婚約破棄して「無能」と捨てた元婚約者様へ。私が隣国の魔導予算を握っていますが、今さら戻ってこいなんて冗談ですよね?』

鷹 綾

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第30話 選ばれなかった者の、選び直し

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第30話 選ばれなかった者の、選び直し

 その知らせは、朝の雑務の中で、ひどく唐突に届いた。

「補佐官」

 書記官が、控えめに声をかける。

「……何だ」

「本日午後、
 隣国より親善使節が到着します」

 アラルガンは、書類から目を離さずに頷いた。

「……了解した。
 技術関係の視察か?」

「いえ」

 一瞬の間。

「エルフレイド・ヴァルシュタイン顧問が、
 随行されます」

 ペンが、止まった。

 ほんの一瞬。
 それでも、確かに止まった。

「……そうか」

 それだけ答え、再び書類に目を戻す。

 胸の奥に、
 小さな波紋が広がる。

 驚きではない。
 恐怖でもない。

 ただ――
 確認だった。

 彼女と、
 どんな顔で向き合うのか。

 午後。

 王宮の応接区画は、
 静かな緊張に包まれていた。

 形式的な歓迎。
 簡潔な挨拶。

 すべては、
 予定調和の中で進む。

 アラルガンは、
 補佐官として、
 壁際に立っていた。

 主役ではない。
 だが、
 無関係でもない。

 扉が開き、
 一団が入室する。

 先頭に立つのは、
 隣国の使節。

 その半歩後ろに、
 彼女がいた。

 エルフレイド。

 かつて、
 彼が「無能」と切り捨てた女性。

 今は、
 誰もが一目置く
 魔導技術の中枢。

 視線が、
 一瞬だけ、
 こちらに向く。

 だが、
 彼女は何も言わない。

 微笑みも、
 驚きも、
 蔑みもない。

 ただ、
 仕事の目だった。

 それが、
 何よりも重かった。

 会談は、
 淡々と進んだ。

 魔導基盤の長期安定。
 人材交流。
 共同研究。

 すべて、
 エルフレイド主導で話がまとまっていく。

 誰も、
 王位の話をしない。

 誰も、
 過去を蒸し返さない。

 終盤。

 技術的な質疑の中で、
 一つの問いが投げられた。

「旧王国側の監査体制について、
 現場の声を反映する仕組みは?」

 場が、
 一瞬静まる。

 視線が、
 自然とアラルガンに集まった。

 彼は、
 一瞬だけ迷い、
 そして一歩前に出る。

「……補佐官として、
 お答えします」

 許可を求める視線を向けると、
 エルフレイドは、
 わずかに頷いた。

「現場巡回と、
 即時報告体制を整えています」

 声は、
 落ち着いていた。

「判断は、
 現場の数値と警告を優先します」

「政治的配慮は?」

 その問いに、
 彼は、はっきり答えた。

「排します」

 即答。

「過去に、
 それを優先して、
 失敗しました」

 空気が、
 少しだけ引き締まる。

 だが、
 否定はない。

 エルフレイドが、
 静かに口を開いた。

「……その方針で、
 問題ありません」

 彼女の声は、
 冷静だった。

「現場判断を妨げないこと。
 それが、
 この国に今、
 必要なことです」

 彼女は、
 彼を見なかった。

 だが、
 彼の言葉を、
 採用した。

 それだけで、
 十分だった。

 会談後。

 廊下で、
 すれ違う。

「……顧問」

 思わず、
 声をかけた。

 彼女は、
 足を止める。

「……何でしょう」

 公的な口調。

「……あの時」

 言葉が、
 詰まる。

「……私は、
 間違っていた」

 謝罪でも、
 懇願でもない。

 ただの、
 事実確認。

 エルフレイドは、
 少しだけ考え、
 答えた。

「はい」

 即答だった。

「ですが」

 一拍。

「それを、
 今の判断で
 修正しようとしているなら」

 彼女は、
 彼を見た。

「それは、
 無意味ではありません」

 それだけ言い、
 去っていく。

 背中を見送りながら、
 アラルガンは、
 深く息を吐いた。

 赦されたわけではない。
 戻れるわけでもない。

 だが――
 切り捨てられてもいない。

 夜。

 自室で、
 一人、机に向かう。

 今日の議事録。
 自分の発言。

 そこに、
 嘘はない。

「……選ばれなかった」

 呟く。

 王として。
 指導者として。

 だが、
 選び直すことは、
 できる。

 どう働くか。
 どう判断するか。
 何を優先するか。

 それは、
 肩書きとは、
 関係ない。

 窓の外、
 王都の灯りは、
 今日も変わらず輝いている。

 守られている街。
 多くの人の判断と、
 積み重ねの結果。

「……ここで、
 やり直す」

 誰に誓うでもなく、
 自分に言い聞かせる。

 選ばれなかった者の、
 選び直し。

 それは、
 王位よりも小さく、
 だが確かに――
 現実を前に進める選択だった。

 そしてその選択は、
 明日もまた、
 静かに試されていく。

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