白い結婚のはずでしたが、理屈で抗った結果すべて自分で詰ませました

鷹 綾

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第9話 世間体という名の打ち合わせ

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第9話 世間体という名の打ち合わせ

 白い結婚――という言葉が、ここまで独り歩きするとは。

 ノエリア・ヴァンローゼは、窓辺で紅茶を飲みながら、静かにため息をついた。

(便利な言葉だと思ったのですけれど……
 どうして“覚悟”や“尊厳”まで付随するのかしら)

 そこへ、執事長が控えめに声をかける。

「お嬢様。
 隣国公爵ヴァルデリオ様より、
 “世間体のすり合わせ”について、直接お話ししたいと」

「……でしょうね」

 否定はできない。
 むしろ、避けては通れない。

「お受けしますわ」

 ノエリアは即答した。


---

 面談の場として選ばれたのは、王都郊外の静かな迎賓用別邸だった。
 人目は少なく、しかし形式は保たれる――彼ららしい選択だ。

 ノエリアが到着すると、すでにヴァルデリオは席に着いていた。

「お久しぶりです」

「……早いな」

「待たせるのは好みませんの」

 それだけで、場の空気が和らぐ。

 互いに着席し、侍従が下がると、自然と沈黙が訪れた。

 だが、不思議と居心地が悪くない。

「……まず、謝罪を」

 沈黙を破ったのは、ヴァルデリオだった。

「“白い結婚”という言葉が、
 想定以上に広まった」

「いえ。
 否定しなかったのは、わたくしも同じですわ」

 ノエリアは首を横に振る。

「否定すれば、余計に話が膨らむことは分かっていました」

「同意だ」

 短い返答。
 だが、理解は完全に一致している。

「そこで、確認したい」

 ヴァルデリオは、淡々と続けた。

「世間では、我々の関係は
 “婚約ほぼ確定”として扱われている」

「ええ」

「それを、どこまで許容する?」

 ノエリアは少し考えた。

(事実と誤解の境界線……)

「訂正は、必要最小限で」

「理由は?」

「訂正するほど、注目されます」

「……合理的だ」

 ヴァルデリオは、ほんの一瞬だけ口元を緩めた。

「では、振る舞いの指針を決めよう」

 机の上に、簡素なメモが置かれる。

「公の場では、互いを尊重する夫婦候補として振る舞う」

「“仲睦まじく”は?」

「不要」

「助かりますわ」

 ノエリアは即答した。

「視線や距離感も、最低限で」

「はい」

「過度な演出、贈り物、意味深な発言――」

「しない」

 そのテンポの良さに、ノエリアは思わず微笑んだ。

(この方、本当に楽ですわ)

 ふと、ノエリアは一つ気になっていたことを口にする。

「……なぜ、訂正しないのです?」

「何を?」

「“白い結婚”という言葉を」

 ヴァルデリオは、一拍置いて答えた。

「盾になる」

 短い言葉だった。

「今の君にとって、あの言葉は」

 ノエリアは、少しだけ目を見開いた。

「……そう、ですわね」

 否定できなかった。

 白い結婚という噂は、
 彼女に無遠慮な縁談や詮索が届くのを、確実に減らしている。

「それに」

 ヴァルデリオは、視線を逸らさずに続ける。

「君は、あの言葉を利用していない」

「……はい」

「だから、歪まない」

 ノエリアは、初めて“評価されている”と感じた。

 条件でも、立場でもなく――
 姿勢を。

「一つ、確認しても?」

 今度はノエリアが尋ねる。

「どうぞ」

「この結婚が……
 もし、想定外に変質した場合」

 言葉を選ぶ。

「“白”でなくなった場合でも、
 無理は、なさいませんか?」

 ヴァルデリオは、すぐには答えなかった。

 だが、その沈黙は誠実だった。

「……無理はしない」

「約束、できます?」

「ああ」

 即答だった。

 それだけで、十分だった。


---

 面談を終え、別邸を出るとき。

 ノエリアは、ふと気づく。

(……この方といると、
 説明しなくていいことが多いですわ)

 安心、という言葉が浮かぶ。

 その頃、王宮では。

「世間体のすり合わせ……?」

 アルベリク・フォン・アーデルハインは、報告を聞いて顔を歪めた。

「そんな冷たい関係で……
 なぜ、あんなに評価される……」

 側近は、静かに答えた。

「殿下。
 冷たいのではありません」

「……?」

「無理がないのです」

 アルベリクは、理解できなかった。

 なぜなら――
 彼は常に、“自分の理想”を相手に押し付けてきたからだ。

 夜。

 ノエリアは、屋敷に戻り、久しぶりに日記を開いた。

『今日、世間体について話し合った。
 驚くほど、疲れなかった。』

 一行書いて、ペンを止める。

(……これは、悪くありませんわ)

 恋ではない。
 だが、確かに――
 一緒にいる未来を、想像できる相手だった。

 白い結婚は、まだ白い。

 けれどその白は、
 冷たさではなく――
 余白で満ちていた。

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