引きこもり聖女は祈らない

鷹 綾

文字の大きさ
3 / 39

第3話 姿なき聖女への苛立ち

しおりを挟む
第3話 姿なき聖女への苛立ち

 王城の執務室は、昼下がりだというのに重苦しい空気に満ちていた。

 大きな机の前に立つ王太子リチャードは、積み上げられた報告書に目を通しながら、次第に眉間のしわを深くしていく。
 紙に記された内容は、いずれも同じ結論に辿り着いていた。

 ――西の街道、封鎖判断は適切。被害なし。

 それ自体は、評価されるべき成果だ。
 だが、リチャードの胸に湧き上がるのは、達成感でも安堵でもなかった。

 「……結局、誰の手柄なんだ?」

 低く吐き捨てるような独り言に、側近たちが一瞬、言葉を失う。

 「王城の判断が迅速だったからこそ、です」

 慎重に選ばれた言葉で、宰相が答える。
 リチャードは椅子に腰掛け、腕を組んだ。

 「判断、判断……。そればかりだな」

 視線は、窓の外へと向けられる。
 晴れ渡る空。穏やかな天候。

 ――ああ、確かに平和だ。
 だが、それが当たり前であるはずがないことを、彼は知っている。

 聖女。
 この国には、聖女がいる。

 にもかかわらず。

 「姿を見せない聖女など、存在する意味があるのか?」

 その言葉に、側近の一人が思わず息を呑んだ。

 リチャードは構わず続ける。

 「民は奇跡を求める。
 目に見える救いを、分かりやすい希望をだ」

 「だが、ポーラはどうだ。
 引きこもり、顔も見せず、声も上げない」

 「祈っているのかどうかすら、分からない」

 机を指先で叩く、苛立ちを隠さない仕草。

 「それで聖女を名乗るなど……」

 言葉の続きを、あえて口にはしなかったが、意味は明白だった。

 無価値。
 役に立たない。

 それが、リチャードの評価だった。

 ◇

 一方、スター公爵家の奥深く。

 分厚い扉の向こうで、ポーラは静かに過ごしていた。

 今日も、誰とも会っていない。
 扉に紙を貼り、紙が回収され、それで終わる。

 外で何が起きているのか、詳しいことは分からない。
 ただ、胸の奥のざわめきが収まっていることだけは感じていた。

 ――大丈夫。

 そう、何度も自分に言い聞かせる。

 だが、完全に安心できるわけではない。
 ときおり、理由の分からない息苦しさが、胸を締めつける。

 それは、遠くから向けられる感情のようでもあった。

 苛立ち。
 不満。
 理解されないという感覚。

 ポーラは毛布を握りしめ、ベッドの端に身を縮めた。

 自分は、間違っているのだろうか。

 聖女でありながら、外に出ない。
 人前に立たない。

 それは、やはり許されないことなのだろうか。

 けれど、出られない。
 どうしても、出られない。

 それを説明する言葉を、ポーラは持っていなかった。

 ◇

 王城では、さらに苛立ちが募っていた。

 「民の間でも、囁かれ始めています」

 側近の報告に、リチャードは顔を上げる。

 「何をだ?」

 「聖女が姿を見せないことに、不安を覚える声が……」

 リチャードは、ふっと鼻で笑った。

 「当然だな。
 姿も見せず、奇跡も示さない聖女など、信用できるはずがない」

 「だが、天候は安定しています」

 別の側近が控えめに口を挟む。

 「だからこそ、だ」

 リチャードは即座に言い返した。

 「何も起きていないからといって、聖女の功績だと決めつけるのは短絡的だ」

 「本当に力があるなら、堂々と示せばいい」

 「民の前に立ち、祈り、奇跡を起こす。
 それができないのなら――」

 言葉が、鋭くなる。

 「その座にふさわしくない」

 沈黙が落ちる。

 誰も、反論できなかった。

 なぜなら、リチャードの考えは、王国の常識そのものだったからだ。

 見えない善意より、
 見える成果。

 静かな守護より、
 派手な奇跡。

 それを体現できない聖女は、
 不要――そう、考えられていた。

 ◇

 その夜。

 ポーラは、机に向かいながら、なぜか胸が落ち着かないことに気づいていた。

 外は静かなはずなのに、心の中がざわついている。

 まるで、誰かが遠くから、強い視線を向けているような。

 ポーラは、そっと紙に触れた。

 今日は、特に書くことはない。
 異変の予感もない。

 それなのに、不安だけが残る。

 ――何か、変わろうとしている。

 そんな、漠然とした感覚。

 ポーラは紙を折らず、ただ机の上に置いたまま、ベッドに戻った。

 毛布にくるまり、目を閉じる。

 祈りの言葉は、浮かばない。
 ただ、生きているだけ。

 それでいいはずなのに。

 王太子リチャードの苛立ちは、
 まだ形を持たないまま、
 確実に、彼女へと向かい始めていた。

 そしてその感情が、
 いずれ大きな決断へと変わることを、
 この時のポーラは、まだ知らない。

 静かな夜が、更けていった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

将来を誓い合った王子様は聖女と結ばれるそうです

きぬがやあきら
恋愛
「聖女になれなかったなりそこない。こんなところまで追って来るとはな。そんなに俺を忘れられないなら、一度くらい抱いてやろうか?」 5歳のオリヴィエは、神殿で出会ったアルディアの皇太子、ルーカスと恋に落ちた。アルディア王国では、皇太子が代々聖女を妻に迎える慣わしだ。しかし、13歳の選別式を迎えたオリヴィエは、聖女を落選してしまった。 その上盲目の知恵者オルガノに、若くして命を落とすと予言されたオリヴィエは、せめてルーカスの傍にいたいと、ルーカスが団長を務める聖騎士への道へと足を踏み入れる。しかし、やっとの思いで再開したルーカスは、昔の約束を忘れてしまったのではと錯覚するほど冷たい対応で――?

大好きな旦那様はどうやら聖女様のことがお好きなようです

古堂すいう
恋愛
祖父から溺愛され我儘に育った公爵令嬢セレーネは、婚約者である皇子から衆目の中、突如婚約破棄を言い渡される。 皇子の横にはセレーネが嫌う男爵令嬢の姿があった。 他人から冷たい視線を浴びたことなどないセレーネに戸惑うばかり、そんな彼女に所有財産没収の命が下されようとしたその時。 救いの手を差し伸べたのは神官長──エルゲンだった。 セレーネは、エルゲンと婚姻を結んだ当初「穏やかで誰にでも微笑むつまらない人」だという印象をもっていたけれど、共に生活する内に徐々に彼の人柄に惹かれていく。 だけれど彼には想い人が出来てしまったようで──…。 「今度はわたくしが恩を返すべきなんですわ!」 今まで自分のことばかりだったセレーネは、初めて人のために何かしたいと思い立ち、大好きな旦那様のために奮闘するのだが──…。

旦那様、離婚しましょう ~私は冒険者になるのでご心配なくっ~

榎夜
恋愛
私と旦那様は白い結婚だ。体の関係どころか手を繋ぐ事もしたことがない。 ある日突然、旦那の子供を身籠ったという女性に離婚を要求された。 別に構いませんが......じゃあ、冒険者にでもなろうかしら? ー全50話ー

【完結】薔薇の花をあなたに贈ります

彩華(あやはな)
恋愛
レティシアは階段から落ちた。 目を覚ますと、何かがおかしかった。それは婚約者である殿下を覚えていなかったのだ。 ロベルトは、レティシアとの婚約解消になり、聖女ミランダとの婚約することになる。 たが、それに違和感を抱くようになる。 ロベルト殿下視点がおもになります。 前作を多少引きずってはいますが、今回は暗くはないです!! 11話完結です。 この度改編した(ストーリーは変わらず)をなろうさんに投稿しました。

【完結】裏切られたあなたにもう二度と恋はしない

たろ
恋愛
優しい王子様。あなたに恋をした。 あなたに相応しくあろうと努力をした。 あなたの婚約者に選ばれてわたしは幸せでした。 なのにあなたは美しい聖女様に恋をした。 そして聖女様はわたしを嵌めた。 わたしは地下牢に入れられて殿下の命令で騎士達に犯されて死んでしまう。 大好きだったお父様にも見捨てられ、愛する殿下にも嫌われ酷い仕打ちを受けて身と心もボロボロになり死んでいった。 その時の記憶を忘れてわたしは生まれ変わった。 知らずにわたしはまた王子様に恋をする。

断罪される前に市井で暮らそうとした悪役令嬢は幸せに酔いしれる

葉柚
恋愛
侯爵令嬢であるアマリアは、男爵家の養女であるアンナライラに婚約者のユースフェリア王子を盗られそうになる。 アンナライラに呪いをかけたのはアマリアだと言いアマリアを追い詰める。 アマリアは断罪される前に市井に溶け込み侯爵令嬢ではなく一市民として生きようとする。 市井ではどこかの王子が呪いにより猫になってしまったという噂がまことしやかに流れており……。

役立たずと捨てられた万能建築士、隣国で「聖域」を造って無双する。今さら復興のために戻れ? ご自分たちで瓦礫でも積んでいればよろしいのでは?

しょくぱん
恋愛
「お前の魔法は石を積むだけの土木作業だ」と婚約破棄されたので、城を支えていた『構造維持結界』をすべて解除して出て行きますね。今さら「城が崩れる!」と泣きつかれても、私は隣国で氷結の皇帝陛下と「世界最高の聖域」を造っていますので、一切知りません。 王国唯一の建築魔導師アニエスは、その地味な見た目と能力を理由に、王太子シグムンドから婚約破棄と国外追放を言い渡される。 彼の隣には、派手な光魔法を使う自称聖女の姿があった。 「お前の代わりなどいくらでもいる。さっさと出て行け!」 「……分かりました。では、城にかけていた『自動修復』『耐震』『空調』の全術式を解約しますね」 アニエスが去った直後、王城は音を立てて傾き、噴水は泥水に変わり、王都のインフラは崩壊した。 一方、アニエスは隣国の荒野で、呪われた皇帝レオンハルトと出会う。彼女が何気なく造った一夜の宿は、呪いを浄化するほどの「聖域」だった。 「君は女神か? どうか私の国を救ってほしい」 「喜んで。ついでに世界一快適な住居も造っていいですか?」 隣国がアニエスの力で黄金の国へと発展する一方、瓦礫の山となった母国からは「戻ってきてくれ」と悲痛な手紙が届く。 だが、アニエスは冷ややかに言い放つ。 「お断りします。契約外ですので、ご自分で支えていればよろしいのでは?」 これは、捨てられた万能建築士が隣国で溺愛され、幸せを掴む物語。 そして、彼女を捨てた者たちが、物理的にも社会的にも「崩壊」し、最後には彼女が架ける橋の『礎石』として永遠に踏まれ続けるまでの、壮絶な因果応報の記録。

氷の公爵は、捨てられた私を離さない

空月そらら
恋愛
「魔力がないから不要だ」――長年尽くした王太子にそう告げられ、侯爵令嬢アリアは理不尽に婚約破棄された。 すべてを失い、社交界からも追放同然となった彼女を拾ったのは、「氷の公爵」と畏れられる辺境伯レオルド。 彼は戦の呪いに蝕まれ、常に激痛に苦しんでいたが、偶然触れたアリアにだけ痛みが和らぐことに気づく。 アリアには魔力とは違う、稀有な『浄化の力』が秘められていたのだ。 「君の力が、私には必要だ」 冷徹なはずの公爵は、アリアの価値を見抜き、傍に置くことを決める。 彼の元で力を発揮し、呪いを癒やしていくアリア。 レオルドはいつしか彼女に深く執着し、不器用に溺愛し始める。「お前を誰にも渡さない」と。 一方、アリアを捨てた王太子は聖女に振り回され、国を傾かせ、初めて自分が手放したものの大きさに気づき始める。 「アリア、戻ってきてくれ!」と見苦しく縋る元婚約者に、アリアは毅然と告げる。「もう遅いのです」と。 これは、捨てられた令嬢が、冷徹な公爵の唯一無二の存在となり、真実の愛と幸せを掴むまでの逆転溺愛ストーリー。

処理中です...