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10話 平民という枷
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10話 平民という枷
奇跡の披露が終わった中庭は、祭りの後のような熱気に包まれていた。
市民たちは興奮したまま帰路につき、
貴族たちは口々に感想を述べ合い、
教会関係者は満足げに頷き合っている。
――誰もが、満たされていた。
ただ一人を除いて。
「……大丈夫ですか?」
控えの回廊で、アルトリア・カストゥスはジャンヌ・テレーゼに声をかけた。
ジャンヌは、壁に手をついて立っていた。
倒れないように必死に姿勢を保っているのが、はっきりと分かる。
「だ、大丈夫です……」 「ちょっと……緊張しただけで……」
その言葉とは裏腹に、声は震えていた。
(……緊張、だけではありませんわね)
アルトリアは、周囲をさりげなく確認した。
神官たちは次の段取りに意識が向いており、こちらを気にしていない。
「こちらへ」 「少し、座りましょう」
半ば強引にジャンヌを椅子に座らせ、
アルトリアは向かいの席に腰掛けた。
「……すみません」 「皆さん、喜んでくださって……」
ジャンヌは、どこか申し訳なさそうに言った。
「ええ、ええ」 「大変、盛り上がっていましたわね」
アルトリアは、そう答えながらも、
心の中では別のことを考えていた。
(“喜んでくださって”……)
その言葉の主語は、誰だ。
市民か。
教会か。
王太子か。
(……あなた自身ではありませんわね)
「……ジャンヌ様」 「少し、お話をしても?」
ジャンヌは、こくりと頷いた。
「あなたのご家族のこと」 「差し支えなければ」
ジャンヌは、一瞬だけ視線を伏せた。
「……母がいます」 「王都の外れで、洗濯の仕事をして……」
その言葉を聞いた瞬間、
アルトリアは理解した。
(……平民)
それも、
王都の外れで暮らす、
何の後ろ盾もない平民。
「お父上は?」
「……小さい頃に亡くなりました」
淡々とした口調。
感情を込める余地がないほど、
この話題に慣れている。
「教会には……?」 「いつから?」
「……奇跡が出てからです」 「突然、呼ばれて……」
ジャンヌは、膝の上で指を絡めた。
「“聖女様”だから、協力してくださいって」 「断る理由が、分からなくて……」
(断る理由が、分からない)
それは、
選択肢が存在しない人間の言葉だった。
「……拒否は、できませんでしたの?」
アルトリアは、あくまで穏やかに尋ねた。
ジャンヌは、小さく首を横に振る。
「できません……」 「だって……」
言葉を探し、少し間を置いてから続ける。
「平民ですから」
その一言は、
この国の仕組みを、あまりにも端的に表していた。
「教会に呼ばれて」 「王太子殿下に会って」 「聖女だって言われて……」
ジャンヌは、苦笑する。
「全部、すごい方たちで……」 「私が何か言えるはず、ありませんでした」
アルトリアは、無意識のうちに拳を握っていた。
(……そうですわね)
貴族なら。
令嬢なら。
交渉も、拒否も、条件提示もできる。
だが、平民は違う。
「……婚約の話も」 「同じですか?」
ジャンヌは、少しだけ目を見開いた。
「……はい」
その返事は、迷いがなかった。
「“聖女様には、王太子殿下の婚約者になっていただく”って」 「そう言われました」
「……“言われた”」
「はい」 「“決まったこと”だと……」
アルトリアは、深く息を吐いた。
(なるほど……)
婚約は、
恋愛ではない。
合意でもない。
――命令だ。
「……怖くは、ありませんの?」
ジャンヌは、少し考えてから答えた。
「……怖いです」 「でも……仕方ないって」
その言葉を聞いた瞬間、
アルトリアの胸の奥が、ひりついた。
(また、“仕方ない”……)
それは、
自分の意思を押し殺すための言葉。
「……アルトリア様は」 「どう思われますか?」
突然、問い返される。
アルトリアは、一瞬言葉に詰まった。
(どう、思うか)
本音を言えば。
間違っている。
だが。
(……今は、それを言う立場ではありませんわね)
「……大変な立場だと思います」 「ですが……」
言葉を選ぶ。
「婚約者という立場があれば」 「簡単には、切り捨てられません」
それは、
貴族としての、
現実的な判断だった。
ジャンヌは、少しだけ安心したように息を吐いた。
「……そう、ですよね」 「私……役に立たなくなったら……」
「なりませんわ」
アルトリアは、きっぱりと言った。
「少なくとも、今は」
ジャンヌは、ほっとしたように微笑む。
(……ええ)
今は。
「……ありがとうございます」 「少し、安心しました」
その笑顔を見て、
アルトリアは胸の奥に小さな違和感を覚えた。
(安心させるための言葉、ですわね)
それは、
本当に正しいのだろうか。
――まだ、答えは出ない。
だが、確かなことが一つあった。
ジャンヌ・テレーゼは、
「聖女」だから縛られているのではない。
「平民」だから、縛られている。
アルトリア・カストゥスは、
その事実を、
重く胸に刻み込んだ。
奇跡の披露が終わった中庭は、祭りの後のような熱気に包まれていた。
市民たちは興奮したまま帰路につき、
貴族たちは口々に感想を述べ合い、
教会関係者は満足げに頷き合っている。
――誰もが、満たされていた。
ただ一人を除いて。
「……大丈夫ですか?」
控えの回廊で、アルトリア・カストゥスはジャンヌ・テレーゼに声をかけた。
ジャンヌは、壁に手をついて立っていた。
倒れないように必死に姿勢を保っているのが、はっきりと分かる。
「だ、大丈夫です……」 「ちょっと……緊張しただけで……」
その言葉とは裏腹に、声は震えていた。
(……緊張、だけではありませんわね)
アルトリアは、周囲をさりげなく確認した。
神官たちは次の段取りに意識が向いており、こちらを気にしていない。
「こちらへ」 「少し、座りましょう」
半ば強引にジャンヌを椅子に座らせ、
アルトリアは向かいの席に腰掛けた。
「……すみません」 「皆さん、喜んでくださって……」
ジャンヌは、どこか申し訳なさそうに言った。
「ええ、ええ」 「大変、盛り上がっていましたわね」
アルトリアは、そう答えながらも、
心の中では別のことを考えていた。
(“喜んでくださって”……)
その言葉の主語は、誰だ。
市民か。
教会か。
王太子か。
(……あなた自身ではありませんわね)
「……ジャンヌ様」 「少し、お話をしても?」
ジャンヌは、こくりと頷いた。
「あなたのご家族のこと」 「差し支えなければ」
ジャンヌは、一瞬だけ視線を伏せた。
「……母がいます」 「王都の外れで、洗濯の仕事をして……」
その言葉を聞いた瞬間、
アルトリアは理解した。
(……平民)
それも、
王都の外れで暮らす、
何の後ろ盾もない平民。
「お父上は?」
「……小さい頃に亡くなりました」
淡々とした口調。
感情を込める余地がないほど、
この話題に慣れている。
「教会には……?」 「いつから?」
「……奇跡が出てからです」 「突然、呼ばれて……」
ジャンヌは、膝の上で指を絡めた。
「“聖女様”だから、協力してくださいって」 「断る理由が、分からなくて……」
(断る理由が、分からない)
それは、
選択肢が存在しない人間の言葉だった。
「……拒否は、できませんでしたの?」
アルトリアは、あくまで穏やかに尋ねた。
ジャンヌは、小さく首を横に振る。
「できません……」 「だって……」
言葉を探し、少し間を置いてから続ける。
「平民ですから」
その一言は、
この国の仕組みを、あまりにも端的に表していた。
「教会に呼ばれて」 「王太子殿下に会って」 「聖女だって言われて……」
ジャンヌは、苦笑する。
「全部、すごい方たちで……」 「私が何か言えるはず、ありませんでした」
アルトリアは、無意識のうちに拳を握っていた。
(……そうですわね)
貴族なら。
令嬢なら。
交渉も、拒否も、条件提示もできる。
だが、平民は違う。
「……婚約の話も」 「同じですか?」
ジャンヌは、少しだけ目を見開いた。
「……はい」
その返事は、迷いがなかった。
「“聖女様には、王太子殿下の婚約者になっていただく”って」 「そう言われました」
「……“言われた”」
「はい」 「“決まったこと”だと……」
アルトリアは、深く息を吐いた。
(なるほど……)
婚約は、
恋愛ではない。
合意でもない。
――命令だ。
「……怖くは、ありませんの?」
ジャンヌは、少し考えてから答えた。
「……怖いです」 「でも……仕方ないって」
その言葉を聞いた瞬間、
アルトリアの胸の奥が、ひりついた。
(また、“仕方ない”……)
それは、
自分の意思を押し殺すための言葉。
「……アルトリア様は」 「どう思われますか?」
突然、問い返される。
アルトリアは、一瞬言葉に詰まった。
(どう、思うか)
本音を言えば。
間違っている。
だが。
(……今は、それを言う立場ではありませんわね)
「……大変な立場だと思います」 「ですが……」
言葉を選ぶ。
「婚約者という立場があれば」 「簡単には、切り捨てられません」
それは、
貴族としての、
現実的な判断だった。
ジャンヌは、少しだけ安心したように息を吐いた。
「……そう、ですよね」 「私……役に立たなくなったら……」
「なりませんわ」
アルトリアは、きっぱりと言った。
「少なくとも、今は」
ジャンヌは、ほっとしたように微笑む。
(……ええ)
今は。
「……ありがとうございます」 「少し、安心しました」
その笑顔を見て、
アルトリアは胸の奥に小さな違和感を覚えた。
(安心させるための言葉、ですわね)
それは、
本当に正しいのだろうか。
――まだ、答えは出ない。
だが、確かなことが一つあった。
ジャンヌ・テレーゼは、
「聖女」だから縛られているのではない。
「平民」だから、縛られている。
アルトリア・カストゥスは、
その事実を、
重く胸に刻み込んだ。
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