引きこもり聖女は祈らない

鷹 綾

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第15話 力と心の距離

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第15話 力と心の距離

 その日、フォージャー子爵はいつもより少しだけ早く屋敷を訪れた。

 理由は単純だった。
 王都から届いた報告書の内容が、どうしても頭から離れなかったからだ。

 ――各地で天候不順が続いている。
 ――予測が立たず、被害は小さいが頻発している。

 それは、偶然として片づけるには、あまりにも継続的だった。

 ◇

 スター公爵家の廊下を歩きながら、フォージャーは思考を巡らせていた。

 彼は医師だ。
 神秘を否定するつもりはないが、
 安易に「奇跡」や「超常」に飛びつくほど、無責任でもない。

 だが――
 いくつもの要素が、静かに重なり始めている。

 聖女解任の日。
 婚約破棄。
 その直後からの天候不順。

 そして何より。

 当の本人――ポーラ・スターの精神状態が、極めて安定している。

 それが、どうにも引っかかっていた。

 ◇

 フォージャーは、いつものように扉の前に立つ。

 「こんにちは、ポーラ嬢」

 返事を求めない声。

 「今日は、少し考え事をしながら来ました」

 そう前置きしてから、
 彼は珍しく、少し踏み込んだ話を始めた。

 「……人の力と心の状態には、
 深い関係があることが多いです」

 「特に、無意識の力ほど、
 精神の影響を強く受けます」

 それは、診察というより、
 仮説の共有に近い語りだった。

 ◇

 扉の向こうで、ポーラは静かに聞いている。

 難しい話だと分かっている。
 けれど、言葉の一つひとつは、
 不思議と胸に引っかからなかった。

 怖くない。
 責められていない。

 ただ、「考え」を置かれているだけだ。

 ◇

 フォージャーは続ける。

 「例えば――
 ある人が“守らなければならない”と思い詰めているとき」

 「その人の力は、
 外へ外へと向かい、
 制御が難しくなります」

 「逆に、
 自分を守ることを許されたとき」

 「力は、内側に戻り、
 静かに落ち着く」

 廊下に、静寂が落ちる。

 フォージャーは、扉の向こうを見据えるように、
 しかし決して視線を突き刺すことなく、言葉を選んだ。

 「……最近、あなたの“内側”は、
 とても安定しているように感じます」

 断定ではない。
 観察の共有。

 「それ自体は、
 とても良いことです」

 ◇

 ポーラは、胸の奥がわずかに揺れるのを感じた。

 安定している。
 その言葉は、
 これまで誰からも言われたことがなかった。

 聖女としては、
 役に立たない。
 婚約者としては、
 不適格。

 そんな評価ばかりだった。

 でも――
 今は、安定している。

 それは、確かに事実だった。

 ◇

 フォージャーは、さらに言葉を続ける。

 「一方で、外の世界は、
 あまり安定していません」

 「この二つが、
 必ずしも連動するとは限りませんが……」

 彼は、そこで一度、言葉を切った。

 「……もし、
 誰かが“あなたの力”を、
 あなた自身の心を無視して使おうとしたのだとしたら」

 「それは、
 非常に危ういことだと、私は思います」

 この言葉は、
 ポーラ自身よりも、
 その場にいない“大人たち”に向けられていた。

 ◇

 廊下の奥で話を聞いていたスター公爵は、
 思わず息を呑んだ。

 彼は、ようやく気づき始めていた。

 ――自分は、娘の“力”ばかりを恐れ、
 ――娘の“心”を、正しく見ていなかったのではないか。

 天候不順は、
 娘が傷ついたせいだと、
 短絡的に結びつけていた。

 だが、現実は逆かもしれない。

 ポーラは、
 これまでずっと、
 不安定な立場に置かれ続けていた。

 聖女。
 婚約者。
 象徴。

 それらすべてが、
 彼女の心を削っていた。

 そして今。

 役割から解放されたことで、
 初めて、内側が落ち着いている。

 ◇

 フォージャーは、最後にこう締めくくった。

 「……今は、何も変えなくていい」

 「祈る必要も、
 役に立とうとする必要もありません」

 「あなたが、
 “あなたのままで安定している”ことが、
 最優先です」

 「それが、結果的に、
 何につながるかは――
 その後で、考えればいい」

 足音が、静かに遠ざかる。

 ◇

 扉の向こうで、ポーラは目を閉じた。

 力。
 心。
 役割。

 まだ、すべてを理解できたわけではない。

 でも、一つだけ、はっきり分かることがある。

 ――私は、今、無理をしていない。

 それは、
 これまでの人生で、
 ほとんど経験したことのない状態だった。

 ポーラは、胸に手を当て、
 ゆっくりと息をする。

 外では、今日も風が強いかもしれない。
 空は、相変わらず落ち着かないかもしれない。

 それでも。

 自分の内側は、静かだ。

 フォージャーが抱いた疑問は、
 まだ仮説に過ぎない。

 だが、この日――
 聖女の力と、心の安定が必ずしも同じ方向を向かない
 という事実が、
 はっきりと浮かび上がり始めた。

 それはやがて、
 王国にとって致命的な問いとなる。

 ――聖女とは、
 力を使う存在なのか。
 それとも、
 守られるべき一人の人間なのか。

 その答えは、
 まだ、誰にも分からない。
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