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第9話 動き出す裏方
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第9話 動き出す裏方
舞踏会場の表側は、相変わらず完璧だった。
音楽は切れ目なく続き、給仕は一糸乱れぬ動きで杯を満たし、貴族たちは笑顔を崩さない。だが、その裏側では、すでに別の舞台が静かに立ち上がっていた。
ソフィ・スティ・ケイティッド公爵令嬢は、それを肌で感じ取っていた。
誰かが大声で合図を出すことはない。鐘が鳴ることもない。だが、空気が確実に切り替わっている。公の場で起きた出来事が、私的な感情の段階を終え、手続きの領域へ移行した証だった。
背後に控えていたティッド公爵家の一人が、ほんのわずかに位置を変える。
それだけで、合図としては十分だった。
法務を預かる者は、書記官の記録状況を視線で確認する。
会計に通じた者は、王家側の重臣たちの動きを把握する。
外交を担う者は、他国使節の配置と反応を記憶に刻む。
誰も声を出さない。
だが、全員が動いている。
それが、公爵家という組織だった。
ソフィは、彼らの動きを見て、内心で一つ頷いた。
過不足はない。感情も混じっていない。
ただ、必要な準備が、必要な速度で進められている。
イディオット・パーソーン王太子は、その変化に気づいていなかった。
彼の関心は、周囲が自分をどう見ているかという一点に向けられている。誰が近づかないか。誰が声をかけないか。それを不満には思っても、危険信号とは認識していない。
「妙に静かだが……まあいい」
そう呟き、杯を手に取る。
その仕草すら、書記官の視界に入っていた。
王太子が宣言後、態度を改める様子はない。
撤回の意思も、補足説明もない。
つまり、公式な意思は維持されている。
その事実が、次の段階を呼び込む。
国王側の重臣の一人が、目立たぬように場を離れた。
舞踏会の喧騒に紛れて、誰も気に留めない。だが、その動きは偶然ではない。国王へ状況を伝え、対応を仰ぐためのものだ。
公の場で、王太子が正式な婚約を破棄した。
理由も、相手も、すべて明示した。
そして、撤回の機会を自ら拒んだ。
この報告は、もはや「相談」ではない。
事後報告であり、処理開始の合図だ。
クラス・クラウン男爵令嬢は、次第に居場所を失っていた。
殿下の隣に立っているはずなのに、誰の視線も自分を通り過ぎていく。話しかけられない。紹介もされない。まるで、背景の装飾品になったかのようだ。
「……殿下」
小さく声をかける。
だが、イディオットは気にも留めない。
「後でな。今は忙しい」
忙しい理由を、彼自身も理解していない。
ソフィは、クラスに視線を向けない。
同情もしない。
敵意も持たない。
彼女はただ、現実を知っているだけだ。
この場で王太子の隣に立ち、態度で肯定を示した以上、男爵令嬢はすでに当事者になっている。守られる立場ではない。判断される側だ。
そして判断は、感情ではなく、記録によって下される。
書記官の筆は止まらない。
誰が場を離れたか。
誰が近づかなかったか。
誰が祝福しなかったか。
それらは後に、単独ではなく、積み重ねとして扱われる。
沈黙は一つでは弱い。
だが、全員の沈黙は、圧倒的な証拠になる。
ソフィは、そっと視線を伏せる。
もう、舞踏会でやるべきことはない。
彼女がここに立ち続ける理由は一つだけだ。
逃げなかった、という事実を残すため。
婚約者として、当事者として、公の場に最後まで立ち会った。
それだけで、十分だった。
舞踏会は続く。
だが、裏側ではすでに次の書類が準備され、次の判断が下され、次の責任の所在が定められつつある。
イディオット・パーソーン王太子は、まだ知らない。
自分が立っている場所の床下で、すでに歯車が噛み合い、動き始めていることを。
それは止まらない。
一度動き出した公式は、誰の感情にも配慮しない。
舞踏会は、静かに終盤へ向かっていた。
舞踏会場の表側は、相変わらず完璧だった。
音楽は切れ目なく続き、給仕は一糸乱れぬ動きで杯を満たし、貴族たちは笑顔を崩さない。だが、その裏側では、すでに別の舞台が静かに立ち上がっていた。
ソフィ・スティ・ケイティッド公爵令嬢は、それを肌で感じ取っていた。
誰かが大声で合図を出すことはない。鐘が鳴ることもない。だが、空気が確実に切り替わっている。公の場で起きた出来事が、私的な感情の段階を終え、手続きの領域へ移行した証だった。
背後に控えていたティッド公爵家の一人が、ほんのわずかに位置を変える。
それだけで、合図としては十分だった。
法務を預かる者は、書記官の記録状況を視線で確認する。
会計に通じた者は、王家側の重臣たちの動きを把握する。
外交を担う者は、他国使節の配置と反応を記憶に刻む。
誰も声を出さない。
だが、全員が動いている。
それが、公爵家という組織だった。
ソフィは、彼らの動きを見て、内心で一つ頷いた。
過不足はない。感情も混じっていない。
ただ、必要な準備が、必要な速度で進められている。
イディオット・パーソーン王太子は、その変化に気づいていなかった。
彼の関心は、周囲が自分をどう見ているかという一点に向けられている。誰が近づかないか。誰が声をかけないか。それを不満には思っても、危険信号とは認識していない。
「妙に静かだが……まあいい」
そう呟き、杯を手に取る。
その仕草すら、書記官の視界に入っていた。
王太子が宣言後、態度を改める様子はない。
撤回の意思も、補足説明もない。
つまり、公式な意思は維持されている。
その事実が、次の段階を呼び込む。
国王側の重臣の一人が、目立たぬように場を離れた。
舞踏会の喧騒に紛れて、誰も気に留めない。だが、その動きは偶然ではない。国王へ状況を伝え、対応を仰ぐためのものだ。
公の場で、王太子が正式な婚約を破棄した。
理由も、相手も、すべて明示した。
そして、撤回の機会を自ら拒んだ。
この報告は、もはや「相談」ではない。
事後報告であり、処理開始の合図だ。
クラス・クラウン男爵令嬢は、次第に居場所を失っていた。
殿下の隣に立っているはずなのに、誰の視線も自分を通り過ぎていく。話しかけられない。紹介もされない。まるで、背景の装飾品になったかのようだ。
「……殿下」
小さく声をかける。
だが、イディオットは気にも留めない。
「後でな。今は忙しい」
忙しい理由を、彼自身も理解していない。
ソフィは、クラスに視線を向けない。
同情もしない。
敵意も持たない。
彼女はただ、現実を知っているだけだ。
この場で王太子の隣に立ち、態度で肯定を示した以上、男爵令嬢はすでに当事者になっている。守られる立場ではない。判断される側だ。
そして判断は、感情ではなく、記録によって下される。
書記官の筆は止まらない。
誰が場を離れたか。
誰が近づかなかったか。
誰が祝福しなかったか。
それらは後に、単独ではなく、積み重ねとして扱われる。
沈黙は一つでは弱い。
だが、全員の沈黙は、圧倒的な証拠になる。
ソフィは、そっと視線を伏せる。
もう、舞踏会でやるべきことはない。
彼女がここに立ち続ける理由は一つだけだ。
逃げなかった、という事実を残すため。
婚約者として、当事者として、公の場に最後まで立ち会った。
それだけで、十分だった。
舞踏会は続く。
だが、裏側ではすでに次の書類が準備され、次の判断が下され、次の責任の所在が定められつつある。
イディオット・パーソーン王太子は、まだ知らない。
自分が立っている場所の床下で、すでに歯車が噛み合い、動き始めていることを。
それは止まらない。
一度動き出した公式は、誰の感情にも配慮しない。
舞踏会は、静かに終盤へ向かっていた。
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