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第19話 数字だけが残る
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第19話 数字だけが残る
その日の夜、王宮の執務棟では、さらに静かな作業が進められていた。
声は抑えられ、足音は最小限にされ、書類の擦れる音だけが淡々と続く。そこには怒りも嘲笑もない。ただ、処理だけがある。
イディオット・パーソーンは、自室に戻されていた。
戻された、という表現が正しい。自分で戻ったという感覚はなかった。
机の上には、封をされた書類が一揃い置かれている。
見覚えのある紋章。
王家会計局。
「……これは何だ」
声に出した問いに、答える者はいない。
侍従は、すでに下がっている。
イディオットは、封を切る。
中身は、数字だった。
支出。
借入。
保証。
前借り。
返済猶予。
一行一行、感情を排した文字で並べられている。
そこには、「殿下」も「王太子」も書かれていない。
あるのは、名前だけだ。
――イディオット・パーソーン。
それを見た瞬間、胸の奥が、ひどく冷えた。
「……どういうことだ」
これは、報告書ではない。
忠告でもない。
精算書だ。
王家会計局は、王太子個人名義で行われた支出を、一つずつ切り分けている。
国家事業として認められたもの。
王宮運営に含まれるもの。
そして、個人の裁量によるもの。
後者には、注記が付けられていた。
――王家保証、再審査対象。
王太子は、無意識に机を叩きそうになり、手を止める。
怒鳴っても、書類は変わらないと、もう理解しているからだ。
ページをめくる。
そこには、見覚えのある支出が並んでいた。
宝石。
遊興費。
私的な宴。
個人的な贈答。
かつては、目にも留めなかった数字だ。
王太子である限り、問題にならなかった数字。
だが今、それらは一つ残らず「個人負担候補」として列挙されている。
イディオットは、初めて気づいた。
王太子であることが、財布だったのだと。
同時刻、別の部屋では、会計官と法務官が向かい合っていた。
「公爵家との融資関係は、すでに停止の準備が整いました」
「即時履行の条項は?」
「舞踏会での公式発言をもって、発動条件を満たしています」
淡々としたやり取り。
そこに、個人名は出てこない。
出てくるのは、契約と条件だけだ。
「王太子個人への通知は?」
「今夜中に」
その一言で、作業は次へ進む。
王宮では、誰かを破滅させようとする会議は開かれない。
ただ、契約が読まれ、条件が確認され、実行される。
それだけで、結果は出る。
一方、ソフィ・スティ・ケイティッド公爵令嬢は、公爵邸の書斎で、同じ内容を別の形で受け取っていた。
父の側近が差し出した報告書には、短くまとめられた一文がある。
――王太子個人名義の支出、精算段階へ。
ソフィは、書類に視線を落とし、静かに息を吐いた。
感想はない。
予想通りだ。
公爵家にとって重要なのは、誰が困るかではない。
契約がどう処理されるか、それだけだ。
「これで、完全に切り離されますね」
彼女の言葉に、側近は頷く。
「はい。以後、王太子がどうなろうと、公爵家の責任は及びません」
それで十分だった。
王宮に戻り、イディオット・パーソーンは、書類を閉じることができずにいた。
数字が、頭から離れない。
王太子であった自分を守っていたものが、
信頼でも、愛でも、血統でもなく、
ただの保証と信用枠だったという現実。
そして、その信用は、すでに再審査に回されている。
公式の世界では、名前よりも数字が正直だ。
数字は、嘘をつかない。
情けもかけない。
イディオット・パーソーンは、その夜、初めて眠れなかった。
夢に出てくるのは、人ではなく、
終わりのない数字の列だった。
その日の夜、王宮の執務棟では、さらに静かな作業が進められていた。
声は抑えられ、足音は最小限にされ、書類の擦れる音だけが淡々と続く。そこには怒りも嘲笑もない。ただ、処理だけがある。
イディオット・パーソーンは、自室に戻されていた。
戻された、という表現が正しい。自分で戻ったという感覚はなかった。
机の上には、封をされた書類が一揃い置かれている。
見覚えのある紋章。
王家会計局。
「……これは何だ」
声に出した問いに、答える者はいない。
侍従は、すでに下がっている。
イディオットは、封を切る。
中身は、数字だった。
支出。
借入。
保証。
前借り。
返済猶予。
一行一行、感情を排した文字で並べられている。
そこには、「殿下」も「王太子」も書かれていない。
あるのは、名前だけだ。
――イディオット・パーソーン。
それを見た瞬間、胸の奥が、ひどく冷えた。
「……どういうことだ」
これは、報告書ではない。
忠告でもない。
精算書だ。
王家会計局は、王太子個人名義で行われた支出を、一つずつ切り分けている。
国家事業として認められたもの。
王宮運営に含まれるもの。
そして、個人の裁量によるもの。
後者には、注記が付けられていた。
――王家保証、再審査対象。
王太子は、無意識に机を叩きそうになり、手を止める。
怒鳴っても、書類は変わらないと、もう理解しているからだ。
ページをめくる。
そこには、見覚えのある支出が並んでいた。
宝石。
遊興費。
私的な宴。
個人的な贈答。
かつては、目にも留めなかった数字だ。
王太子である限り、問題にならなかった数字。
だが今、それらは一つ残らず「個人負担候補」として列挙されている。
イディオットは、初めて気づいた。
王太子であることが、財布だったのだと。
同時刻、別の部屋では、会計官と法務官が向かい合っていた。
「公爵家との融資関係は、すでに停止の準備が整いました」
「即時履行の条項は?」
「舞踏会での公式発言をもって、発動条件を満たしています」
淡々としたやり取り。
そこに、個人名は出てこない。
出てくるのは、契約と条件だけだ。
「王太子個人への通知は?」
「今夜中に」
その一言で、作業は次へ進む。
王宮では、誰かを破滅させようとする会議は開かれない。
ただ、契約が読まれ、条件が確認され、実行される。
それだけで、結果は出る。
一方、ソフィ・スティ・ケイティッド公爵令嬢は、公爵邸の書斎で、同じ内容を別の形で受け取っていた。
父の側近が差し出した報告書には、短くまとめられた一文がある。
――王太子個人名義の支出、精算段階へ。
ソフィは、書類に視線を落とし、静かに息を吐いた。
感想はない。
予想通りだ。
公爵家にとって重要なのは、誰が困るかではない。
契約がどう処理されるか、それだけだ。
「これで、完全に切り離されますね」
彼女の言葉に、側近は頷く。
「はい。以後、王太子がどうなろうと、公爵家の責任は及びません」
それで十分だった。
王宮に戻り、イディオット・パーソーンは、書類を閉じることができずにいた。
数字が、頭から離れない。
王太子であった自分を守っていたものが、
信頼でも、愛でも、血統でもなく、
ただの保証と信用枠だったという現実。
そして、その信用は、すでに再審査に回されている。
公式の世界では、名前よりも数字が正直だ。
数字は、嘘をつかない。
情けもかけない。
イディオット・パーソーンは、その夜、初めて眠れなかった。
夢に出てくるのは、人ではなく、
終わりのない数字の列だった。
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