婚約破棄して「無能」と捨てた元婚約者様へ。私が隣国の魔導予算を握っていますが、今さら戻ってこいなんて冗談ですよね?』

鷹 綾

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第33話 評価されない仕事が、街を支えている

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第33話 評価されない仕事が、街を支えている

 朝の点検は、いつも通りに始まった。

 警告灯は沈黙し、
 計器の針は規定値の範囲で揃っている。
 派手な異常も、緊急の呼び出しもない。

 それは、
 現場にとって最良の状態だった。

「……異常なし、か」

 アラルガンは記録板に目を落とし、
 淡々と確認欄に印を付ける。

 誰も拍手しない。
 誰も報告書を読まない。

 だが、
 街は今日も目覚め、
 魔導灯は夜を越え、
 結界は人々の頭上に、何事もなかったかのように張られている。

 ――評価されない仕事。

 それが、
 すべてを支えている。

 午前。

 第三区画の巡回中、
 中年の技師が足を止めた。

「……補佐官、
 ここ、音が違います」

 彼は耳を澄ませ、
 制御盤に手を当てる。

 低く、わずかな振動。

「……負荷の偏りだな」

「数値は、
 まだ基準内ですが」

「だからこそだ」

 アラルガンは、
 即座に判断する。

「今のうちに、
 流量を分散する」

「作業、
 出しますか?」

「出せ。
 短時間で済む」

 技師は、
 頷いて走り出す。

 誰も、
 “殿下の英断”などと呼ばない。

 ただ、
 必要な判断として処理される。

 それでいい。

 昼前。

 魔導庁の窓口に、
 小さな人だかりができていた。

「……何だ?」

 若い技師が、
 様子を見に行く。

 戻ってきた彼が、
 少し困った顔で報告した。

「補佐官、
 商業区の代表が……
 礼を言いたいと」

「礼?」

「先月、
 夜間停電が起きなかったのは、
 こちらのおかげだと」

 アラルガンは、
 一瞬だけ考え、
 首を横に振った。

「代表対応は、
 窓口に任せろ」

「ですが……」

「個人名は、
 出すな」

 技師は、
 少し驚いた表情を浮かべたが、
 すぐに理解したように頷く。

「……分かりました」

 礼は、
 嬉しくないわけではない。

 だが、
 個人に向けられた評価は、
 次の判断を歪める。

 現場に必要なのは、
 賞賛ではなく、
 継続だ。

 昼。

 食堂の片隅で、
 静かに食事を取っていると、
 向かいに腰を下ろす影があった。

 見覚えのある顔。

 以前、
 彼が重用していた貴族出身の元官僚だった。

「……久しぶりだな」

 声は、
 少し気まずそうだ。

「……そうだな」

 短く答える。

「……今は、
 ここで働いているのか」

「見ての通りだ」

 沈黙。

 彼は、
 箸を置き、
 ぽつりと言った。

「……裁かれなかったのに、
 辛くないのか」

 アラルガンは、
 しばらく考え、
 正直に答えた。

「……辛い日もある」

「なら、
 なぜ……」

「評価されないからだ」

 元官僚は、
 眉をひそめる。

「……どういう意味だ」

「評価されない仕事は、
 誤魔化せない」

 静かな声。

「成果が出ても、
 褒められない。
 失敗すれば、
 すぐに分かる」

 彼は、
 目を伏せた。

「……それが、
 本来の仕事だ」

 元官僚は、
 何も言わなかった。

 午後。

 第四区画の作業が終わり、
 数値は安定している。

 報告書は、
 簡潔だ。

 異常兆候確認。
 即時対応。
 問題なし。

 それだけ。

 誰かの名前は、
 書かれていない。

 夕方。

 帰路の途中、
 王都の通りを歩く。

 商人が声を張り、
 子どもが走り、
 魔導灯が柔らかく光っている。

 誰も、
 彼に気づかない。

 それでいい。

 この光が、
 当たり前にあること。

 それが、
 何よりの成果だ。

 夜。

 机に向かい、
 今日の記録をまとめる。

 派手な出来事は、
 一つもない。

 だが、
 空欄もない。

「……良い日だ」

 小さく呟く。

 評価されない仕事は、
 物語にならない。

 英雄も、
 悪役も、
 生まれない。

 だが、
 街は壊れない。

 人は眠り、
 朝を迎える。

 アラルガンは、
 灯りを落とし、
 静かに横になる。

 評価されない仕事が、
 街を支えている。

 それを知ったことが、
 彼に残された、
 数少ない――
 そして、
 十分すぎる報酬だった。

 明日もまた、
 誰にも気づかれず、
 街は守られる。

 それでいい。

 それが、
 正しい仕事なのだから。
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