白い結婚のはずでしたが、理屈で抗った結果すべて自分で詰ませました

鷹 綾

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第16話 伝説は、廊下で生まれる

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第16話 伝説は、廊下で生まれる

 それは、本当に些細な出来事だった。

 朝、ノエリア・ヴァンローゼはいつも通りの時間に起き、
いつも通り紅茶を淹れ、
いつも通り書斎へ向かおうとしていた。

 ただ一つ、いつもと違ったのは――
 公爵邸の廊下が、少しだけ冷えていたことだ。

「……冷えますわね」

 小さく呟いた、その瞬間。

「そうか」

 背後から、低い声。

 振り返ると、隣国公爵ヴァルデリオが立っていた。
 朝の巡回中らしく、書類を片手にしている。

「では、暖炉の火を強めさせよう」

「……いえ、そこまででは」

「必要だ」

 即答。

 それだけ言うと、近くにいた執事に短く指示を出す。

「東廊下、温度を上げろ」

「承知しました」

 ノエリアは、少し考えた。

(……確かに、冷えは万病の元ですわ)

 それ以上、気にすることはなかった。

 ――だが。


---

 その十分後。

「聞きました?」

「ええ……」

「公爵様、
 ノエリア様が“寒い”と一言おっしゃっただけで……」

「邸内の温度調整を……」

「即座に……」

 使用人たちの間に、静かな衝撃が走る。

(……溺愛……)

 だが、これはまだ序章にすぎなかった。


---

 午前。

 ノエリアは書斎で帳簿を確認していた。
 集中していると、どうしても飲み物を忘れがちになる。

「……」

 無言でページをめくる、その横に。

 ことり。

 音もなく、カップが置かれた。

 顔を上げると、ヴァルデリオだった。

「……?」

「紅茶だ。
 温度は、少し高め」

「……ありがとうございます」

 それだけ。

 彼は、何事もなかったように立ち去った。

 ノエリアは、内心で頷く。

(……仕事の合間に飲み物を忘れる癖、
 覚えられていましたのね)

 合理的だ。
 気が利く。

 ただ、それだけのこと。

 ――のはずだった。


---

 数分後。

「見ました……?」

「ええ……」

「無言で、
 しかも温度まで把握して……」

「……溺愛……」

 使用人たちのメモ帳に、
 《公爵様、紅茶の温度を把握》
 という謎の項目が追加された。


---

 昼。

 ノエリアは中庭を歩いていた。

 日差しは強くないが、少し眩しい。

「……」

 目を細めた、その瞬間。

 影が、すっと差し込む。

 ヴァルデリオが、立ち位置をずらしていた。

「……?」

「目に入る」

「……ああ」

 それだけ。

 ノエリアは、普通に納得した。

(直射日光は、確かに目に悪いですわ)

 そのまま、歩き続ける。


---

 だが、その光景を遠くから見ていた使用人が、凍りついた。

(……言葉もなく……)
(影になる位置へ……)
(計算された守り……)

 その日の午後には、
 《太陽光から守る公爵》
 という見出しが、なぜか完成していた。


---

 夕方。

 ノエリアは、自室で読書をしていた。

 集中しすぎて、気づかなかった。

 ――ノックがあったことに。

「……」

 返事がない。

 数秒後、再びノック。

「……?」

 ノエリアは顔を上げ、ようやく気づいた。

「失礼しました、どうぞ」

 入ってきたのは、ヴァルデリオだった。

「……集中していたか」

「ええ」

「邪魔をしたなら、すまない」

「いえ。
 ちょうど区切りでした」

 その会話を、廊下の向こうで聞いていたメイドが、息を呑む。

(……集中を乱さないよう、
 二度ノック……)

(……溺愛……)


---

 夜。

 使用人会議が、ひっそりと開かれていた。

「本日の事例をまとめます」

 メイド長が、真剣な表情で紙を広げる。

「一、寒さを感じた一言で、邸内温度調整」

「二、言葉なく、好みの温度の紅茶を提供」

「三、日差しを遮る立ち位置調整」

「四、読書中は二度ノック」

 沈黙。

「……これは」

「溺愛……ですよね?」

「……否定材料がありません」

 結論は、満場一致だった。


---

 一方その頃。

 当の本人。

 ノエリアは、ベッドに腰掛け、今日一日を振り返っていた。

(今日も、特に何も起きませんでしたわね)

 静かで、落ち着いていて、
 無理がない。

 ただそれだけ。

 そこへ、短い書簡が届く。

> 明日、天候が崩れる予報だ。
外出予定があれば、変更しても構わない。



 ノエリアは、少し考えてから返す。

> 承知しました。
調整します。



 それだけ。

 だが、そのやり取りを見た侍女が、震えた。

(予定まで、
 気遣って……)

(……溺愛……)


---

 翌朝。

 王都では、すでに噂が完成していた。

「公爵様、
 ノエリア様の体調と集中力と日差しを
 すべて管理しているらしいですわ」

「もう、生活そのものが溺愛……」

 その噂を聞いたノエリアは、首を傾げる。

「……管理?」

 侍女は、そっと目を逸らした。

「いえ……
 “尊重”かと……」

「でしたら、問題ありませんわ」

 その一言が、
 伝説を確定させたことを、
 彼女はまだ知らない。


---

 白い結婚(予定)生活、二日目。

 何も起きていないのに、
 逸話だけが量産されていく。

 そして――
 無自覚戦略無双ヒロインは、
 今日も何一つ、狙っていなかった。


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