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第2話 王太子の誤解
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第2話 王太子の誤解
イディオット・パーソーン王太子にとって、王宮の大舞踏会は特別な意味を持つ夜だった。
だがそれは、国家行事としての重みゆえではない。自分が王太子であることを、誰よりも強く、誰よりも派手に示すための舞台だと、彼は疑いなく信じていた。
控えの間で、イディオットは鏡の前に立っていた。
仕立ての良い礼装は身体にぴたりと合い、王家の紋章は誇らしげに胸元で輝いている。剣帯の位置も完璧だ。鏡に映る自分の姿を見て、彼は満足そうに口角を上げた。
――俺は次期国王だ。
その事実が、彼の中ではすべてだった。
これまでの人生、彼の言葉は常に通り、彼の選択は最終的に認められてきた。多少の反対や忠告があったとしても、それは一時的なものに過ぎない。結局は「王太子である自分」が正しいのだという成功体験が、彼の中に深く根を下ろしていた。
側近の一人が、控えめに声をかける。
「殿下、本日の舞踏会は各国の使節も列席しております。どうか、お言葉には――」
「分かっている」
イディオットは、途中で言葉を遮った。
分かっているつもりだった。少なくとも、彼自身はそう思っている。公式の場だということも、発言が記録されることも知ってはいる。だが、その重さを理解しているかと問われれば、答えは否だ。
彼にとって公式とは、「自分が宣言すれば終わるもの」だった。
公の場で言い切ってしまえば、後は周囲が勝手に整える。父である国王も、公爵家も、結局は国家の安定を理由に折れるだろう。そうならざるを得ない。なぜなら、自分は王太子なのだから。
その考えに、一片の疑いもなかった。
彼の視線は、部屋の端に控える少女へと向かう。
クラス・クラウン男爵令嬢は、緊張した面持ちながらも、期待を隠しきれない表情で立っていた。その姿を見て、イディオットはさらに気分を良くする。
――ほら、こうして俺を見上げる。
それが、彼にとって自然な関係だった。
自分を尊敬し、選ばれたことに喜び、従う存在。ソフィ・スティ・ケイティッド公爵令嬢のように、感情を表に出さず、対等であろうとする女より、よほど心地よい。
ソフィの顔が脳裏に浮かび、イディオットはわずかに眉をひそめる。
婚約者でありながら、彼女は一度も縋ったことがない。感情的に訴えたこともなければ、媚びたこともない。その態度が、彼には不満だった。自分は王太子だ。もっと分かりやすく敬われるべき存在のはずだ。
だからこそ、舞踏会という公の場で、はっきりさせる必要がある。
形式だけの婚約は終わりにする。自分が選ぶのは、クラスだと。大勢の前で宣言してしまえば、誰も否定できない。ソフィも、公爵家も、恥をかくのは向こうだ。そう思っていた。
側近たちは、視線を交わしながら沈黙していた。
殿下、それは危険です。その一言を、誰も口にできない。公然と否定すれば不敬と取られかねず、かといって賛同すれば同罪になる。彼らに残された選択肢は、曖昧な忠告と沈黙だけだった。
だが、イディオットはその沈黙を、都合よく解釈する。
誰も止めない。つまり、問題はない。皆、内心では自分に賛成しているのだ。そう思い込んでいた。
やがて、舞踏会開始を告げる合図が聞こえてくる。
扉の向こうから、音楽と人々のざわめきが伝わってきた。イディオットは胸を張り、クラス・クラウンの手を取る。その手がわずかに震えているのを感じたが、それを恐れだとは思わなかった。緊張しているだけだ。これから王太子妃になるのだから。
彼は、一歩一歩、会場へと進んでいく。
その歩みは、彼自身の中では勝利への行進だった。公爵家がどんな顔をするのか。ソフィがどんな反応を見せるのか。そのすべてを、上から眺めるつもりでいる。
イディオット・パーソーンは、理解していなかった。
王太子という立場は、自由を与えるものではないということを。
公の場とは、力を誇示する場所ではなく、責任を背負う場所だということを。
彼がこれから口にする言葉は、感情では済まされない。
それは国家の意思として扱われ、記録され、裁かれる。
だが、その現実を知らないまま、彼は堂々と舞踏会場へと足を踏み入れた。
自分が主役だと信じ切ったまま。
その誤解こそが、すでに彼を破滅へと導いていることに、気づかぬまま。
イディオット・パーソーン王太子にとって、王宮の大舞踏会は特別な意味を持つ夜だった。
だがそれは、国家行事としての重みゆえではない。自分が王太子であることを、誰よりも強く、誰よりも派手に示すための舞台だと、彼は疑いなく信じていた。
控えの間で、イディオットは鏡の前に立っていた。
仕立ての良い礼装は身体にぴたりと合い、王家の紋章は誇らしげに胸元で輝いている。剣帯の位置も完璧だ。鏡に映る自分の姿を見て、彼は満足そうに口角を上げた。
――俺は次期国王だ。
その事実が、彼の中ではすべてだった。
これまでの人生、彼の言葉は常に通り、彼の選択は最終的に認められてきた。多少の反対や忠告があったとしても、それは一時的なものに過ぎない。結局は「王太子である自分」が正しいのだという成功体験が、彼の中に深く根を下ろしていた。
側近の一人が、控えめに声をかける。
「殿下、本日の舞踏会は各国の使節も列席しております。どうか、お言葉には――」
「分かっている」
イディオットは、途中で言葉を遮った。
分かっているつもりだった。少なくとも、彼自身はそう思っている。公式の場だということも、発言が記録されることも知ってはいる。だが、その重さを理解しているかと問われれば、答えは否だ。
彼にとって公式とは、「自分が宣言すれば終わるもの」だった。
公の場で言い切ってしまえば、後は周囲が勝手に整える。父である国王も、公爵家も、結局は国家の安定を理由に折れるだろう。そうならざるを得ない。なぜなら、自分は王太子なのだから。
その考えに、一片の疑いもなかった。
彼の視線は、部屋の端に控える少女へと向かう。
クラス・クラウン男爵令嬢は、緊張した面持ちながらも、期待を隠しきれない表情で立っていた。その姿を見て、イディオットはさらに気分を良くする。
――ほら、こうして俺を見上げる。
それが、彼にとって自然な関係だった。
自分を尊敬し、選ばれたことに喜び、従う存在。ソフィ・スティ・ケイティッド公爵令嬢のように、感情を表に出さず、対等であろうとする女より、よほど心地よい。
ソフィの顔が脳裏に浮かび、イディオットはわずかに眉をひそめる。
婚約者でありながら、彼女は一度も縋ったことがない。感情的に訴えたこともなければ、媚びたこともない。その態度が、彼には不満だった。自分は王太子だ。もっと分かりやすく敬われるべき存在のはずだ。
だからこそ、舞踏会という公の場で、はっきりさせる必要がある。
形式だけの婚約は終わりにする。自分が選ぶのは、クラスだと。大勢の前で宣言してしまえば、誰も否定できない。ソフィも、公爵家も、恥をかくのは向こうだ。そう思っていた。
側近たちは、視線を交わしながら沈黙していた。
殿下、それは危険です。その一言を、誰も口にできない。公然と否定すれば不敬と取られかねず、かといって賛同すれば同罪になる。彼らに残された選択肢は、曖昧な忠告と沈黙だけだった。
だが、イディオットはその沈黙を、都合よく解釈する。
誰も止めない。つまり、問題はない。皆、内心では自分に賛成しているのだ。そう思い込んでいた。
やがて、舞踏会開始を告げる合図が聞こえてくる。
扉の向こうから、音楽と人々のざわめきが伝わってきた。イディオットは胸を張り、クラス・クラウンの手を取る。その手がわずかに震えているのを感じたが、それを恐れだとは思わなかった。緊張しているだけだ。これから王太子妃になるのだから。
彼は、一歩一歩、会場へと進んでいく。
その歩みは、彼自身の中では勝利への行進だった。公爵家がどんな顔をするのか。ソフィがどんな反応を見せるのか。そのすべてを、上から眺めるつもりでいる。
イディオット・パーソーンは、理解していなかった。
王太子という立場は、自由を与えるものではないということを。
公の場とは、力を誇示する場所ではなく、責任を背負う場所だということを。
彼がこれから口にする言葉は、感情では済まされない。
それは国家の意思として扱われ、記録され、裁かれる。
だが、その現実を知らないまま、彼は堂々と舞踏会場へと足を踏み入れた。
自分が主役だと信じ切ったまま。
その誤解こそが、すでに彼を破滅へと導いていることに、気づかぬまま。
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