白い結婚のはずでしたが、理屈で抗った結果すべて自分で詰ませました

鷹 綾

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第26話 前提という名の足場

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第26話 前提という名の足場

 ノエリア・ヴァンローゼは、ふとした瞬間に気づいてしまった。

(……最近)

(“白い結婚(予定)”という言葉を、
 誰も口にしませんわね)

 それは、違和感というほど強いものではなかった。
 むしろ、
 思い出そうとしなければ、思い出さない程度の変化。

 だからこそ、厄介だった。


---

 朝。

 ノエリアは、いつも通りの時間に起き、
 いつも通り紅茶を淹れた。

 湯気の立ち方も、
 香りも、
 昨日と変わらない。

(……変化は、ありません)

 そう判断して、
 いつも通り一日を始める。

 だが。

 前提だけが、
 どこにも書いていない。


---

 午前中。

 書斎での作業。

 ヴァルデリオは、
 以前よりも少しだけ、
 同じ空間にいる時間が増えていた。

 理由は単純だ。

 業務効率が、
 最も高いから。

「……この案」

 ノエリアが言う。

「一度、現場に確認した方がよろしいですわね」

「そうだな」

 即答。

「視察の手配をする」

「……ありがとうございます」

 そこで、
 いつもなら一拍置く。

 “これは業務上の判断”
 という線引きを、
 頭の中で確認する。

 だが今日は。

(……確認していませんわね)

 感情ではなく、
 無意識で。


---

 昼。

 珍しく、
 同じ時間帯に中庭に出た。

 食事を共にするわけではない。
 ただ、
 同じ空気を吸うだけ。

「……今日は、
 少し風があります」

「ええ」

 それだけの会話。

 沈黙は、
 以前と変わらず自然。

 だが、
 ノエリアは思う。

(……この沈黙に、
 “距離を保つ意図”が
 含まれていません)

 前は、あった。

 今は、ない。


---

 午後。

 メイド長が、
 珍しく言葉を選びながら
 声をかけてきた。

「ノエリア様……」

「はい?」

「その……
 お部屋の調整について、
 ご相談が……」

「調整、ですか」

「はい。
 隣室の使用予定を……」

 ノエリアは、
 そこで初めて気づいた。

(……隣室?)

 あれは、
 **“空けておく前提”**だったはずだ。

「……どのような調整でしょう」

「公爵様の執務時間が増え、
 移動が非効率になるため……」

 言葉を濁す。

「生活動線を、
 少し……」

 ノエリアは、
 ゆっくりと理解した。

(……白い結婚(予定)だから、
 空けていたわけではなく)

(……単に、
 “使っていなかった”だけ)

「……問題ありません」

 そう答えてから、
 ほんの一瞬、
 遅れて気づく。

(……“前提”を、
 確認していませんわね)


---

 夕方。

 ヴァルデリオが、
 いつもより少し遅く
 執務を終えた。

「……今日は、
 ここまでにする」

「お疲れ様です」

 ノエリアは、
 自然にそう言った。

 その言葉に、
 彼が一瞬だけ
 足を止めたことに、
 気づかなかったふりをする。

 ――それも、
 無意識だった。


---

 夜。

 ノエリアは、
 自室で日記を開いた。

 いつも通り、
 簡潔に書く。

『特に、
 問題はなかった。』

 そこで、
 ペンが止まる。

(……“白い結婚(予定)”)

(……今日、
 一度も考えませんでしたわね)

 言葉にすると、
 重くなる。

 だから、
 書かない。

 だが、
 書かないこと自体が、
 変化の証拠だった。


---

 同じ夜。

 ヴァルデリオは、
 報告書を閉じ、
 静かに椅子にもたれた。

(……最近)

(……線を引いていない)

 意図的ではない。

 ただ、
 引く必要を感じない。

(……これは)

 彼は、
 それ以上考えるのをやめた。

 前提が揺らぐとき、
 無理に確認すれば、
 壊れる。

 彼は、
 それをよく知っている。


---

 数日後。

 使用人たちは、
 すでに確信していた。

「……“予定”って、
 何でしたっけ?」

「さあ……」

「でも……」

「誰も、
 守ってませんよね」

 誰も、
 口に出して言わない。

 だが、
 全員が察している。


---

 ノエリアは、
 その視線に気づきながら、
 気づかないふりをする。

(……急ぐ理由は、
 ありません)

 前提が揺らいだだけ。

 崩れたわけではない。

 だが。

(……足場は、
 確かに変わりましたわね)

 それを、
 否定しない。


---

 白い結婚(予定)生活。

 第26日目。

 “白い”という前提は、
 誰にも触れられないまま、
 静かに置き去りにされた。

 まだ、
 色はついていない。

 だが――
 白である理由も、
 もはや存在していなかった。


-
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