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第6話 逃げ道は用意された
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第6話 逃げ道は用意された
舞踏会場に流れる音楽は、再び優雅さを取り戻していた。
しかし、その旋律を「元通り」と感じている者は、もはや誰一人としていない。
公式の場で、公式に、婚約破棄が宣言された。
その事実は、音楽や笑顔で塗り替えられるものではない。むしろ、形式が整えば整うほど、その異常さが際立つ。
イディオット・パーソーン王太子は、満足げだった。
宣言は終わった。誰も反論しなかった。つまり、自分の判断は受け入れられたのだと、疑いなく思っている。
――これで終わりだ。
彼の中では、すでに次の場面が始まっていた。
新しい婚約者。新しい未来。自分を理解し、敬い、愛する存在と歩む王道。公爵令嬢がどんな顔をしているかなど、もう興味はなかった。
一方で、会場の空気は、静かに次の段階へと移行していた。
誰も、王太子に近づかない。
誰も、祝福を口にしない。
誰も、視線を合わせようとしない。
それは拒絶ではない。
判断を保留したのでもない。
ただ、距離を取っているのだ。
ソフィ・スティ・ケイティッド公爵令嬢は、その様子を淡々と受け止めていた。
彼女の役目は、ここで感情を表に出すことではない。泣き崩れれば、同情は集まるかもしれない。だがそれは、私的な被害者になるという選択だ。
ソフィは、その道を選ばない。
彼女は、公の当事者として、正しい位置に立ち続ける。
背後に控えるティッド公爵家の一族が、わずかに動いた。
ほんの一歩、間合いを詰めただけだ。だが、それだけで意味は十分に伝わる。公爵家は、この事態を把握し、処理に入る準備ができている。
その動きを見て、王家の重臣の一人が、ゆっくりと歩み出た。
国王の側近であり、形式を司る立場の人物だ。
「……殿下」
低く、抑えた声。
それは叱責でも懇願でもない。事務的で、だからこそ重い。
「ただいまのご発言につきまして、確認を」
イディオットは、面倒そうに視線を向けた。
「何だ。聞いただろう」
「はい。ゆえに確認いたします」
側近は、一語一語を慎重に選ぶ。
「先ほどの婚約破棄の宣言は、殿下個人の感情によるものではなく、王太子として、公の意思として発せられたものであると理解してよろしいですね」
その問いかけに、会場の空気がわずかに張り詰める。
これは、最後の逃げ道だった。
今ならまだ、言い直せる。
言葉を選び、誤解だったとし、撤回することも可能だ。
そのための確認だった。
ソフィは、そのやり取りを黙って見つめていた。
視線は下げたまま。だが、耳ははっきりと向けられている。
イディオットは、短く笑った。
「当然だ。俺は王太子だぞ」
その一言で、すべてが終わった。
側近は、それ以上何も言わなかった。
深く一礼し、静かに下がる。
逃げ道は、確かに用意されていた。
だが、使われることはなかった。
クラス・クラウン男爵令嬢は、そのやり取りの意味を理解できていなかった。
なぜ確認など必要なのか。なぜ、そんな堅苦しい言葉が飛び交うのか。殿下が決めたのなら、それで終わりではないのか。
彼女は、殿下の腕に縋るように視線を向ける。
「殿下……?」
不安を含んだ声。
だが、イディオットは気にも留めない。
「問題ない」
短く言い切る。
その言葉が、彼女をどれほど深い場所へ連れて行くのか、想像もしていなかった。
ソフィは、そこで初めて顔を上げた。
視線は王太子ではなく、その周囲を見る。
書記官たち。重臣たち。他国の使節たち。
全員が、理解していた。
撤回はなされなかった。
確認は終わった。
公式な意思として、確定した。
ソフィは、小さく息を吐く。
そして、心の中で静かに呟いた。
――これで、手順は揃いました。
舞踏会は、まだ続いている。
だが、この瞬間から、それは祝宴ではなく、処理待ちの案件になった。
イディオット・パーソーン王太子は、勝利したつもりでいる。
だが実際には、最後の救命索を、自ら切り落としたのだということを、まだ知らない。
公式は、感情を許さない。
そして一度確定した公式は、決して優しくはない。
その現実が、静かに、しかし確実に動き始めていた。
舞踏会場に流れる音楽は、再び優雅さを取り戻していた。
しかし、その旋律を「元通り」と感じている者は、もはや誰一人としていない。
公式の場で、公式に、婚約破棄が宣言された。
その事実は、音楽や笑顔で塗り替えられるものではない。むしろ、形式が整えば整うほど、その異常さが際立つ。
イディオット・パーソーン王太子は、満足げだった。
宣言は終わった。誰も反論しなかった。つまり、自分の判断は受け入れられたのだと、疑いなく思っている。
――これで終わりだ。
彼の中では、すでに次の場面が始まっていた。
新しい婚約者。新しい未来。自分を理解し、敬い、愛する存在と歩む王道。公爵令嬢がどんな顔をしているかなど、もう興味はなかった。
一方で、会場の空気は、静かに次の段階へと移行していた。
誰も、王太子に近づかない。
誰も、祝福を口にしない。
誰も、視線を合わせようとしない。
それは拒絶ではない。
判断を保留したのでもない。
ただ、距離を取っているのだ。
ソフィ・スティ・ケイティッド公爵令嬢は、その様子を淡々と受け止めていた。
彼女の役目は、ここで感情を表に出すことではない。泣き崩れれば、同情は集まるかもしれない。だがそれは、私的な被害者になるという選択だ。
ソフィは、その道を選ばない。
彼女は、公の当事者として、正しい位置に立ち続ける。
背後に控えるティッド公爵家の一族が、わずかに動いた。
ほんの一歩、間合いを詰めただけだ。だが、それだけで意味は十分に伝わる。公爵家は、この事態を把握し、処理に入る準備ができている。
その動きを見て、王家の重臣の一人が、ゆっくりと歩み出た。
国王の側近であり、形式を司る立場の人物だ。
「……殿下」
低く、抑えた声。
それは叱責でも懇願でもない。事務的で、だからこそ重い。
「ただいまのご発言につきまして、確認を」
イディオットは、面倒そうに視線を向けた。
「何だ。聞いただろう」
「はい。ゆえに確認いたします」
側近は、一語一語を慎重に選ぶ。
「先ほどの婚約破棄の宣言は、殿下個人の感情によるものではなく、王太子として、公の意思として発せられたものであると理解してよろしいですね」
その問いかけに、会場の空気がわずかに張り詰める。
これは、最後の逃げ道だった。
今ならまだ、言い直せる。
言葉を選び、誤解だったとし、撤回することも可能だ。
そのための確認だった。
ソフィは、そのやり取りを黙って見つめていた。
視線は下げたまま。だが、耳ははっきりと向けられている。
イディオットは、短く笑った。
「当然だ。俺は王太子だぞ」
その一言で、すべてが終わった。
側近は、それ以上何も言わなかった。
深く一礼し、静かに下がる。
逃げ道は、確かに用意されていた。
だが、使われることはなかった。
クラス・クラウン男爵令嬢は、そのやり取りの意味を理解できていなかった。
なぜ確認など必要なのか。なぜ、そんな堅苦しい言葉が飛び交うのか。殿下が決めたのなら、それで終わりではないのか。
彼女は、殿下の腕に縋るように視線を向ける。
「殿下……?」
不安を含んだ声。
だが、イディオットは気にも留めない。
「問題ない」
短く言い切る。
その言葉が、彼女をどれほど深い場所へ連れて行くのか、想像もしていなかった。
ソフィは、そこで初めて顔を上げた。
視線は王太子ではなく、その周囲を見る。
書記官たち。重臣たち。他国の使節たち。
全員が、理解していた。
撤回はなされなかった。
確認は終わった。
公式な意思として、確定した。
ソフィは、小さく息を吐く。
そして、心の中で静かに呟いた。
――これで、手順は揃いました。
舞踏会は、まだ続いている。
だが、この瞬間から、それは祝宴ではなく、処理待ちの案件になった。
イディオット・パーソーン王太子は、勝利したつもりでいる。
だが実際には、最後の救命索を、自ら切り落としたのだということを、まだ知らない。
公式は、感情を許さない。
そして一度確定した公式は、決して優しくはない。
その現実が、静かに、しかし確実に動き始めていた。
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