婚約破棄されて去ったら、私がいなくても世界は回り始めました

鷹 綾

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第二十二話 戻れない距離

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第二十二話 戻れない距離

 

 王都と隣国の距離は、地図の上では変わらない。

 だが今、その距離は――
 制度と覚悟の差として、はっきりと形を持っていた。

 

 

 王都では、改革案の第一弾が施行されていた。

 決裁段階は簡略化され、
 担当官に一定の裁量が与えられる。

 ――紙の上では、理想的だ。

 

「……実際に、回ってみてどうだ」

 アントナン・ドームの問いに、側近は慎重に答える。

「案件によって、ばらつきがあります」 「判断が早い部署もあれば、逆に止まる部署も」

 

 アントナンは、苦く頷いた。

(……予想通りだ)

 裁量を与えただけでは、解決しない。
 判断の“軸”が、共有されていないのだから。

 

「結局、人に依存しているな」

「はい」

 側近は、率直に言った。

「優秀な者がいる部署は回り、いない部署は止まります」

 

 それは、かつての王宮そのものだった。

 一人が支え、
 抜けた瞬間に、崩れる。

 

 

 同じ頃、隣国。

 官庁の一室では、小さな実務会合が開かれていた。

 議題は、地方都市から上がってきた緊急要請。

 情報は不完全。
 期限は短い。

「……この条件、どう見る?」

 若手官吏が、隣の同僚に問いかける。

「目的は?」 「……物流停止の回避です」

「制約は?」 「予算と人員」

「選択肢は?」

 二人は、自然に三点を確認する。

 エミーが教えた“型”だ。

 

 エミーは、少し離れた場所から、その様子を見ていた。

 口を出す必要はない。

(……使われている)

 それだけで、十分だった。

 

 

 会合の結論は、迅速だった。

 完璧ではない。
 だが、破綻しない。

「後で修正できる案です」

 若手官吏の言葉に、上司が頷く。

「よし、進めよう」

 

 誰も、エミーの顔を見ない。

 それが、成功の証だった。

 

 

 夕刻。

 ガイストは、報告を受けながら言った。

「君がいなくても、判断が進み始めている」

「それが、理想です」

 エミーは、穏やかに答える。

「私が戻れなくなる距離を、作っていますから」

 

「後悔は?」

「ありません」

 即答だった。

 

 

 夜。

 王都では、別の動きがあった。

「……隣国の判断速度、異常だな」 「誰が仕切っている?」

「……マイセン公爵令嬢、だろう」

 その名は、もう避けられていない。

 だが、続く言葉は――

「いや、違う」 「今は、“仕組み”だ」

 

 それを理解できる者が、ようやく現れ始めていた。

 

 

 王宮の書斎。

 アントナンは、静かに言った。

「……彼女は、もう戻れないな」

 それは諦めではなく、理解だった。

「戻れば壊れる」 「今の隣国の仕組みも、我々の改革も」

 

 側近は、何も言わなかった。

 

 

 同じ夜。

 エミーは、宿舎の灯りを落とし、静かに目を閉じる。

 遠く離れた王都のことを、思い出さないわけではない。

 だが、そこに未練はない。

 

 戻れない距離とは、物理的なものではない。
 価値観と覚悟の差が生む、不可逆の距離だ。

 

 王都は、これから変わるだろう。

 だがそれは、
 エミー・マイセンがいない前提で作られる未来。

 

 そして彼女は、
 誰かの不足を埋めるために戻る女ではない。

 自分が不要になる仕組みを作るために、
 前へ進む女だった。

 

 その距離は、もう――
 戻るには、遠すぎた。
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