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第2話 扉に貼られた予告
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第2話 扉に貼られた予告
その日も、ポーラ・スターは自室で目を覚ました。
正確には、眠っていたというより、浅いまどろみから意識が浮かび上がった、という感覚に近い。深く眠ることは、あまり得意ではなかった。夢と現実の境目が曖昧なまま、胸の奥に小さな不安を抱えて目を開ける。
天気は、分からない。
カーテンは今日も閉められたままで、外の光も音も遮断されている。だが、それでいい。外が晴れていようと、曇っていようと、嵐であろうと、ポーラの一日は変わらない。
彼女はベッドから起き上がり、ゆっくりと深呼吸をした。
――大丈夫。
誰もいない。
今日は、誰にも会わない。
それだけで、胸の鼓動は少し落ち着いた。
机に向かい、ペンを手に取る。
毎朝の習慣だ。
ポーラは聖女として、決められた儀式を行っていない。祭壇にも立たず、祈りの言葉を人前で唱えることもない。
それでも、彼女には「分かる」ことがあった。
理由を言葉にすることはできない。
ただ、胸の奥に、ひっかかる感覚が生じる。
まるで、空気がざらつくような。
どこかが、きしむような。
ポーラはしばらく目を閉じ、その感覚に意識を向けた。
……西。
方向が、浮かび上がる。
西の街道。
胸の奥が、きゅっと締まった。
「……」
声は出さない。
出せない。
だが、分かる。
これは、放っておいてはいけない類の予感だった。
ポーラは静かにペンを走らせた。
――西の街道で、がけ崩れが起きます。
文字は震えていなかった。
何度も同じことをしてきたからだ。
書き終えた紙を折り、立ち上がる。
扉の前にそっと置き、すぐに距離を取る。
これでいい。
あとは、自分の手を離れる。
ポーラは再びベッドに腰掛け、毛布を膝にかけた。
胸に残るざわつきが、ゆっくりと静まっていく。
◇
その紙を最初に見つけたのは、若い使用人だった。
「……また、予告か」
小さく呟き、紙を拾い上げる。
内容を読んだ瞬間、眉がひそめられた。
「西の街道……がけ崩れ?」
これまでにも、同じような紙は何度もあった。
内容は様々だったが、不思議なことに、外れることはほとんどない。
使用人は迷った末、上役に報告するため、その紙を持って屋敷内を急いだ。
「スター公爵様に、お伝えすべきでしょうか……」
「いや、まずは王城だ。判断は向こうがする」
そうして、紙は静かに、だが確実に上へと回された。
◇
その日の昼過ぎ、西の街道を通る予定だった商隊は、急遽足止めを食らっていた。
「理由は?」
「安全確認だそうだ。上からの命令でな」
商人たちは不満げだったが、王城からの通達となれば従わざるを得ない。
街道の一部が封鎖され、近づくことすら禁じられた。
「何も起きてないじゃないか」
「時間の無駄だ」
そんな声が上がる中、空がにわかに曇り始めた。
そして――
ごう、と低い音が響いた。
次の瞬間、街道脇の斜面が大きく崩れ落ちる。
土砂と岩が一気に流れ込み、道を完全に塞いだ。
もし、封鎖がなければ。
もし、商隊が予定通り通行していれば。
そう考えた者は少なくなかった。
被害は、ほとんど出なかった。
怪我人もいない。
「……助かった、のか?」
誰かが呟く。
だが、その原因について深く考える者はいなかった。
上からの判断が的確だった。
それだけで、事は片づけられる。
扉の向こうの聖女の存在は、誰の記憶にも残らない。
◇
夕方、ポーラの部屋の前で足音が止まった。
紙を回収する音。
そのあと、しばらくの沈黙。
「……今回も、当たったな」
小さな声が聞こえた。
「偶然、だろう」
「そうだな。いちいち気にしていたらきりがない」
会話はそれだけで終わり、足音は遠ざかっていった。
ポーラは、毛布を握りしめたまま、じっとしていた。
胸の奥にあった重たい感覚は、すでに消えている。
その代わり、いつもの静けさが戻っていた。
――防げた。
それだけは、分かる。
誰にも感謝されなくてもいい。
名前を呼ばれなくてもいい。
ただ、何かが起きる前に、止められた。
それで十分だった。
ポーラは、そっと息を吐いた。
今日も、部屋から出ていない。
誰とも話していない。
それでも、世界は、ほんの少しだけ無事だった。
彼女はそれを、誇りとも使命とも思わない。
ただ――当たり前のことをしただけだ。
そして翌朝もまた、ポーラは机に向かい、
胸の奥の感覚に耳を澄ませることになる。
それが、
引きこもり聖女ポーラ・スターの、静かな役目だった。
その日も、ポーラ・スターは自室で目を覚ました。
正確には、眠っていたというより、浅いまどろみから意識が浮かび上がった、という感覚に近い。深く眠ることは、あまり得意ではなかった。夢と現実の境目が曖昧なまま、胸の奥に小さな不安を抱えて目を開ける。
天気は、分からない。
カーテンは今日も閉められたままで、外の光も音も遮断されている。だが、それでいい。外が晴れていようと、曇っていようと、嵐であろうと、ポーラの一日は変わらない。
彼女はベッドから起き上がり、ゆっくりと深呼吸をした。
――大丈夫。
誰もいない。
今日は、誰にも会わない。
それだけで、胸の鼓動は少し落ち着いた。
机に向かい、ペンを手に取る。
毎朝の習慣だ。
ポーラは聖女として、決められた儀式を行っていない。祭壇にも立たず、祈りの言葉を人前で唱えることもない。
それでも、彼女には「分かる」ことがあった。
理由を言葉にすることはできない。
ただ、胸の奥に、ひっかかる感覚が生じる。
まるで、空気がざらつくような。
どこかが、きしむような。
ポーラはしばらく目を閉じ、その感覚に意識を向けた。
……西。
方向が、浮かび上がる。
西の街道。
胸の奥が、きゅっと締まった。
「……」
声は出さない。
出せない。
だが、分かる。
これは、放っておいてはいけない類の予感だった。
ポーラは静かにペンを走らせた。
――西の街道で、がけ崩れが起きます。
文字は震えていなかった。
何度も同じことをしてきたからだ。
書き終えた紙を折り、立ち上がる。
扉の前にそっと置き、すぐに距離を取る。
これでいい。
あとは、自分の手を離れる。
ポーラは再びベッドに腰掛け、毛布を膝にかけた。
胸に残るざわつきが、ゆっくりと静まっていく。
◇
その紙を最初に見つけたのは、若い使用人だった。
「……また、予告か」
小さく呟き、紙を拾い上げる。
内容を読んだ瞬間、眉がひそめられた。
「西の街道……がけ崩れ?」
これまでにも、同じような紙は何度もあった。
内容は様々だったが、不思議なことに、外れることはほとんどない。
使用人は迷った末、上役に報告するため、その紙を持って屋敷内を急いだ。
「スター公爵様に、お伝えすべきでしょうか……」
「いや、まずは王城だ。判断は向こうがする」
そうして、紙は静かに、だが確実に上へと回された。
◇
その日の昼過ぎ、西の街道を通る予定だった商隊は、急遽足止めを食らっていた。
「理由は?」
「安全確認だそうだ。上からの命令でな」
商人たちは不満げだったが、王城からの通達となれば従わざるを得ない。
街道の一部が封鎖され、近づくことすら禁じられた。
「何も起きてないじゃないか」
「時間の無駄だ」
そんな声が上がる中、空がにわかに曇り始めた。
そして――
ごう、と低い音が響いた。
次の瞬間、街道脇の斜面が大きく崩れ落ちる。
土砂と岩が一気に流れ込み、道を完全に塞いだ。
もし、封鎖がなければ。
もし、商隊が予定通り通行していれば。
そう考えた者は少なくなかった。
被害は、ほとんど出なかった。
怪我人もいない。
「……助かった、のか?」
誰かが呟く。
だが、その原因について深く考える者はいなかった。
上からの判断が的確だった。
それだけで、事は片づけられる。
扉の向こうの聖女の存在は、誰の記憶にも残らない。
◇
夕方、ポーラの部屋の前で足音が止まった。
紙を回収する音。
そのあと、しばらくの沈黙。
「……今回も、当たったな」
小さな声が聞こえた。
「偶然、だろう」
「そうだな。いちいち気にしていたらきりがない」
会話はそれだけで終わり、足音は遠ざかっていった。
ポーラは、毛布を握りしめたまま、じっとしていた。
胸の奥にあった重たい感覚は、すでに消えている。
その代わり、いつもの静けさが戻っていた。
――防げた。
それだけは、分かる。
誰にも感謝されなくてもいい。
名前を呼ばれなくてもいい。
ただ、何かが起きる前に、止められた。
それで十分だった。
ポーラは、そっと息を吐いた。
今日も、部屋から出ていない。
誰とも話していない。
それでも、世界は、ほんの少しだけ無事だった。
彼女はそれを、誇りとも使命とも思わない。
ただ――当たり前のことをしただけだ。
そして翌朝もまた、ポーラは机に向かい、
胸の奥の感覚に耳を澄ませることになる。
それが、
引きこもり聖女ポーラ・スターの、静かな役目だった。
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