引きこもり聖女は祈らない

鷹 綾

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第14話 静かな部屋、荒れる空

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第14話 静かな部屋、荒れる空

 その日も、フォージャー子爵は変わらぬ時間に屋敷を訪れた。

 廊下の空気はひんやりとしている。
 外の天候が安定しないせいか、石壁が冷気を含んでいるようだった。

 窓の外では、低い雲が早足で流れていく。
 晴れているはずなのに、日差しは弱く、風は落ち着かない。

 ――今日も、空は騒がしい。

 フォージャーはそう感じながら、いつもの扉の前に立った。

 ◇

 「こんにちは、ポーラ嬢」

 返事を求めない声が、廊下に溶ける。

 「外は、少し荒れています。
 風向きが定まらず、雲も忙しそうです」

 彼は、天候の話を選んだ。
 それは、彼女が無理なく“外”を想像できる話題だったからだ。

 「ですが……ここは静かですね」

 その言葉は、事実だった。

 スター公爵家の最奥、
 分厚い扉に守られたこの場所は、
 不思議なほど、安定している。

 風の音も、遠雷の気配も、
 すべてが一段、和らいで届く。

 ◇

 扉の向こうで、ポーラはベッドに腰掛けていた。

 今日は、胸の奥が落ち着いている。

 理由は分からない。
 ただ、いつもより呼吸が深く、
 頭の中が静かだった。

 外の空が荒れていると聞いても、
 胸がざわつかない。

 ――外は荒れているのに。

 ポーラは、毛布の端を指でなぞる。

 不思議だ。

 聖女であった頃、
 外の異変は、必ず胸に波紋を広げていた。

 風が強まれば、胸が重くなり、
 空気が乱れれば、息が詰まった。

 だが今は、違う。

 外の荒れと、内側の静けさが、
 はっきりと分かれている。

 ◇

 フォージャーは、扉の前で続ける。

 「私は医師ですが、
 天候を直接診ることはできません」

 「けれど、人の心が、
 どれほど外界の影響を受けるかは、
 ある程度、知っています」

 それは、診察というより、
 独り言に近い語りだった。

 「外が不安定なときほど、
 内側に“安全な場所”があるかどうかが、
 大きな違いになります」

 「安全な場所があれば、
 外がどれほど騒がしくても、
 人は、壊れずにいられる」

 ポーラの指先が、わずかに止まる。

 ――安全な場所。

 その言葉は、
 今の自分の感覚に、ぴたりと重なった。

 ◇

 同じ頃、王都では、別の光景が広がっていた。

 市場では、強風により露店が早々に畳まれ、
 人々は空を気にしながら歩いている。

 「また風向きが変わったな……」

 「この時期に、こんな冷たい風はおかしい」

 農民たちは、畑の作物を案じ、
 商人たちは、物流の遅れを心配する。

 不満はまだ小さい。
 だが、不安は確実に広がっていた。

 王城でも、報告が相次ぐ。

 「小規模な突風が各地で発生しています」

 「雨雲の動きが予測できません」

 宰相は眉をひそめ、
 王太子リチャードは苛立ちを隠さなかった。

 「だから言っただろう。
 たまたまだ、と」

 言い切りながらも、
 その声には、わずかな焦りが混じっている。

 ◇

 一方で、スター公爵家の奥は、
 相変わらず、穏やかだった。

 フォージャーは、扉の前で言葉を締めくくる。

 「……今日は、ここまでにしましょう」

 「外は騒がしくても、
 ここが静かであることは、
 とても大切なことです」

 「それが、あなた自身の力なのか、
 環境のおかげなのかは、
 今は考えなくていい」

 「ただ、
 “静かでいられている”という事実を、
 否定しないでください」

 足音が、遠ざかる。

 ◇

 ポーラは、しばらく動かなかった。

 外が荒れている。
 王都が落ち着かない。

 それでも、自分の部屋は静かだ。

 ――私は、揺れていない。

 その事実に、
 少しだけ、戸惑いを覚える。

 聖女であった頃、
 外の異変は、
 自分の責任のように感じていた。

 守らなければ。
 抑えなければ。
 祈らなければ。

 だが今は、違う。

 ポーラは、ゆっくりと息を吐く。

 自分が静かでいることが、
 誰かの義務でも、
 誰かの期待でもない。

 ただ――
 自分の状態だ。

 その夜、
 空では再び風が強まり、
 雲が不規則に流れていた。

 だが、ポーラの部屋の中では、
 蝋燭の炎が、ほとんど揺れなかった。

 外が荒れ、
 世界が不安定になり始めている一方で、
 彼女の内側には、
 確かな「安定」が芽生えつつあった。

 それは、まだ小さく、
 誰にも気づかれない変化。

 だが、この対比こそが、
 やがて王国全体を揺るがす
 決定的な違和感となっていくことを、
 この時点では、まだ誰も知らない。

 静かな部屋と、荒れる空。

 その差は、
 日を追うごとに、
 はっきりと浮かび上がり始めていた。
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