婚約破棄はあなたの意思でしたわね? ~王太子を廃嫡に追い込み、義妹を平民に落とした公爵令嬢は新時代の王妃になります~

鷹 綾

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第六話 王太子、知らない

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第六話 王太子、知らない

「……一時的な遅れだ」

アルヴァリオはそう言い切った。

王宮の執務室には、重たい沈黙が落ちている。
机の上には未決済の請求書。
封を切られぬままの催促状。
そして赤い印の押された“支払い不能通知”。

だが彼は、それをまともに見ようとしない。

「公爵家が意地を張っているだけだ。数日もすれば頭を下げてくる」

「殿下」

老宰相が静かに口を開く。

「公爵家が頭を下げる理由がございません」

「何?」

「婚約破棄は殿下のご判断。条文上、公爵家の保証は失効しております」

アルヴァリオは眉をひそめる。

「だが……あいつは俺の婚約者だった」

「“だった”のでございます」

その一言が、やけに冷たい。

「保証の前提は婚約関係でした。破棄された以上、公爵家に義務はございません」

アルヴァリオは立ち上がる。

「義務がない? 公爵家は王家に仕える立場だぞ!」

「仕えることと、無制限の融資は別でございます」

静かな反論。

王太子の拳が震える。

「南方開発は国策だ!」

「はい。その国策を、殿下が単独で承認なさいました」

机の上の契約書が、まるで告発するようにそこにある。

彼の署名。
彼の印。

「……ヴェルミリアが確認したはずだ」

ぽつりと呟く。

老宰相は、ゆっくりと首を横に振る。

「今回の契約は、殿下が“婚約破棄後”に再承認なさいました」

沈黙。

「再承認……?」

「はい。公爵家の保証が外れた状態で」

アルヴァリオの顔色が変わる。

「それは……形式的なものだ。俺は王太子だぞ」

「形式こそが契約でございます」

容赦のない言葉。



その頃、公爵邸。

私は帳簿を閉じる。

「王宮は混乱しているようですね」

「南方の違約金が発生いたしました」

執事が淡々と告げる。

「支払額は王家単独では賄えません」

私は小さく頷く。

「王太子殿下は?」

「ご自身の判断が原因とは、まだ認識されておりません」

「……そう」

知らない。

自分がどれほど綱渡りの上に立っていたのか。

私は窓の外を見つめる。

王都の空は曇り始めている。

「お嬢様」

家宰が慎重に問う。

「王家は、いずれ公爵家へ再交渉を申し入れるでしょう」

「でしょうね」

「応じられますか」

私は少し考える。

応じることはできる。

だが、それは“婚約破棄の責任を曖昧にする”ことになる。

「条件次第です」

私は静かに答える。

「責任の所在が明確であること。それが前提です」



王宮。

「殿下!」

若い官僚が駆け込む。

「港湾整備の資材が差し押さえられました!」

「何だと!」

「支払い未履行のため、組合が契約解除を通知」

アルヴァリオは言葉を失う。

「……俺は知らない」

ぽつりと漏れた言葉。

「俺はそんな話、聞いていない」

老宰相が静かに言う。

「報告は上がっておりました」

「どこに!」

「殿下の机の上に」

書類の山。

未開封の封書。

視線がそこに向く。

アルヴァリオの喉が鳴る。

彼は知らなかった。

だが、知らないことは免罪にならない。

「……ヴェルミリアがいれば」

思わず漏れる。

「彼女はすべて処理していた」

老宰相は何も言わない。

それが答えだ。


夜。

王宮の廊下は静まり返っている。

アルヴァリオは一人、執務室に残っていた。

机の上の契約書を開く。

そこには、自分の署名。

そして小さく書かれた条文。

“保証者不在の場合、全責任は署名者に帰属する”。

帰属。

責任。

重い言葉。

「……そんなはずはない」

彼は呟く。

「俺は王太子だ」

だが、王太子であることと、責任を免れることは別だ。

窓の外で雷が鳴る。

遠くで雨が降り始める。

彼はまだ知らない。

止まったのは資金だけではない。

信用が止まり、支持が止まり、未来が止まり始めている。

そして何より――

彼は知らない。

自分がどれほどヴェルミリアに支えられていたのか。

知らないまま、彼は机に突っ伏す。

「……戻ってこい」

小さく漏れる。

だがその願いは、もう届かない。

公爵邸の灯りは、静かに輝いている。

嵐は、まだ始まったばかりだった。
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