
「……危険だ」
セーブルの声が、わずかに荒れる。
「承知しています」
「君が傷つく可能性がある」
その言葉に、ヴェルティアの胸が鳴った。
(……出た)
初めて、彼の感情が、理屈を越えて表に出た。
「……それでも」
ヴェルティアは、一歩踏み出す。
「私は、あなたの後ろにいる存在ではありません」
触れない距離を、保ったまま。
「隣に、立つと決めました」
執務室に、沈黙が落ちる。
セーブルは、深く息を吸った。
(……揺らいでいる)
均衡が。
理性と感情の間で。
「……分かった」
低く、しかしはっきりと。
「同行を許可する」
側近が、驚きの表情を浮かべる。
「ただし、条件がある」
セーブルは、ヴェルティアを見た。
「私の判断に、従え」
「……はい」
即答。
だが、その“はい”は、従属ではない。
共同戦線の了承だった。
出発は、翌朝。
馬車の中、二人は向かい合って座っていた。
距離は、近い。
だが、触れない。
「……後悔は?」
セーブルが、低く尋ねる。
「ありません」
ヴェルティアは、迷わず答えた。
「揺らぐ均衡は、悪いことではありません」
彼は、視線を逸らさずに聞く。
「動いている証拠です」
その言葉に、セーブルは小さく息を吐いた。
「……君は、怖くないのか」
「怖いです」
正直な答え。
「でも……」
一拍置いて、続ける。
「一人でいるより、
あなたと揺れる方が、ずっとましです」
その瞬間。
セーブルの表情が、はっきりと変わった。
抑制が、崩れかける。
(……危険だ)
彼女が、あまりにも近い。
触れない距離が、
感情を刺激する。
だが、彼は動かなかった。
触れない。
約束だからではない。
“今は、まだ”だと、二人とも分かっているからだ。
馬車が、領地へと向かって走る。
外には、不穏な気配。
内には、揺らぐ均衡。
だが――。
それは、崩壊の前兆ではない。
均衡が揺れるということは、
固定された関係が、
次の段階へ進もうとしている証拠だ。
触れない約束は、
試されている。
そして。
次に試されるのは――
感情を抑えきれるかどうか
それは、些細なきっかけだった。
触れない約束が破られたわけでも、
言葉にされない感情が爆発したわけでもない。
ただ――
“均衡”が、揺れただけだ。
朝の報告会。
執務室に集められたのは、セーブル、ヴェルティア、そして数名の側近たちだった。
「東側領地で、反発が出ています」
報告役の声は、落ち着いているが内容は重い。
「新しい徴税制度に対し、一部の有力商会が不満を表明。
……扇動の動きも見られます」
セーブルは、即座に理解した。
「王都か」
「はい。
背後関係は、ほぼ確実に――」
名前は出なかった。
だが、誰もが察している。
元婚約者アルベリク派。
あるいは、彼に連なる勢力。
ヴェルティアは、静かに報告を聞きながら、胸の奥がわずかに冷えるのを感じていた。
(……来たわね)
過去からの干渉は、終わっていなかった。
「……私が動きます」
セーブルが、低く言った。
「直接、領地へ向かう」
側近が驚きの声を上げる。
「公爵自ら、ですか?」
「必要だ」
即断だった。
そして。
「……ヴェルティア」
彼女の名を呼ぶ声が、いつもより低い。
「君は、屋敷に残れ」
一瞬、空気が張り詰めた。
(……残れ)
それは、合理的な判断だ。
危険がある以上、正しい。
だが――。
「……それは、命令ですか」
ヴェルティアの声は、静かだった。
セーブルは、わずかに言葉に詰まる。
「……いいや」
短い否定。
「提案だ」
その違いに、彼女は気づいた。
「なら、断ることもできますね」
側近たちが、息を呑む。
セーブルは、ヴェルティアを見つめた。
「……理由を聞かせてくれ」
「これは、私の過去から派生した問題です」
逃げない視線。
「あなた一人に背負わせるのは、対等ではありません」
均衡が、揺れる。
触れない約束とは、
身体的な距離だけではない。
“責任の距離”も、含まれている。
「……危険だ」
セーブルの声が、わずかに荒れる。
「承知しています」
「君が傷つく可能性がある」
その言葉に、ヴェルティアの胸が鳴った。
(……出た)
初めて、彼の感情が、理屈を越えて表に出た。
「……それでも」
ヴェルティアは、一歩踏み出す。
「私は、あなたの後ろにいる存在ではありません」
触れない距離を、保ったまま。
「隣に、立つと決めました」
執務室に、沈黙が落ちる。
セーブルは、深く息を吸った。
(……揺らいでいる)
均衡が。
理性と感情の間で。
「……分かった」
低く、しかしはっきりと。
「同行を許可する」
側近が、驚きの表情を浮かべる。
「ただし、条件がある」
セーブルは、ヴェルティアを見た。
「私の判断に、従え」
「……はい」
即答。
だが、その“はい”は、従属ではない。
共同戦線の了承だった。
出発は、翌朝。
馬車の中、二人は向かい合って座っていた。
距離は、近い。
だが、触れない。
「……後悔は?」
セーブルが、低く尋ねる。
「ありません」
ヴェルティアは、迷わず答えた。
「揺らぐ均衡は、悪いことではありません」
彼は、視線を逸らさずに聞く。
「動いている証拠です」
その言葉に、セーブルは小さく息を吐いた。
「……君は、怖くないのか」
「怖いです」
正直な答え。
「でも……」
一拍置いて、続ける。
「一人でいるより、
あなたと揺れる方が、ずっとましです」
その瞬間。
セーブルの表情が、はっきりと変わった。
抑制が、崩れかける。
(……危険だ)
彼女が、あまりにも近い。
触れない距離が、
感情を刺激する。
だが、彼は動かなかった。
触れない。
約束だからではない。
“今は、まだ”だと、二人とも分かっているからだ。
馬車が、領地へと向かって走る。
外には、不穏な気配。
内には、揺らぐ均衡。
だが――。
それは、崩壊の前兆ではない。
均衡が揺れるということは、
固定された関係が、
次の段階へ進もうとしている証拠だ。
触れない約束は、
試されている。
そして。
次に試されるのは――
感情を抑えきれるかどうか
10
あなたにおすすめの小説
「『お前に書く手紙などない』と言った婚約者へ、私は7年間手紙を書き続けた——ただし、届け先は別の人でした」
歩人
ファンタジー
辺境伯令嬢リゼットは、婚約者に7年間手紙を書き続けた。返事は一度もなかった。
「お前に書く手紙などない。顔も覚えていない」——婚約破棄。しかしリゼットは
泣かなかった。手紙の本当の届け先は、最初から別にあったから。前世の情報分析
能力で辺境の異変を読み解き、暗号として織り込んだ7年分の手紙。それを受け取り
続けていたのは第一王子。リゼットは誰にも知られず、王国を守っていた。
婚約破棄の翌朝、王子からの手紙が届く。「7年間、ありがとう。迎えに行く」
夫に捨てられた私は冷酷公爵と再婚しました
香木陽灯
恋愛
伯爵夫人のマリアーヌは「夜を共に過ごす気にならない」と突然夫に告げられ、わずか五ヶ月で離縁することとなる。
これまで女癖の悪い夫に何度も不倫されても、役立たずと貶されても、文句ひとつ言わず彼を支えてきた。だがその苦労は報われることはなかった。
実家に帰っても父から不当な扱いを受けるマリアーヌ。気分転換に繰り出した街で倒れていた貴族の男性と出会い、彼を助ける。
「離縁したばかり? それは相手の見る目がなかっただけだ。良かったじゃないか。君はもう自由だ」
「自由……」
もう自由なのだとマリアーヌが気づいた矢先、両親と元夫の策略によって再婚を強いられる。相手は婚約者が逃げ出すことで有名な冷酷公爵だった。
ところが冷酷公爵と会ってみると、以前助けた男性だったのだ。
再婚を受け入れたマリアーヌは、公爵と少しずつ仲良くなっていく。
ところが公爵は王命を受け内密に仕事をしているようで……。
一方の元夫は、財政難に陥っていた。
「頼む、助けてくれ! お前は俺に恩があるだろう?」
元夫の悲痛な叫びに、マリアーヌはにっこりと微笑んだ。
「なぜかしら? 貴方を助ける気になりませんの」
※ふんわり設定です
『婚約破棄されたので北の港を発展させたら
ふわふわ
恋愛
王立学園の卒業舞踏会。
公爵令嬢アリアベルは、王太子カルディオンから突然の婚約破棄を告げられる。
「真実の愛を見つけた」
そう言って王太子が選んだのは、涙を流す義妹ヴィオレッタだった。
王都から追い出され、すべてを失った――
はずだった。
アリアベルが向かったのは、王国の北にある小さな港町。
しかし彼女の手腕によって港は急速に発展し、やがて王国最大の交易港へと変わっていく。
一方その頃、王太子と義妹は王都で好き勝手に振る舞っていたが――
やがてすべてが崩れ始める。
王太子は国外追放。
義妹は社交界から追放され修道院送り。
そして気づいた頃には、北の港こそが王国の中心になっていた。
「私はもう誰のものでもありません」
これは、婚約破棄された令嬢が自分の人生を取り戻し、
王国の未来を変えていく物語。
そして――
彼女の隣には、いつしか新しい王太子の姿があった。
婚約破棄から始まる、逆転ざまぁロマンス。✨
【完結】離縁されたので実家には戻らずに自由にさせて貰います!
山葵
恋愛
「キリア、俺と離縁してくれ。ライラの御腹には俺の子が居る。産まれてくる子を庶子としたくない。お前に子供が授からなかったのも悪いのだ。慰謝料は払うから、離婚届にサインをして出て行ってくれ!」
夫のカイロは、自分の横にライラさんを座らせ、向かいに座る私に離婚届を差し出した。
婚約破棄の慰謝料として『王国の半分』を要求したら、本当にくれたので、今日から私があなたの女王様です
唯崎りいち
恋愛
婚約破棄の慰謝料に
「王国の半分」を要求したら、
ゴミみたいな土地を押し付けられた。
ならば――関所を作りまくって
王子を経済的に詰ませることにした。
支配目当ての女王による、
愛なき(?)完全勝利の記録。
白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?
夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」
教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。
ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。
王命による“形式結婚”。
夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。
だから、はい、離婚。勝手に。
白い結婚だったので、勝手に離婚しました。
何か問題あります?
お好きになさって下さい、私は一切気にしませんわ
Kouei
恋愛
婚約者のクレマンド様は、いつも私との約束を破ってばかり。
理由は決まって『従妹ライラ様との用事』
誕生日会にすら来なかった彼に、私はついに告げた。
「どうぞ、私以外のご令嬢をエスコートするなり、お出かけするなり、関係を持つなり、お好きになさって下さい。私は一切気にしませんわ」
二人の想いは、重なり合えるのだろうか ……
※他のサイトにも公開しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる