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第一話 黄金の鳥籠
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第一話 黄金の鳥籠
目を覚ました瞬間、天蓋付きの豪奢な寝台が視界いっぱいに広がっていた。
白金の刺繍が施された薄絹のカーテン。磨き上げられた大理石の床。壁には名匠の絵画が何枚も掛けられている。香炉からは上質な香が漂い、窓の外には手入れの行き届いた庭園。
──勝ち組だ。
それが、前世の記憶を取り戻した私の率直な感想だった。
私はどうやら異世界に転生したらしい。それも公爵令嬢という、とんでもない上級身分に。
前世では、朝から晩まで働きづめだった。上司の機嫌を伺い、無茶な案件を押しつけられ、終電で帰る毎日。努力すれば報われると信じていたが、現実は違った。
だから目の前の光景は、まるでご褒美のようだった。
侍女たちが頭を下げる。
「お嬢様、お目覚めでございますか」
柔らかな声音。恭しい態度。
私は鏡を見た。そこに映っていたのは、金色の髪と整った顔立ちを持つ少女。年は十六ほど。華奢で、気品をまとっている。
公爵令嬢アリア・フォン・レーヴェンシュタイン。
それが今の私の名前だった。
衣食住に困らない。勉学も最高水準。宝石もドレスも選び放題。何不自由ない生活。
──最高じゃない。
最初は、本気でそう思った。
だが、違和感はすぐに訪れた。
朝食の席で父、公爵が告げた。
「王太子殿下との婚約が正式に決まった」
それは慶事のはずだった。
侍女も執事も祝福の言葉を口にする。
私は微笑んだ。
「光栄に存じます」
自然にその言葉が出たことに、自分でも驚いた。身体に刻まれた“令嬢の振る舞い”が、勝手に応答したのだ。
だが、父は私の目を見なかった。
「レーヴェンシュタイン家の価値はさらに高まる」
価値。
その単語が胸に刺さる。
私は王太子の婚約者になる。だがそれは、私が選ばれたのではない。
家と家の結びつき。
政治的均衡。
領地の安定。
私は、その一部。
部品。
ふと、前世の感覚が蘇る。
会社の“戦力”と呼ばれた自分。
人材という名の消耗品。
ここでも同じか、と心のどこかで冷笑する。
だが違うのは、待遇だ。
私は大切に扱われる。
豪華なドレスも、最高の教育も、すべて与えられる。
──ただし。
「自由」は、どこにもない。
庭園を歩くにも護衛がつく。街に出ることは滅多に許されない。読書の内容さえ選別される。
ある日、私は父に尋ねた。
「お父様、なぜ女性は領地を継げないのですか?」
父は一瞬だけ目を細め、穏やかに答えた。
「女性は守られる存在だからだ」
それがこの国の常識だった。
法典を調べれば明白だ。女性は家の庇護下にある存在。婚姻すれば夫の庇護下に入る。
庇護。
響きは優しい。
だが本質は支配だ。
契約の署名権も、財産管理も、最終決定権も男性が持つ。
女性は“守られている”。
そして、“管理されている”。
王太子殿下との初対面は、予想外に穏やかだった。
彼は金の髪を持つ美青年で、物腰も柔らかい。
「あなたがアリア嬢ですね。お会いできて光栄です」
その笑顔に偽りはない。
私は少しだけ安堵した。
もしかすると、優しい夫になるのかもしれない。
その日の帰り際、彼は言った。
「望む物、望むことは、可能な限り叶えよう。しかし、私の庇護下にあることを忘れないでほしい」
その言葉は、丁寧だった。
だが、はっきりしていた。
私は、所有物が移動するだけ。
父の元から、彼の元へ。
それがこの国の秩序。
帰りの馬車の中で、私は初めて自問した。
前世より楽か?
肉体的には、確かに。
だが。
意志は?
選択は?
私は何を望む?
考えた瞬間、気づく。
この国で、女性が“望む”こと自体が想定されていない。
豪華な部屋に戻り、窓の外を見る。
遠くに広がる王都。
整然とした街並み。
笑顔の民。
一見、善政。
だが、どこか息苦しい。
前世の記憶が囁く。
「形だけ整っている社会ほど、怖い」
私はまだ知らなかった。
この国が抱えるもう一つの現実を。
隣国との緊張。
奴隷貿易。
そして──
人が人を所有するという思想が、国家の根幹にあるということを。
だが、その時すでに、胸の奥に小さな違和感が芽生えていた。
豪華な鳥籠。
金で飾られた檻。
ここは安全だ。
だが。
ここは、外に出られない。
私は鏡の中の自分を見つめる。
美しく整えられた公爵令嬢。
だがその瞳の奥には、前世の記憶を持つ私がいる。
問いが浮かぶ。
──私は、本当に守られているのだろうか。
それとも。
丁寧に扱われているだけの、“物”なのだろうか。
黄金の鳥籠は、静かにきらめいていた。
まだ、この檻が壊れるとは、誰も思っていない。
目を覚ました瞬間、天蓋付きの豪奢な寝台が視界いっぱいに広がっていた。
白金の刺繍が施された薄絹のカーテン。磨き上げられた大理石の床。壁には名匠の絵画が何枚も掛けられている。香炉からは上質な香が漂い、窓の外には手入れの行き届いた庭園。
──勝ち組だ。
それが、前世の記憶を取り戻した私の率直な感想だった。
私はどうやら異世界に転生したらしい。それも公爵令嬢という、とんでもない上級身分に。
前世では、朝から晩まで働きづめだった。上司の機嫌を伺い、無茶な案件を押しつけられ、終電で帰る毎日。努力すれば報われると信じていたが、現実は違った。
だから目の前の光景は、まるでご褒美のようだった。
侍女たちが頭を下げる。
「お嬢様、お目覚めでございますか」
柔らかな声音。恭しい態度。
私は鏡を見た。そこに映っていたのは、金色の髪と整った顔立ちを持つ少女。年は十六ほど。華奢で、気品をまとっている。
公爵令嬢アリア・フォン・レーヴェンシュタイン。
それが今の私の名前だった。
衣食住に困らない。勉学も最高水準。宝石もドレスも選び放題。何不自由ない生活。
──最高じゃない。
最初は、本気でそう思った。
だが、違和感はすぐに訪れた。
朝食の席で父、公爵が告げた。
「王太子殿下との婚約が正式に決まった」
それは慶事のはずだった。
侍女も執事も祝福の言葉を口にする。
私は微笑んだ。
「光栄に存じます」
自然にその言葉が出たことに、自分でも驚いた。身体に刻まれた“令嬢の振る舞い”が、勝手に応答したのだ。
だが、父は私の目を見なかった。
「レーヴェンシュタイン家の価値はさらに高まる」
価値。
その単語が胸に刺さる。
私は王太子の婚約者になる。だがそれは、私が選ばれたのではない。
家と家の結びつき。
政治的均衡。
領地の安定。
私は、その一部。
部品。
ふと、前世の感覚が蘇る。
会社の“戦力”と呼ばれた自分。
人材という名の消耗品。
ここでも同じか、と心のどこかで冷笑する。
だが違うのは、待遇だ。
私は大切に扱われる。
豪華なドレスも、最高の教育も、すべて与えられる。
──ただし。
「自由」は、どこにもない。
庭園を歩くにも護衛がつく。街に出ることは滅多に許されない。読書の内容さえ選別される。
ある日、私は父に尋ねた。
「お父様、なぜ女性は領地を継げないのですか?」
父は一瞬だけ目を細め、穏やかに答えた。
「女性は守られる存在だからだ」
それがこの国の常識だった。
法典を調べれば明白だ。女性は家の庇護下にある存在。婚姻すれば夫の庇護下に入る。
庇護。
響きは優しい。
だが本質は支配だ。
契約の署名権も、財産管理も、最終決定権も男性が持つ。
女性は“守られている”。
そして、“管理されている”。
王太子殿下との初対面は、予想外に穏やかだった。
彼は金の髪を持つ美青年で、物腰も柔らかい。
「あなたがアリア嬢ですね。お会いできて光栄です」
その笑顔に偽りはない。
私は少しだけ安堵した。
もしかすると、優しい夫になるのかもしれない。
その日の帰り際、彼は言った。
「望む物、望むことは、可能な限り叶えよう。しかし、私の庇護下にあることを忘れないでほしい」
その言葉は、丁寧だった。
だが、はっきりしていた。
私は、所有物が移動するだけ。
父の元から、彼の元へ。
それがこの国の秩序。
帰りの馬車の中で、私は初めて自問した。
前世より楽か?
肉体的には、確かに。
だが。
意志は?
選択は?
私は何を望む?
考えた瞬間、気づく。
この国で、女性が“望む”こと自体が想定されていない。
豪華な部屋に戻り、窓の外を見る。
遠くに広がる王都。
整然とした街並み。
笑顔の民。
一見、善政。
だが、どこか息苦しい。
前世の記憶が囁く。
「形だけ整っている社会ほど、怖い」
私はまだ知らなかった。
この国が抱えるもう一つの現実を。
隣国との緊張。
奴隷貿易。
そして──
人が人を所有するという思想が、国家の根幹にあるということを。
だが、その時すでに、胸の奥に小さな違和感が芽生えていた。
豪華な鳥籠。
金で飾られた檻。
ここは安全だ。
だが。
ここは、外に出られない。
私は鏡の中の自分を見つめる。
美しく整えられた公爵令嬢。
だがその瞳の奥には、前世の記憶を持つ私がいる。
問いが浮かぶ。
──私は、本当に守られているのだろうか。
それとも。
丁寧に扱われているだけの、“物”なのだろうか。
黄金の鳥籠は、静かにきらめいていた。
まだ、この檻が壊れるとは、誰も思っていない。
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