真実の愛のお相手は弟の妻でした ―年上悪役令嬢は二十九歳―』

鷹 綾

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第三話 遮られた言葉

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第三話 遮られた言葉

卒業舞踏会から三日。

王都では、いまだにその話題が尽きることはなかった。

王太子による婚約破棄。

公爵令嬢の断罪。

そして――可哀想な義妹。

噂は日に日に形を変えながら広がっていく。

「聞いたか?」

「アルヴェイン令嬢、相当ひどい女らしい」

「妹を長年いじめていたそうだ」

「王太子殿下が助けたとか」

「さすが殿下だ」

酒場でも、商会でも、貴族の屋敷でも、同じ話が語られていた。

そしてその話は、いつも同じ場面に行き着く。

卒業舞踏会。

王太子の宣言。

そして――

フロレンティアが言葉を遮られた瞬間。

「あの時、何か言おうとしていましたよね?」

ある若い貴族が言った。

「確かに」

別の貴族が頷く。

「“その人は――”と言いかけていた」

「だが殿下が止めた」

「加害者の弁明など聞く耳は持たぬ、と」

周囲の者たちは納得したように頷いた。

「当然だ」

「言い訳に決まっている」

「悪女というのは、そういうものだ」

誰も疑わない。

なぜなら、王太子がそう言ったからだ。

そして、その王太子は今――

王宮の中庭を歩いていた。

カルディオンの隣には、ヴィオレッタがいる。

春の風が柔らかく吹き抜け、庭の花々が揺れていた。

「少し歩きませんか」

そう言ったのはカルディオンだった。

ヴィオレッタは戸惑ったように視線を落とす。

「でも……」

「私などが、殿下と一緒に歩いてよろしいのでしょうか」

カルディオンは笑った。

「構わない」

「もうすぐ君は、私の婚約者になるのだから」

ヴィオレッタは驚いたように目を見開く。

「そんな……」

「まだ決まったわけでは」

「決まっている」

カルディオンははっきり言った。

「父上もいずれ認める」

「それに」

彼は少しだけ声を低くした。

「君はあの家から解放されるべきだ」

ヴィオレッタは顔を伏せる。

「……ありがとうございます」

その声は震えていた。

カルディオンは満足そうに頷く。

「昨日も言っただろう」

「君は被害者だ」

「フロレンティアのような女に、ずっと苦しめられていた」

ヴィオレッタは何も言わない。

ただ静かに歩く。

やがてカルディオンはふと思い出したように言った。

「そういえば」

「舞踏会の時だ」

ヴィオレッタが顔を上げる。

「何でしょう」

カルディオンは少し眉をひそめた。

「フロレンティアが何か言おうとしていた」

「“その人は――”と」

ヴィオレッタの表情が、ほんの一瞬だけ固まった。

だがすぐに俯く。

「……わかりません」

小さな声だった。

「きっと」

「私を侮辱する言葉だったのでしょう」

カルディオンの表情が険しくなる。

「やはりそうか」

「だから止めたのだ」

彼は少し苛立ったように言う。

「自分の罪を正当化するつもりだったのだろう」

ヴィオレッタは何も言わない。

ただ小さく頷いた。

カルディオンは続ける。

「それにしても」

「君は優しい」

ヴィオレッタが顔を上げる。

「え?」

「普通なら怒るはずだ」

「長年虐げられてきた相手だぞ」

カルディオンは少し笑った。

「だが君は、まだ姉と呼んでいた」

ヴィオレッタは困ったように微笑む。

「……お姉様ですから」

「血は繋がっていませんが」

カルディオンは首を振る。

「君は甘い」

「だからあんな女に利用される」

ヴィオレッタは静かに目を伏せた。

だがその唇の端に、ほんのわずかな笑みが浮かぶ。

それに気づく者はいない。

一方その頃。

アルヴェイン公爵邸。

広い書斎の机の上に、いくつもの書類が並べられていた。

フロレンティアは椅子に座り、それを眺めている。

向かいに立つのは、例の老執事。

「調査結果でございます」

執事が言った。

フロレンティアは一枚の書類を手に取る。

「戸籍記録」

執事が頷く。

「オデット伯爵家のものです」

フロレンティアはゆっくりと目を通した。

そして、静かに言う。

「やはり」

執事が答える。

「はい」

「年齢が合いません」

フロレンティアは書類を机に戻した。

「二十九歳」

その言葉は、静かに部屋に落ちた。

執事は続ける。

「現在、社交界では二十歳とされています」

フロレンティアは軽く首を傾げる。

「九歳も若く?」

「大胆ですね」

執事は冷静に言う。

「政略結婚のためでしょう」

フロレンティアは少し考える。

そして静かに呟いた。

「そう」

「政略結婚」

執事は次の書類を差し出した。

「もう一つございます」

フロレンティアはそれを受け取る。

目を通した瞬間、わずかに眉が動いた。

「……なるほど」

執事が言う。

「弟君の結婚記録です」

フロレンティアは椅子にもたれた。

「ダリオン」

「十八歳」

執事は頷く。

「はい」

「つまり」

フロレンティアは静かに言った。

「二十九歳の女性が」

「十八歳の少年と結婚した」

部屋が静まり返る。

やがてフロレンティアは小さく笑った。

「面白い」

執事は何も言わない。

フロレンティアは窓の外を見た。

王都の空は穏やかだった。

「舞踏会の時」

彼女はゆっくり言う。

「私は言おうとしたのです」

執事は頷く。

「“その人は――”と」

フロレンティアは静かに笑う。

「でも」

「殿下が止めました」

その声には、ほんの少しだけ愉快そうな響きがあった。

「よかった」

執事が目を細める。

「……と申しますと?」

フロレンティアは答えた。

「もし、あの場で言えていたら」

彼女は書類を軽く叩いた。

「話は終わってしまっていたでしょう」

そして微笑む。

「舞台は」

「もう少し大きい方が面白いですもの」
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