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第18話 王太子の名でできないこと
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第18話 王太子の名でできないこと
王宮での一日は、いつも規則正しく始まる。
鐘が鳴り、書記官が動き、命令と報告が静かに交差する。その流れの中に、イディオット・パーソーンは、もはや自然に組み込まれていなかった。
彼は、自室にいた。
正確に言えば、「まだ自室として使うことを許されている部屋」だ。
豪奢な調度はそのままだ。
侍女もいる。
護衛も、形式上は配置されている。
だが、違和感は隠しようがなかった。
机の上に置かれた書類に、赤い紐で束ねられた札が添えられている。
確認中。
その一言が、すべてを象徴していた。
イディオットは、苛立ちを隠さず書類をめくる。
「……これも、承認待ち?」
侍従が、視線を落としたまま答える。
「はい。殿下の名義での指示は、すべて上位確認が必要となっております」
「上位だと?」
思わず声が荒くなる。
「俺は王太子だぞ」
何度目か分からない言葉。
だが、返ってくる答えは、変わらない。
「形式上は、でございます」
その一言で、会話は終わる。
形式上。
それは、権威が残っているように見せるための言葉であって、実際には何も動かせないことを意味していた。
試しに、イディオットは小さな命令を出してみた。
いつもなら、問題にもならない内容だ。
「庭園の整備を前倒ししろ。俺が使う」
侍従は一礼し、部屋を出ていく。
だが、しばらくして戻ってきた彼の表情で、結果は分かった。
「……申し訳ございません。現在、殿下個人の使用を理由とした王宮資材の動員は、承認が下りません」
言葉が、喉に詰まる。
庭園だ。
国家事業でも、軍務でもない。
ただの、王太子の気まぐれ。
それすら、通らない。
「理由は?」
「処遇検討中の対象者による指示は、資源配分上の公平性を欠く恐れがあるため、と」
公平性。
その単語を、イディオットは今まで意識したことがなかった。
王太子である限り、
彼の都合は、自然と優先される。
それが当然だった。
だが今は違う。
彼は「優先される側」ではなく、「制限される側」に移されている。
苛立ちを抑えきれず、イディオットは部屋を出た。
廊下を歩き、執務棟へ向かう。
――直接、父上に言えばいい。
そう考えた瞬間、護衛が一歩前に出た。
「殿下、執務棟への立ち入りは――」
「邪魔をするな!」
怒鳴ると、護衛は一瞬だけ動きを止める。
だが、すぐに静かに首を振った。
「申し訳ございません。現在、殿下は事前許可なく執務棟へ入ることはできません」
その言葉は、剣よりも重かった。
立ち入り禁止。
王太子に対して。
イディオットは、その場で立ち尽くす。
周囲を行き交う官僚たちは、視線を逸らすか、何事もなかったように通り過ぎていく。
誰も、彼を止めようとしない。
誰も、庇おうとしない。
それが、答えだった。
同じ頃、ティッド公爵邸では、まったく異なる時間が流れていた。
ソフィ・スティ・ケイティッド公爵令嬢は、父と向かい合い、報告を受けていた。
内容は簡潔だ。
「王太子は、事実上の権限停止状態に入った」
ソフィは、静かに頷く。
「そうですか」
それ以上の感想はない。
それは彼女にとって、意外な結果でも、望外の結果でもなかった。
公式の場で起きたことは、公式の流れで処理される。
ただ、それだけだ。
父は、彼女を見て一言だけ付け加える。
「お前は、もう完全にこの件から外れている」
それは、保護でもあり、確認でもあった。
「承知しております」
ソフィは、穏やかに答える。
彼女の時間は、すでに次へ進んでいる。
一方、イディオット・パーソーンは、その日の終わりに、ようやく理解し始めていた。
王太子の名を名乗っても、
何も動かせない。
それは、地位を失ったということではない。
もっと残酷な状態だ。
名はある。
だが、力がない。
公式の世界では、
それは最も居心地の悪い立場だった。
王宮での一日は、いつも規則正しく始まる。
鐘が鳴り、書記官が動き、命令と報告が静かに交差する。その流れの中に、イディオット・パーソーンは、もはや自然に組み込まれていなかった。
彼は、自室にいた。
正確に言えば、「まだ自室として使うことを許されている部屋」だ。
豪奢な調度はそのままだ。
侍女もいる。
護衛も、形式上は配置されている。
だが、違和感は隠しようがなかった。
机の上に置かれた書類に、赤い紐で束ねられた札が添えられている。
確認中。
その一言が、すべてを象徴していた。
イディオットは、苛立ちを隠さず書類をめくる。
「……これも、承認待ち?」
侍従が、視線を落としたまま答える。
「はい。殿下の名義での指示は、すべて上位確認が必要となっております」
「上位だと?」
思わず声が荒くなる。
「俺は王太子だぞ」
何度目か分からない言葉。
だが、返ってくる答えは、変わらない。
「形式上は、でございます」
その一言で、会話は終わる。
形式上。
それは、権威が残っているように見せるための言葉であって、実際には何も動かせないことを意味していた。
試しに、イディオットは小さな命令を出してみた。
いつもなら、問題にもならない内容だ。
「庭園の整備を前倒ししろ。俺が使う」
侍従は一礼し、部屋を出ていく。
だが、しばらくして戻ってきた彼の表情で、結果は分かった。
「……申し訳ございません。現在、殿下個人の使用を理由とした王宮資材の動員は、承認が下りません」
言葉が、喉に詰まる。
庭園だ。
国家事業でも、軍務でもない。
ただの、王太子の気まぐれ。
それすら、通らない。
「理由は?」
「処遇検討中の対象者による指示は、資源配分上の公平性を欠く恐れがあるため、と」
公平性。
その単語を、イディオットは今まで意識したことがなかった。
王太子である限り、
彼の都合は、自然と優先される。
それが当然だった。
だが今は違う。
彼は「優先される側」ではなく、「制限される側」に移されている。
苛立ちを抑えきれず、イディオットは部屋を出た。
廊下を歩き、執務棟へ向かう。
――直接、父上に言えばいい。
そう考えた瞬間、護衛が一歩前に出た。
「殿下、執務棟への立ち入りは――」
「邪魔をするな!」
怒鳴ると、護衛は一瞬だけ動きを止める。
だが、すぐに静かに首を振った。
「申し訳ございません。現在、殿下は事前許可なく執務棟へ入ることはできません」
その言葉は、剣よりも重かった。
立ち入り禁止。
王太子に対して。
イディオットは、その場で立ち尽くす。
周囲を行き交う官僚たちは、視線を逸らすか、何事もなかったように通り過ぎていく。
誰も、彼を止めようとしない。
誰も、庇おうとしない。
それが、答えだった。
同じ頃、ティッド公爵邸では、まったく異なる時間が流れていた。
ソフィ・スティ・ケイティッド公爵令嬢は、父と向かい合い、報告を受けていた。
内容は簡潔だ。
「王太子は、事実上の権限停止状態に入った」
ソフィは、静かに頷く。
「そうですか」
それ以上の感想はない。
それは彼女にとって、意外な結果でも、望外の結果でもなかった。
公式の場で起きたことは、公式の流れで処理される。
ただ、それだけだ。
父は、彼女を見て一言だけ付け加える。
「お前は、もう完全にこの件から外れている」
それは、保護でもあり、確認でもあった。
「承知しております」
ソフィは、穏やかに答える。
彼女の時間は、すでに次へ進んでいる。
一方、イディオット・パーソーンは、その日の終わりに、ようやく理解し始めていた。
王太子の名を名乗っても、
何も動かせない。
それは、地位を失ったということではない。
もっと残酷な状態だ。
名はある。
だが、力がない。
公式の世界では、
それは最も居心地の悪い立場だった。
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