白い結婚のはずでしたが、理屈で抗った結果すべて自分で詰ませました

鷹 綾

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第35話 それは恋ではありません(本人談)

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第35話 それは恋ではありません(本人談)

 ノエリア・ヴァンローゼは、最近、非常に冷静だった。

 心が乱れることもなく、
 判断に迷うこともなく、
 日々は驚くほど穏やかに流れている。

(……精神的に、
 とても安定していますわ)

 これは間違いない。

 事実、
 夜もよく眠れるし、
 朝の目覚めも良い。

 悩みが減った証拠だ。

 ――そう、
 ノエリア本人は結論づけていた。


---

 その日、彼女は書斎で資料整理をしていた。

 机の向かいには、
 ヴァルデリオ。

 いつも通り、
 特別な会話はない。

 だが。

「……」

 ノエリアは、
 ふと手を止めた。

(……静かですわね)

 音がないわけではない。
 紙の擦れる音、
 羽ペンの音。

 ただ、
 余計な緊張がない。

 それが、
 どうにも不思議だった。


---

(……以前なら)

(殿方と長時間、
 二人きりの空間など、
 多少は意識したはず)

 だが今。

(……何も、
 起きません)

 心拍数も、
 変わらない。

 頬も、
 熱くならない。

 だからこそ。

(……なるほど)

(これは、
 恋ではありませんわね)

 完全に誤った結論に、
 堂々と到達した。


---

 その瞬間。

「……?」

 ヴァルデリオが、
 ノエリアの視線に気づく。

「何か?」

「いいえ」

 即答。

 だが、
 ノエリアは内心で頷いていた。

(ええ、
 やはり違います)

(恋なら、
 もっとこう……
 動揺するはずですもの)

 ※この理論は、
 過去の恋愛経験が
 皆無であることに
 起因している。


---

 午後。

 メイド長が、
 書類を届けに来た。

「ノエリア様」

「はい?」

「こちら、
 公爵様からの
 確認事項です」

 ノエリアは、
 自然に受け取り、
 中身を確認する。

(……あら)

(この修正、
 私が考えていた案と
 一致していますわ)

 胸の奥が、
 少し軽くなる。

 ――だが。

(……これは)

(意思疎通が
 円滑というだけですわね)

 すぐに否定。

 ノエリアの中で、
 “恋”という可能性は
 徹底的に排除されている。


---

 その様子を見ていた
 メイド長は、
 内心で頭を抱えていた。

(……ここまで来て、
 まだ自覚なさらない……)

 使用人一同、
 すでに結論は一致している。

 ――当人だけが
 最後尾。


---

 夕方。

 中庭での休憩。

 ノエリアは、
 ベンチに座り、
 紅茶を飲んでいた。

 ヴァルデリオは、
 少し離れた位置。

 距離は、
 適切。

 近すぎず、
 遠すぎず。

(……この距離感)

(とても、
 理想的ですわ)

 そこで、
 またもや誤った分析が入る。

(……つまり)

(これは、
 “安定した協力関係”)

 ※恋愛要素、
 ゼロ判定。


---

「……最近」

 ヴァルデリオが、
 不意に口を開く。

「落ち着いているな」

 ノエリアは、
 即座に頷いた。

「ええ。
 とても」

「それは……」

 言いかけて、
 彼は言葉を止める。

 ノエリアは、
 その沈黙を
 まったく別方向に解釈した。

(……ああ)

(私の精神状態を
 評価していらっしゃるのね)

「ご心配なく」

 にこやかに言う。

「情緒は
 非常に安定していますわ」

 ヴァルデリオは、
 一瞬だけ
 表情を固めた。

「……そうか」

 それ以上、
 何も言わない。


---

 夜。

 ノエリアは、
 日記を開いた。

『最近、
 とても落ち着いている。』

 一行空ける。

『胸が苦しくなることもなく、
 動揺もしない。』

 さらに一行。

『よって、
 これは恋ではない。』

 ペンを置く。

 満足そうに頷く。

 ――完全に間違っているが、
 本人は確信している。


---

 同じ夜。

 使用人控室。

「……どう思う?」

「もう、
 言う段階は
 過ぎましたね」

「ええ」

「ここまで来たら、
 本人が気づくまで
 放置が一番です」

 全会一致。


---

 ヴァルデリオは、
 執務室で書類を閉じ、
 静かに天井を仰いだ。

(……恋でない、か)

 否定しない。

 彼女がそう言うなら、
 それでいい。

 ただ。

(……それでも、
 離れる気は
 一切ない)

 それだけが、
 揺るがない。


---

 白い結婚(予定)生活。

 第35日目。

 ノエリア・ヴァンローゼは、
 恋愛自覚の扉の前で、
 堂々と別の方向に曲がった。

 しかも自信満々で。

 ――だが。

 扉の向こうにあるものが
 すでに彼女の日常になっていることを、
 本人だけが
 まだ理解していない。


---
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