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第3話 姿なき聖女への苛立ち
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第3話 姿なき聖女への苛立ち
王城の執務室は、昼下がりだというのに重苦しい空気に満ちていた。
大きな机の前に立つ王太子リチャードは、積み上げられた報告書に目を通しながら、次第に眉間のしわを深くしていく。
紙に記された内容は、いずれも同じ結論に辿り着いていた。
――西の街道、封鎖判断は適切。被害なし。
それ自体は、評価されるべき成果だ。
だが、リチャードの胸に湧き上がるのは、達成感でも安堵でもなかった。
「……結局、誰の手柄なんだ?」
低く吐き捨てるような独り言に、側近たちが一瞬、言葉を失う。
「王城の判断が迅速だったからこそ、です」
慎重に選ばれた言葉で、宰相が答える。
リチャードは椅子に腰掛け、腕を組んだ。
「判断、判断……。そればかりだな」
視線は、窓の外へと向けられる。
晴れ渡る空。穏やかな天候。
――ああ、確かに平和だ。
だが、それが当たり前であるはずがないことを、彼は知っている。
聖女。
この国には、聖女がいる。
にもかかわらず。
「姿を見せない聖女など、存在する意味があるのか?」
その言葉に、側近の一人が思わず息を呑んだ。
リチャードは構わず続ける。
「民は奇跡を求める。
目に見える救いを、分かりやすい希望をだ」
「だが、ポーラはどうだ。
引きこもり、顔も見せず、声も上げない」
「祈っているのかどうかすら、分からない」
机を指先で叩く、苛立ちを隠さない仕草。
「それで聖女を名乗るなど……」
言葉の続きを、あえて口にはしなかったが、意味は明白だった。
無価値。
役に立たない。
それが、リチャードの評価だった。
◇
一方、スター公爵家の奥深く。
分厚い扉の向こうで、ポーラは静かに過ごしていた。
今日も、誰とも会っていない。
扉に紙を貼り、紙が回収され、それで終わる。
外で何が起きているのか、詳しいことは分からない。
ただ、胸の奥のざわめきが収まっていることだけは感じていた。
――大丈夫。
そう、何度も自分に言い聞かせる。
だが、完全に安心できるわけではない。
ときおり、理由の分からない息苦しさが、胸を締めつける。
それは、遠くから向けられる感情のようでもあった。
苛立ち。
不満。
理解されないという感覚。
ポーラは毛布を握りしめ、ベッドの端に身を縮めた。
自分は、間違っているのだろうか。
聖女でありながら、外に出ない。
人前に立たない。
それは、やはり許されないことなのだろうか。
けれど、出られない。
どうしても、出られない。
それを説明する言葉を、ポーラは持っていなかった。
◇
王城では、さらに苛立ちが募っていた。
「民の間でも、囁かれ始めています」
側近の報告に、リチャードは顔を上げる。
「何をだ?」
「聖女が姿を見せないことに、不安を覚える声が……」
リチャードは、ふっと鼻で笑った。
「当然だな。
姿も見せず、奇跡も示さない聖女など、信用できるはずがない」
「だが、天候は安定しています」
別の側近が控えめに口を挟む。
「だからこそ、だ」
リチャードは即座に言い返した。
「何も起きていないからといって、聖女の功績だと決めつけるのは短絡的だ」
「本当に力があるなら、堂々と示せばいい」
「民の前に立ち、祈り、奇跡を起こす。
それができないのなら――」
言葉が、鋭くなる。
「その座にふさわしくない」
沈黙が落ちる。
誰も、反論できなかった。
なぜなら、リチャードの考えは、王国の常識そのものだったからだ。
見えない善意より、
見える成果。
静かな守護より、
派手な奇跡。
それを体現できない聖女は、
不要――そう、考えられていた。
◇
その夜。
ポーラは、机に向かいながら、なぜか胸が落ち着かないことに気づいていた。
外は静かなはずなのに、心の中がざわついている。
まるで、誰かが遠くから、強い視線を向けているような。
ポーラは、そっと紙に触れた。
今日は、特に書くことはない。
異変の予感もない。
それなのに、不安だけが残る。
――何か、変わろうとしている。
そんな、漠然とした感覚。
ポーラは紙を折らず、ただ机の上に置いたまま、ベッドに戻った。
毛布にくるまり、目を閉じる。
祈りの言葉は、浮かばない。
ただ、生きているだけ。
それでいいはずなのに。
王太子リチャードの苛立ちは、
まだ形を持たないまま、
確実に、彼女へと向かい始めていた。
そしてその感情が、
いずれ大きな決断へと変わることを、
この時のポーラは、まだ知らない。
静かな夜が、更けていった。
王城の執務室は、昼下がりだというのに重苦しい空気に満ちていた。
大きな机の前に立つ王太子リチャードは、積み上げられた報告書に目を通しながら、次第に眉間のしわを深くしていく。
紙に記された内容は、いずれも同じ結論に辿り着いていた。
――西の街道、封鎖判断は適切。被害なし。
それ自体は、評価されるべき成果だ。
だが、リチャードの胸に湧き上がるのは、達成感でも安堵でもなかった。
「……結局、誰の手柄なんだ?」
低く吐き捨てるような独り言に、側近たちが一瞬、言葉を失う。
「王城の判断が迅速だったからこそ、です」
慎重に選ばれた言葉で、宰相が答える。
リチャードは椅子に腰掛け、腕を組んだ。
「判断、判断……。そればかりだな」
視線は、窓の外へと向けられる。
晴れ渡る空。穏やかな天候。
――ああ、確かに平和だ。
だが、それが当たり前であるはずがないことを、彼は知っている。
聖女。
この国には、聖女がいる。
にもかかわらず。
「姿を見せない聖女など、存在する意味があるのか?」
その言葉に、側近の一人が思わず息を呑んだ。
リチャードは構わず続ける。
「民は奇跡を求める。
目に見える救いを、分かりやすい希望をだ」
「だが、ポーラはどうだ。
引きこもり、顔も見せず、声も上げない」
「祈っているのかどうかすら、分からない」
机を指先で叩く、苛立ちを隠さない仕草。
「それで聖女を名乗るなど……」
言葉の続きを、あえて口にはしなかったが、意味は明白だった。
無価値。
役に立たない。
それが、リチャードの評価だった。
◇
一方、スター公爵家の奥深く。
分厚い扉の向こうで、ポーラは静かに過ごしていた。
今日も、誰とも会っていない。
扉に紙を貼り、紙が回収され、それで終わる。
外で何が起きているのか、詳しいことは分からない。
ただ、胸の奥のざわめきが収まっていることだけは感じていた。
――大丈夫。
そう、何度も自分に言い聞かせる。
だが、完全に安心できるわけではない。
ときおり、理由の分からない息苦しさが、胸を締めつける。
それは、遠くから向けられる感情のようでもあった。
苛立ち。
不満。
理解されないという感覚。
ポーラは毛布を握りしめ、ベッドの端に身を縮めた。
自分は、間違っているのだろうか。
聖女でありながら、外に出ない。
人前に立たない。
それは、やはり許されないことなのだろうか。
けれど、出られない。
どうしても、出られない。
それを説明する言葉を、ポーラは持っていなかった。
◇
王城では、さらに苛立ちが募っていた。
「民の間でも、囁かれ始めています」
側近の報告に、リチャードは顔を上げる。
「何をだ?」
「聖女が姿を見せないことに、不安を覚える声が……」
リチャードは、ふっと鼻で笑った。
「当然だな。
姿も見せず、奇跡も示さない聖女など、信用できるはずがない」
「だが、天候は安定しています」
別の側近が控えめに口を挟む。
「だからこそ、だ」
リチャードは即座に言い返した。
「何も起きていないからといって、聖女の功績だと決めつけるのは短絡的だ」
「本当に力があるなら、堂々と示せばいい」
「民の前に立ち、祈り、奇跡を起こす。
それができないのなら――」
言葉が、鋭くなる。
「その座にふさわしくない」
沈黙が落ちる。
誰も、反論できなかった。
なぜなら、リチャードの考えは、王国の常識そのものだったからだ。
見えない善意より、
見える成果。
静かな守護より、
派手な奇跡。
それを体現できない聖女は、
不要――そう、考えられていた。
◇
その夜。
ポーラは、机に向かいながら、なぜか胸が落ち着かないことに気づいていた。
外は静かなはずなのに、心の中がざわついている。
まるで、誰かが遠くから、強い視線を向けているような。
ポーラは、そっと紙に触れた。
今日は、特に書くことはない。
異変の予感もない。
それなのに、不安だけが残る。
――何か、変わろうとしている。
そんな、漠然とした感覚。
ポーラは紙を折らず、ただ机の上に置いたまま、ベッドに戻った。
毛布にくるまり、目を閉じる。
祈りの言葉は、浮かばない。
ただ、生きているだけ。
それでいいはずなのに。
王太子リチャードの苛立ちは、
まだ形を持たないまま、
確実に、彼女へと向かい始めていた。
そしてその感情が、
いずれ大きな決断へと変わることを、
この時のポーラは、まだ知らない。
静かな夜が、更けていった。
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