2 / 39
第2話 扉に貼られた予告
しおりを挟む
第2話 扉に貼られた予告
その日も、ポーラ・スターは自室で目を覚ました。
正確には、眠っていたというより、浅いまどろみから意識が浮かび上がった、という感覚に近い。深く眠ることは、あまり得意ではなかった。夢と現実の境目が曖昧なまま、胸の奥に小さな不安を抱えて目を開ける。
天気は、分からない。
カーテンは今日も閉められたままで、外の光も音も遮断されている。だが、それでいい。外が晴れていようと、曇っていようと、嵐であろうと、ポーラの一日は変わらない。
彼女はベッドから起き上がり、ゆっくりと深呼吸をした。
――大丈夫。
誰もいない。
今日は、誰にも会わない。
それだけで、胸の鼓動は少し落ち着いた。
机に向かい、ペンを手に取る。
毎朝の習慣だ。
ポーラは聖女として、決められた儀式を行っていない。祭壇にも立たず、祈りの言葉を人前で唱えることもない。
それでも、彼女には「分かる」ことがあった。
理由を言葉にすることはできない。
ただ、胸の奥に、ひっかかる感覚が生じる。
まるで、空気がざらつくような。
どこかが、きしむような。
ポーラはしばらく目を閉じ、その感覚に意識を向けた。
……西。
方向が、浮かび上がる。
西の街道。
胸の奥が、きゅっと締まった。
「……」
声は出さない。
出せない。
だが、分かる。
これは、放っておいてはいけない類の予感だった。
ポーラは静かにペンを走らせた。
――西の街道で、がけ崩れが起きます。
文字は震えていなかった。
何度も同じことをしてきたからだ。
書き終えた紙を折り、立ち上がる。
扉の前にそっと置き、すぐに距離を取る。
これでいい。
あとは、自分の手を離れる。
ポーラは再びベッドに腰掛け、毛布を膝にかけた。
胸に残るざわつきが、ゆっくりと静まっていく。
◇
その紙を最初に見つけたのは、若い使用人だった。
「……また、予告か」
小さく呟き、紙を拾い上げる。
内容を読んだ瞬間、眉がひそめられた。
「西の街道……がけ崩れ?」
これまでにも、同じような紙は何度もあった。
内容は様々だったが、不思議なことに、外れることはほとんどない。
使用人は迷った末、上役に報告するため、その紙を持って屋敷内を急いだ。
「スター公爵様に、お伝えすべきでしょうか……」
「いや、まずは王城だ。判断は向こうがする」
そうして、紙は静かに、だが確実に上へと回された。
◇
その日の昼過ぎ、西の街道を通る予定だった商隊は、急遽足止めを食らっていた。
「理由は?」
「安全確認だそうだ。上からの命令でな」
商人たちは不満げだったが、王城からの通達となれば従わざるを得ない。
街道の一部が封鎖され、近づくことすら禁じられた。
「何も起きてないじゃないか」
「時間の無駄だ」
そんな声が上がる中、空がにわかに曇り始めた。
そして――
ごう、と低い音が響いた。
次の瞬間、街道脇の斜面が大きく崩れ落ちる。
土砂と岩が一気に流れ込み、道を完全に塞いだ。
もし、封鎖がなければ。
もし、商隊が予定通り通行していれば。
そう考えた者は少なくなかった。
被害は、ほとんど出なかった。
怪我人もいない。
「……助かった、のか?」
誰かが呟く。
だが、その原因について深く考える者はいなかった。
上からの判断が的確だった。
それだけで、事は片づけられる。
扉の向こうの聖女の存在は、誰の記憶にも残らない。
◇
夕方、ポーラの部屋の前で足音が止まった。
紙を回収する音。
そのあと、しばらくの沈黙。
「……今回も、当たったな」
小さな声が聞こえた。
「偶然、だろう」
「そうだな。いちいち気にしていたらきりがない」
会話はそれだけで終わり、足音は遠ざかっていった。
ポーラは、毛布を握りしめたまま、じっとしていた。
胸の奥にあった重たい感覚は、すでに消えている。
その代わり、いつもの静けさが戻っていた。
――防げた。
それだけは、分かる。
誰にも感謝されなくてもいい。
名前を呼ばれなくてもいい。
ただ、何かが起きる前に、止められた。
それで十分だった。
ポーラは、そっと息を吐いた。
今日も、部屋から出ていない。
誰とも話していない。
それでも、世界は、ほんの少しだけ無事だった。
彼女はそれを、誇りとも使命とも思わない。
ただ――当たり前のことをしただけだ。
そして翌朝もまた、ポーラは机に向かい、
胸の奥の感覚に耳を澄ませることになる。
それが、
引きこもり聖女ポーラ・スターの、静かな役目だった。
その日も、ポーラ・スターは自室で目を覚ました。
正確には、眠っていたというより、浅いまどろみから意識が浮かび上がった、という感覚に近い。深く眠ることは、あまり得意ではなかった。夢と現実の境目が曖昧なまま、胸の奥に小さな不安を抱えて目を開ける。
天気は、分からない。
カーテンは今日も閉められたままで、外の光も音も遮断されている。だが、それでいい。外が晴れていようと、曇っていようと、嵐であろうと、ポーラの一日は変わらない。
彼女はベッドから起き上がり、ゆっくりと深呼吸をした。
――大丈夫。
誰もいない。
今日は、誰にも会わない。
それだけで、胸の鼓動は少し落ち着いた。
机に向かい、ペンを手に取る。
毎朝の習慣だ。
ポーラは聖女として、決められた儀式を行っていない。祭壇にも立たず、祈りの言葉を人前で唱えることもない。
それでも、彼女には「分かる」ことがあった。
理由を言葉にすることはできない。
ただ、胸の奥に、ひっかかる感覚が生じる。
まるで、空気がざらつくような。
どこかが、きしむような。
ポーラはしばらく目を閉じ、その感覚に意識を向けた。
……西。
方向が、浮かび上がる。
西の街道。
胸の奥が、きゅっと締まった。
「……」
声は出さない。
出せない。
だが、分かる。
これは、放っておいてはいけない類の予感だった。
ポーラは静かにペンを走らせた。
――西の街道で、がけ崩れが起きます。
文字は震えていなかった。
何度も同じことをしてきたからだ。
書き終えた紙を折り、立ち上がる。
扉の前にそっと置き、すぐに距離を取る。
これでいい。
あとは、自分の手を離れる。
ポーラは再びベッドに腰掛け、毛布を膝にかけた。
胸に残るざわつきが、ゆっくりと静まっていく。
◇
その紙を最初に見つけたのは、若い使用人だった。
「……また、予告か」
小さく呟き、紙を拾い上げる。
内容を読んだ瞬間、眉がひそめられた。
「西の街道……がけ崩れ?」
これまでにも、同じような紙は何度もあった。
内容は様々だったが、不思議なことに、外れることはほとんどない。
使用人は迷った末、上役に報告するため、その紙を持って屋敷内を急いだ。
「スター公爵様に、お伝えすべきでしょうか……」
「いや、まずは王城だ。判断は向こうがする」
そうして、紙は静かに、だが確実に上へと回された。
◇
その日の昼過ぎ、西の街道を通る予定だった商隊は、急遽足止めを食らっていた。
「理由は?」
「安全確認だそうだ。上からの命令でな」
商人たちは不満げだったが、王城からの通達となれば従わざるを得ない。
街道の一部が封鎖され、近づくことすら禁じられた。
「何も起きてないじゃないか」
「時間の無駄だ」
そんな声が上がる中、空がにわかに曇り始めた。
そして――
ごう、と低い音が響いた。
次の瞬間、街道脇の斜面が大きく崩れ落ちる。
土砂と岩が一気に流れ込み、道を完全に塞いだ。
もし、封鎖がなければ。
もし、商隊が予定通り通行していれば。
そう考えた者は少なくなかった。
被害は、ほとんど出なかった。
怪我人もいない。
「……助かった、のか?」
誰かが呟く。
だが、その原因について深く考える者はいなかった。
上からの判断が的確だった。
それだけで、事は片づけられる。
扉の向こうの聖女の存在は、誰の記憶にも残らない。
◇
夕方、ポーラの部屋の前で足音が止まった。
紙を回収する音。
そのあと、しばらくの沈黙。
「……今回も、当たったな」
小さな声が聞こえた。
「偶然、だろう」
「そうだな。いちいち気にしていたらきりがない」
会話はそれだけで終わり、足音は遠ざかっていった。
ポーラは、毛布を握りしめたまま、じっとしていた。
胸の奥にあった重たい感覚は、すでに消えている。
その代わり、いつもの静けさが戻っていた。
――防げた。
それだけは、分かる。
誰にも感謝されなくてもいい。
名前を呼ばれなくてもいい。
ただ、何かが起きる前に、止められた。
それで十分だった。
ポーラは、そっと息を吐いた。
今日も、部屋から出ていない。
誰とも話していない。
それでも、世界は、ほんの少しだけ無事だった。
彼女はそれを、誇りとも使命とも思わない。
ただ――当たり前のことをしただけだ。
そして翌朝もまた、ポーラは机に向かい、
胸の奥の感覚に耳を澄ませることになる。
それが、
引きこもり聖女ポーラ・スターの、静かな役目だった。
23
あなたにおすすめの小説
存在感のない聖女が姿を消した後 [完]
風龍佳乃
恋愛
聖女であるディアターナは
永く仕えた国を捨てた。
何故って?
それは新たに現れた聖女が
ヒロインだったから。
ディアターナは
いつの日からか新聖女と比べられ
人々の心が離れていった事を悟った。
もう私の役目は終わったわ…
神託を受けたディアターナは
手紙を残して消えた。
残された国は天災に見舞われ
てしまった。
しかし聖女は戻る事はなかった。
ディアターナは西帝国にて
初代聖女のコリーアンナに出会い
運命を切り開いて
自分自身の幸せをみつけるのだった。
【完結】婚約破棄して泥を投げつけた元婚約者が「無能」と笑う中、光り輝く幼なじみの王子に掠め取られました。
ムラサメ
恋愛
「お前のような無能、我が家には不要だ。今すぐ消えろ!」
婚約者・エドワードのために身を粉にして尽くしてきたフィオナは、卒業パーティーの夜、雨の中に放り出される。
泥にまみれ、絶望に沈む彼女の前に現れたのは、かつての幼なじみであり、今や国中から愛される「黄金の王子」シリルだった。
「やっと見つけた。……ねえ、フィオナ。あんなゴミに君を傷つけさせるなんて、僕の落ち度だね」
汚れを厭わずフィオナを抱き上げたシリルは、彼女を自分の屋敷へと連れ帰る。
「自分には価値がない」と思い込むフィオナを、シリルは異常なまでの執着と甘い言葉で、とろけるように溺愛し始めて――。
一方で、フィオナを捨てたエドワードは気づいていなかった。
自分の手柄だと思っていた仕事も、領地の繁栄も、すべてはフィオナの才能によるものだったということに。
ボロボロになっていく元婚約者。美しく着飾られ、シリルの腕の中で幸せに微笑むフィオナ。
「僕の星を捨てた報い、たっぷりと受けてもらうよ?」
圧倒的な光を放つ幼なじみによる、最高に華やかな逆転劇がいま始まる!
【完】瓶底メガネの聖女様
らんか
恋愛
伯爵家の娘なのに、実母亡き後、後妻とその娘がやってきてから虐げられて育ったオリビア。
傷つけられ、生死の淵に立ったその時に、前世の記憶が蘇り、それと同時に魔力が発現した。
実家から事実上追い出された形で、家を出たオリビアは、偶然出会った人達の助けを借りて、今まで奪われ続けた、自分の大切なもの取り戻そうと奮闘する。
そんな自分にいつも寄り添ってくれるのは……。
ある日、私は聖女召喚で呼び出され悪魔と間違われた。〜引き取ってくれた冷血無慈悲公爵にペットとして可愛がられる〜
楠ノ木雫
恋愛
気が付いた時には見知らぬ場所にいた。周りには複数の女性達。そう、私達は《聖女》としてここに呼び出されたのだ。だけど、そこでいきなり私を悪魔だと剣を向ける者達がいて。殺されはしなかったけれど、聖女ではないと認識され、冷血公爵に押し付けられることになった。
私は断じて悪魔じゃありません! 見た目は真っ黒で丸い角もあるけれど、悪魔ではなく……
※他の投稿サイトにも掲載しています。
今更困りますわね、廃妃の私に戻ってきて欲しいだなんて
nanahi
恋愛
陰謀により廃妃となったカーラ。最愛の王と会えないまま、ランダム転送により異世界【日本国】へ流罪となる。ところがある日、元の世界から迎えの使者がやって来た。盾の神獣の加護を受けるカーラがいなくなったことで、王国の守りの力が弱まり、凶悪モンスターが大繁殖。王国を救うため、カーラに戻ってきてほしいと言うのだ。カーラは日本の便利グッズを手にチート能力でモンスターと戦うのだが…
逆行令嬢は聖女を辞退します
仲室日月奈
恋愛
――ああ、神様。もしも生まれ変わるなら、人並みの幸せを。
死ぬ間際に転生後の望みを心の中でつぶやき、倒れた後。目を開けると、三年前の自室にいました。しかも、今日は神殿から一行がやってきて「聖女としてお出迎え」する日ですって?
聖女なんてお断りです!
新しい聖女が優秀なら、いらない聖女の私は消えて竜人と暮らします
天宮有
恋愛
ラクード国の聖女シンシアは、新しい聖女が優秀だからという理由でリアス王子から婚約破棄を言い渡されてしまう。
ラクード国はシンシアに利用価値があると言い、今後は地下室で暮らすよう命令する。
提案を拒むと捕らえようとしてきて、シンシアの前に竜人ヨハンが現れる。
王家の行動に激怒したヨハンは、シンシアと一緒に他国で暮らすと宣言した。
優秀な聖女はシンシアの方で、リアス王子が愛している人を新しい聖女にした。
シンシアは地下で働かせるつもりだった王家は、真実を知る竜人を止めることができない。
聖女と竜が消えてから数日が経ち、リアス王子は後悔していた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる