白い結婚のはずでしたが、理屈で抗った結果すべて自分で詰ませました

鷹 綾

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第7話 形式的な結婚という最適解

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第7話 形式的な結婚という最適解

 その手紙は、他の縁談とは明らかに違っていた。

 ノエリア・ヴァンローゼは、執事長から差し出された一通の書簡を、しばらく無言で眺めていた。

 装飾は最低限。
 封蝋も簡素。
 だが、紙質と筆致から分かる――無駄を嫌う人物だ。

「隣国の、公爵家……」

 ノエリアは、静かに封を切った。

 内容は短く、要点だけが書かれている。

> 形式的な結婚を提案する。
互いの生活に干渉しない。
愛情や義務は求めない。
必要なのは、信頼のみ。



 ノエリアは、最後の一文をもう一度読んだ。

(……信頼、だけ)

 それは、これまで届いたどの縁談にもなかった言葉だった。

「執事長」

「はい」

「この方と、一度お会いしたいですわ」

 執事長は、一瞬、言葉を失った。

「……お嬢様。
 初めてでございますね」

「例外ですから」

 それ以上の説明はしなかった。


---

 数日後。
 王都から少し離れた、落ち着いた離宮で面談は行われた。

 指定された時刻より、五分早く到着したノエリアは、控えの間で静かに待っていた。

(早く来すぎましたかしら)

 だが、扉が開いたのは、その一分後だった。

「失礼する」

 低く、落ち着いた声。

 現れたのは、背の高い男性だった。
 華美な装いはなく、装飾も最低限。
 だが、その立ち姿には、余計な緊張感がなかった。

「隣国公爵、――ヴァルデリオと申します」

 名乗りながら、一礼。
 深すぎず、浅すぎず。

 ノエリアは、瞬時に判断した。

(……この方、疲れませんわ)

「ノエリア・ヴァンローゼでございます」

 二人は向かい合って座った。

 沈黙。

 だが、不思議と居心地が悪くない。

「……本題に入ろう」

 ヴァルデリオは、前置きなく切り出した。

「私の提案は、手紙に書いた通りだ」

「はい」

「互いの生活に干渉しない。
 感情的な義務も求めない」

 ノエリアは頷いた。

「確認させてくださいませ」

「どうぞ」

「形式的、とは?」

「世間体を満たすための婚姻だ」

 即答だった。

「必要なら、公の場では夫婦として振る舞う。
 だが、私生活は別だ」

(明快ですわね)

 ノエリアは、内心で少しだけ安堵した。

「……なぜ、わたくしなのです?」

 この問いに、ヴァルデリオは一瞬だけ考えた。

「理由は三つある」

 三つ。
 多すぎず、少なすぎず。

「一つ。
 君は、公の場で事実を歪めなかった」

 ノエリアは、少し目を瞬かせた。

「二つ。
 曖昧にせず、自分を守る言葉を選んだ」

 そして。

「三つ。
 それを、勝つために使っていない」

 その言葉に、ノエリアは思わず問い返した。

「……それは、どういう意味でしょう?」

「君は、誰かを貶めようとしていなかった」

 ヴァルデリオの視線は、冷静だった。

「ただ、誤解されたくなかっただけだ」

 ――見抜かれている。

 ノエリアは、初めて小さく息を吐いた。

「……はい。その通りですわ」

 それ以上、取り繕う気も起きなかった。

「正直に申し上げます」

 ノエリアは、背筋を伸ばす。

「わたくしは、静かに暮らしたいだけです」

「私もだ」

 即答。

「だからこそ、この提案は合理的だ」

 二人の間に、短い沈黙が落ちる。

 だが、それは確認のための時間だった。

「一つ、条件を追加しても?」

 ノエリアが言う。

「構わない」

「互いに――
 無理をしないこと」

 ヴァルデリオは、一瞬だけ目を細めた。

「同意する」

 それだけだった。


---

 面談を終え、馬車に戻る途中。

 執事長が、恐る恐る尋ねた。

「いかがでしたか……?」

 ノエリアは、少し考えてから答えた。

「……とても、楽でした」

 それは、彼女にとって最大級の評価だった。

 その頃、王宮では。

「……隣国公爵?」

 アルベリク・フォン・アーデルハインは、報告書を見て顔を歪めた。

「なぜ……
 なぜ、あんな男が……!」

 だが、答えは簡単だった。

 彼は、何も求めなかった。
 だから、選ばれた。

 その夜。

 ノエリアは、久しぶりに穏やかな眠りについた。

(……この選択は、正しかったかもしれませんわ)

 まだ恋ではない。
 だが――

 初めて、安心できる未来が見えた夜だった。


---
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