正解を出さない私たちが、それでも前に進めた理由

鷹 綾

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第2話 真実を映す鏡

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第2話 真実を映す鏡

 広間に残された沈黙は、重く、息苦しかった。

 クロエは俯いたまま、自分の指先を見つめていた。
 震えてはいない。けれど、胸の奥が静かに軋んでいる。

 ——やっぱり、そうだよね。

 どこへ行っても、自分は「余計な存在」だ。
 必要とされているようで、実際は都合よく期待され、すぐに疑われる。

 そんなこと、もう慣れているはずなのに。

「……陛下」

 沈黙を破ったのは、先ほどの冷たい声だった。

 顔を上げると、騎士団長アストールが、玉座の前に片膝をついている。

「この者を王妃候補として扱う件、再考を。
 鏡の力は、扱いを誤れば国を裂きます」

 はっきりとした反対。
 遠慮も、配慮もない。

 クロエの胸が、ぎゅっと縮こまる。

「……聞こえているか、アストール」

 国王はため息をつき、ゆっくりと玉座に腰を下ろした。

「わかっておる。だがな、鏡が反応した事実は覆せぬ」

 国王はクロエに視線を向ける。

「クロエ、と言ったな」

「……はい」

 名前を呼ばれ、反射的に背筋を伸ばす。

「怖いだろう。だが、そなたを害するつもりはない。
 まずは、この国と“鏡”について知ってもらう必要がある」

 そう言って、国王は合図をした。

 すると、広間の奥から数人の侍女と学者風の老人が現れ、クロエの前に跪く。

「こちらへ」

 促されるまま、クロエは広間を後にした。

 背中に、はっきりと感じる視線。
 振り返らなくても、誰のものかわかる。

 ——騎士団長。

 その視線には、警戒と拒絶が混じっていた。

     *

 案内されたのは、王宮の奥深く。
 人払いされた静かな部屋だった。

 壁一面に書架が並び、中央には、見覚えのある“鏡”が置かれている。

「……ここが、“真実の鏡”の間です」

 学者風の老人が、低く説明した。

「この鏡は、古来より王国を見守ってきました。
 人の心の奥、言葉にされぬ想いを映す鏡」

 クロエは、無意識に一歩後ずさる。

 あの広間で感じた、ぞわりとする感覚。
 まるで、自分の中まで覗かれているような。

「恐れる必要はありません」

 老人は穏やかに言う。

「鏡が反応するのは、“選ばれた者”だけ。
 そして、その者が鏡を見るとき——」

 言葉が途切れた。

 クロエの視線が、鏡に吸い寄せられていた。

 鏡面が、ゆっくりと揺れている。
 水に石を落としたように、波紋が広がる。

「……え?」

 気づいた時には、クロエは鏡の前に立っていた。

 そこに映っているのは、自分自身。
 けれど、どこか違う。

 目が、少しだけ大人びて見える。
 表情が、いつもよりもはっきりしている。

 次の瞬間——。

 鏡の中の自分が、口を開いた。

『……怖い』

 声は、確かにクロエ自身のものだった。

「え……?」

『また、拒絶されるのが怖い』

 喉が、ひゅっと鳴る。

 言葉にしたことのない感情。
 胸の奥に押し込めていたもの。

『期待されるのも、見捨てられるのも、どちらも怖い』

「やめて……」

 思わず、鏡から目を逸らす。

 だが、鏡は容赦しない。

『それでも、本当は——』

 鏡の中の自分が、静かに続ける。

『ここにいてもいい、と言われたかった』

 膝が、がくりと揺れた。

 老人が、静かに頷く。

「これが、鏡の力です。
 自分自身の“真実”を、まず映す」

 クロエは、深く息を吸った。

 胸が痛い。
 けれど、不思議と、嫌ではなかった。

 ——見られてしまった。
 それだけなのに、少しだけ、楽になった気がする。

「では……他者を映してみましょう」

 老人の言葉と同時に、扉が開いた。

 現れたのは——アストールだった。

「……何の用だ」

 相変わらず冷たい声音。

 クロエは、反射的に一歩下がる。

 だが、老人が鏡の前へと彼を導いた。

「騎士団長、失礼を」

「必要ない」

 そう言いながらも、アストールは鏡の前に立った。

 次の瞬間。

 鏡面が、大きく揺れた。

 浮かび上がったのは、文字ではない。
 色と、温度と、感情。

 ——「触れるな」

 ——「近づけるな」

 ——「守れ」

 相反する想いが、激しく渦巻いている。

 クロエは、息を呑んだ。

 拒絶。
 だが、それだけじゃない。

 恐れ。
 焦り。
 そして——強い、保護欲。

「……これは」

 老人が、低く呟く。

「言葉にならぬ本音。
 彼自身も、自覚していない」

 クロエは、思わずアストールを見た。

 彼は鏡を睨みつけ、拳を強く握っている。

「くだらない」

 吐き捨てるように言った。

「感情を覗くなど、気味が悪い」

 そう言って、踵を返す。

 だが、扉の前で足を止めた。

「……クロエ」

 初めて、名を呼ばれた。

 振り返ると、彼は視線を逸らしたまま言う。

「陛下の命だ。
 王宮にいる限り、最低限の安全は保証する」

 それだけ言って、去っていった。

 扉が閉まる。

 静寂。

 クロエは、鏡を見つめた。

 ——拒絶されている。
 でも、完全ではない。

 その事実が、胸の奥に小さな火を灯した。

「……怖い能力、ですね」

 ぽつりと呟く。

 老人は、優しく微笑んだ。

「ええ。
 だからこそ、この力は忌み嫌われてきました」

「でも……」

 クロエは、そっと鏡に手を伸ばす。

「嘘より、ずっと……正直です」

 鏡は、静かに光った。

 その瞬間、クロエは知らず知らずのうちに理解していた。

 ——この鏡は、運命を映すのではない。
 人が“選ばなかった言葉”を、映すのだと。

 そしてそれを見てしまった自分は、もう、元の場所には戻れない。

 静かに、確実に。
 クロエの運命は、動き始めていた。
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