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第19話 通常運転という名の異常事態
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第19話 通常運転という名の異常事態
ノエリア・ヴァンローゼは、自分が変わっていないことを、はっきり自覚していた。
起床時間は同じ。
紅茶の温度も同じ。
仕事の進め方も、読書の速度も、何一つ変わらない。
(……昨日と同じですわ)
昨日、“少し甘いかもしれない”と認識したにもかかわらず。
(特に問題は、起きていません)
だから結論は簡単だった。
(ならば、このままでよろしいですわね)
――これが、ノエリア基準の通常運転である。
---
しかし。
その通常運転は、周囲から見ると異常事態だった。
「おはようございます、ノエリア様」
「おはようございます」
朝の挨拶。
声のトーンは穏やか。
それだけで、侍女が一瞬硬直する。
(……柔らかい……?)
以前と比べて、ほんのわずか。
0.5度ほど、角が取れただけ。
だが、侍女の脳内では警鐘が鳴り響いていた。
(これは……)
(進展……!?)
---
午前中。
書斎。
ノエリアは帳簿を確認しながら、気づいたことを口にする。
「この数字、少し合いませんわね」
「……確かに」
ヴァルデリオは、すぐに該当箇所を確認する。
「計算の途中で、条件が変わっている」
「修正可能ですか?」
「ああ。
今日中に直す」
「助かります」
――そこで終わる。
余計な言葉はない。
視線も絡まない。
だが。
その一連のやり取りを見ていた文官が、心の中で叫ぶ。
(……息が合いすぎでは!?)
(説明不要!?)
(夫婦……!?)
ノエリアは、そんな視線に気づきもしない。
(効率的ですわね)
それだけ。
---
昼。
食事は各自。
それも、変わらない。
ノエリアは自室で軽食を取りながら、本を読んでいた。
そこへ、メイドがそっと声をかける。
「ノエリア様、
本日はお天気がよろしいので、
中庭でのお食事も――」
「ありがとうございます。
ですが今日は、こちらで」
柔らかく断る。
以前と同じ対応。
だが、メイドは一歩引きつつ、内心で震える。
(……断り方が、優しい……)
(拒絶じゃない……)
(これは……心を許している……!?)
違う。
単に、気分だ。
---
午後。
ノエリアは庭園を散策していた。
日差しは穏やか。
歩調も、一定。
そこへ、自然と並ぶ影。
ヴァルデリオだった。
以前なら、
「影になる位置に立つ」
という動きが目立っていた。
だが今日は。
ただ、並んで歩くだけ。
「……」
「……」
沈黙。
不快ではない。
(……昨日なら)
ノエリアは、ふと思う。
(この沈黙を、
“甘い”と感じたかもしれません)
だが今は。
(……ただ、静かですわね)
それで終わり。
自覚したからといって、
常に意識する必要はない。
それが、ノエリア流だった。
---
一方。
使用人たちは、完全に混乱していた。
「今日……
何かありました?」
「いいえ……
何も……」
「でも……
雰囲気が……」
メイド長が、冷静にまとめる。
「変化は、ありません」
「ありませんが……」
「ありませんが……?」
「“自然すぎる”のです」
沈黙。
「……それが一番、危険では?」
誰かが、ぽつりと言った。
---
夕方。
ノエリアは書簡を書いていた。
内容は事務的。
だが、最後に一行付け足す。
> 本日は、予定通り進みました。
それだけ。
以前なら、不要だった一文。
(……報告というほどでもありませんが)
なぜ書いたのか、
本人にも説明できない。
ただ。
(……伝えても、差し支えないと感じました)
それだけ。
---
夜。
ヴァルデリオは、その書簡を読んでいた。
> 本日は、予定通り進みました。
短い。
だが、彼は小さく息を吐いた。
「……無理はしていないな」
それが確認できただけで、十分だった。
――深読みはしない。
期待もしない。
だが、安心はする。
それが、彼の通常運転だった。
---
同じ夜。
ノエリアはベッドに入り、目を閉じる。
(……今日も、平和でしたわ)
甘さを自覚したからといって、
急に何かが変わるわけではない。
それを理解している自分に、
少しだけ、満足する。
(……焦る必要は、ありません)
焦らなければ壊れない。
それが、彼女の人生哲学だ。
---
しかし。
王都では。
「ノエリア様、
隣国で完全に“落ち着いた妻”になったそうですわ」
「しかも、
公爵様と毎日自然体……」
「……戻る場所、
ありませんわね」
噂は、さらに磨かれていた。
当事者が最も冷静で、
周囲が最も熱狂している。
それが、この関係の現状だった。
---
白い結婚(予定)生活。
第19日目。
ノエリア・ヴァンローゼは、
甘さを自覚したまま、
何一つ変えなかった。
そしてその姿勢こそが――
周囲にとって、
最大級の破壊力を持っていた。
-
ノエリア・ヴァンローゼは、自分が変わっていないことを、はっきり自覚していた。
起床時間は同じ。
紅茶の温度も同じ。
仕事の進め方も、読書の速度も、何一つ変わらない。
(……昨日と同じですわ)
昨日、“少し甘いかもしれない”と認識したにもかかわらず。
(特に問題は、起きていません)
だから結論は簡単だった。
(ならば、このままでよろしいですわね)
――これが、ノエリア基準の通常運転である。
---
しかし。
その通常運転は、周囲から見ると異常事態だった。
「おはようございます、ノエリア様」
「おはようございます」
朝の挨拶。
声のトーンは穏やか。
それだけで、侍女が一瞬硬直する。
(……柔らかい……?)
以前と比べて、ほんのわずか。
0.5度ほど、角が取れただけ。
だが、侍女の脳内では警鐘が鳴り響いていた。
(これは……)
(進展……!?)
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午前中。
書斎。
ノエリアは帳簿を確認しながら、気づいたことを口にする。
「この数字、少し合いませんわね」
「……確かに」
ヴァルデリオは、すぐに該当箇所を確認する。
「計算の途中で、条件が変わっている」
「修正可能ですか?」
「ああ。
今日中に直す」
「助かります」
――そこで終わる。
余計な言葉はない。
視線も絡まない。
だが。
その一連のやり取りを見ていた文官が、心の中で叫ぶ。
(……息が合いすぎでは!?)
(説明不要!?)
(夫婦……!?)
ノエリアは、そんな視線に気づきもしない。
(効率的ですわね)
それだけ。
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昼。
食事は各自。
それも、変わらない。
ノエリアは自室で軽食を取りながら、本を読んでいた。
そこへ、メイドがそっと声をかける。
「ノエリア様、
本日はお天気がよろしいので、
中庭でのお食事も――」
「ありがとうございます。
ですが今日は、こちらで」
柔らかく断る。
以前と同じ対応。
だが、メイドは一歩引きつつ、内心で震える。
(……断り方が、優しい……)
(拒絶じゃない……)
(これは……心を許している……!?)
違う。
単に、気分だ。
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午後。
ノエリアは庭園を散策していた。
日差しは穏やか。
歩調も、一定。
そこへ、自然と並ぶ影。
ヴァルデリオだった。
以前なら、
「影になる位置に立つ」
という動きが目立っていた。
だが今日は。
ただ、並んで歩くだけ。
「……」
「……」
沈黙。
不快ではない。
(……昨日なら)
ノエリアは、ふと思う。
(この沈黙を、
“甘い”と感じたかもしれません)
だが今は。
(……ただ、静かですわね)
それで終わり。
自覚したからといって、
常に意識する必要はない。
それが、ノエリア流だった。
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一方。
使用人たちは、完全に混乱していた。
「今日……
何かありました?」
「いいえ……
何も……」
「でも……
雰囲気が……」
メイド長が、冷静にまとめる。
「変化は、ありません」
「ありませんが……」
「ありませんが……?」
「“自然すぎる”のです」
沈黙。
「……それが一番、危険では?」
誰かが、ぽつりと言った。
---
夕方。
ノエリアは書簡を書いていた。
内容は事務的。
だが、最後に一行付け足す。
> 本日は、予定通り進みました。
それだけ。
以前なら、不要だった一文。
(……報告というほどでもありませんが)
なぜ書いたのか、
本人にも説明できない。
ただ。
(……伝えても、差し支えないと感じました)
それだけ。
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夜。
ヴァルデリオは、その書簡を読んでいた。
> 本日は、予定通り進みました。
短い。
だが、彼は小さく息を吐いた。
「……無理はしていないな」
それが確認できただけで、十分だった。
――深読みはしない。
期待もしない。
だが、安心はする。
それが、彼の通常運転だった。
---
同じ夜。
ノエリアはベッドに入り、目を閉じる。
(……今日も、平和でしたわ)
甘さを自覚したからといって、
急に何かが変わるわけではない。
それを理解している自分に、
少しだけ、満足する。
(……焦る必要は、ありません)
焦らなければ壊れない。
それが、彼女の人生哲学だ。
---
しかし。
王都では。
「ノエリア様、
隣国で完全に“落ち着いた妻”になったそうですわ」
「しかも、
公爵様と毎日自然体……」
「……戻る場所、
ありませんわね」
噂は、さらに磨かれていた。
当事者が最も冷静で、
周囲が最も熱狂している。
それが、この関係の現状だった。
---
白い結婚(予定)生活。
第19日目。
ノエリア・ヴァンローゼは、
甘さを自覚したまま、
何一つ変えなかった。
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周囲にとって、
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