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第26話 公式名簿から消える
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第26話 公式名簿から消える
朝、王宮の鐘が鳴った。
それは、いつもと同じ時刻、いつもと同じ音色だった。だが、その日、その音を「自分のためのもの」だと感じる者は、一人減っていた。
王宮の文書局では、静かな作業が進められていた。
革張りの名簿が開かれ、記録官が淡々と確認を行う。
王位継承順位。
王族名簿。
公式儀礼出席者一覧。
そのすべてに共通する名前が、一つあった。
イディオット・パーソーン。
だが、その名前の横には、赤い注記が添えられている。
――職務停止中。
――継承権、審査対象。
――公式行事、出席不可。
線は、まだ引かれていない。
削除も、抹消も、されていない。
だが、使われなくなった名前は、すでに役割を失っていた。
その頃、イディオット本人は、王宮の外れに用意された仮の居所にいた。
王族用ではない。
貴族用ですらない。
かつてなら、目にも留めなかった建物だ。
部屋は清潔だったが、簡素だった。
飾りはなく、窓から見える景色も、王都の裏側ばかりだ。
「……これが、俺の部屋か」
独り言は、壁に吸い込まれて消えた。
応える者はいない。
午前中、彼のもとを訪れたのは、管理官だった。
「本日付で、殿下――いえ、パーソーン様の公的呼称は変更されます」
その言い直しが、すべてを物語っている。
「今後、公文書においては『殿下』の敬称は使用されません」
イディオットは、何も言わなかった。
反論する言葉は、もう残っていない。
「また、王宮内名簿および各省庁の公式記録から、役職名が削除されます」
「……削除、だと」
ようやく絞り出した声は、かすれていた。
「正確には、“非表示”です」
管理官は、淡々と訂正する。
「歴史記録としては残りますが、現行名簿からは外れます」
それは、存在を否定されることではない。
だが、今この瞬間に、いないものとして扱われるという宣告だった。
管理官は、最後に一通の書類を差し出す。
「こちらは、名簿変更の通知です。受領の署名を」
また署名だ。
最近、彼は署名ばかりしている。
違いがあるとすれば、
以前は「責任」を認める署名だった。
今回は、「役割の終了」を受け入れる署名だ。
ペンを取り、名前を書く。
イディオット・パーソーン。
肩書きは、どこにも書かれていない。
同時刻、王宮の中枢では、別の名前が読み上げられていた。
「次期公式行事、王太子代理として――」
若い王族の名。
穏健で、慎重で、無難な人物。
誰も異を唱えない。
空いた席は、すぐに埋められる。
それが、王宮だ。
一方、ティッド公爵邸では、短い報告が届いていた。
「王太子名簿、非表示化完了」
ソフィ・スティ・ケイティッド公爵令嬢は、その一文を確認し、静かに息を吐く。
「これで、完全に公式から外れましたね」
「はい。以後、彼の発言が“公”として扱われることはありません」
ソフィは、少しだけ考えてから言った。
「……静かな終わり方です」
それは、哀れみでも同情でもない。
事実の確認だった。
夜、イディオットは、仮住まいの窓辺に立っていた。
遠くに見える王宮の灯りが、やけに眩しい。
かつて、あの灯りの中心に自分がいた。
名前を呼ばれ、席を与えられ、世界が動いた。
だが今、
灯りはある。
世界も動いている。
自分抜きで。
名簿から消えるとは、こういうことだ。
誰も騒がず、誰も泣かず、
ただ「いないもの」として扱われる。
その静けさが、
どんな断罪よりも、
彼の胸を締め付けていた。
王太子だった男は、その夜、初めて理解した。
公式とは、
声を上げる者ではなく、
名前を呼ばれる者のための舞台なのだと。
そして自分は、
もう二度と、
呼ばれない側に立ったのだと。
朝、王宮の鐘が鳴った。
それは、いつもと同じ時刻、いつもと同じ音色だった。だが、その日、その音を「自分のためのもの」だと感じる者は、一人減っていた。
王宮の文書局では、静かな作業が進められていた。
革張りの名簿が開かれ、記録官が淡々と確認を行う。
王位継承順位。
王族名簿。
公式儀礼出席者一覧。
そのすべてに共通する名前が、一つあった。
イディオット・パーソーン。
だが、その名前の横には、赤い注記が添えられている。
――職務停止中。
――継承権、審査対象。
――公式行事、出席不可。
線は、まだ引かれていない。
削除も、抹消も、されていない。
だが、使われなくなった名前は、すでに役割を失っていた。
その頃、イディオット本人は、王宮の外れに用意された仮の居所にいた。
王族用ではない。
貴族用ですらない。
かつてなら、目にも留めなかった建物だ。
部屋は清潔だったが、簡素だった。
飾りはなく、窓から見える景色も、王都の裏側ばかりだ。
「……これが、俺の部屋か」
独り言は、壁に吸い込まれて消えた。
応える者はいない。
午前中、彼のもとを訪れたのは、管理官だった。
「本日付で、殿下――いえ、パーソーン様の公的呼称は変更されます」
その言い直しが、すべてを物語っている。
「今後、公文書においては『殿下』の敬称は使用されません」
イディオットは、何も言わなかった。
反論する言葉は、もう残っていない。
「また、王宮内名簿および各省庁の公式記録から、役職名が削除されます」
「……削除、だと」
ようやく絞り出した声は、かすれていた。
「正確には、“非表示”です」
管理官は、淡々と訂正する。
「歴史記録としては残りますが、現行名簿からは外れます」
それは、存在を否定されることではない。
だが、今この瞬間に、いないものとして扱われるという宣告だった。
管理官は、最後に一通の書類を差し出す。
「こちらは、名簿変更の通知です。受領の署名を」
また署名だ。
最近、彼は署名ばかりしている。
違いがあるとすれば、
以前は「責任」を認める署名だった。
今回は、「役割の終了」を受け入れる署名だ。
ペンを取り、名前を書く。
イディオット・パーソーン。
肩書きは、どこにも書かれていない。
同時刻、王宮の中枢では、別の名前が読み上げられていた。
「次期公式行事、王太子代理として――」
若い王族の名。
穏健で、慎重で、無難な人物。
誰も異を唱えない。
空いた席は、すぐに埋められる。
それが、王宮だ。
一方、ティッド公爵邸では、短い報告が届いていた。
「王太子名簿、非表示化完了」
ソフィ・スティ・ケイティッド公爵令嬢は、その一文を確認し、静かに息を吐く。
「これで、完全に公式から外れましたね」
「はい。以後、彼の発言が“公”として扱われることはありません」
ソフィは、少しだけ考えてから言った。
「……静かな終わり方です」
それは、哀れみでも同情でもない。
事実の確認だった。
夜、イディオットは、仮住まいの窓辺に立っていた。
遠くに見える王宮の灯りが、やけに眩しい。
かつて、あの灯りの中心に自分がいた。
名前を呼ばれ、席を与えられ、世界が動いた。
だが今、
灯りはある。
世界も動いている。
自分抜きで。
名簿から消えるとは、こういうことだ。
誰も騒がず、誰も泣かず、
ただ「いないもの」として扱われる。
その静けさが、
どんな断罪よりも、
彼の胸を締め付けていた。
王太子だった男は、その夜、初めて理解した。
公式とは、
声を上げる者ではなく、
名前を呼ばれる者のための舞台なのだと。
そして自分は、
もう二度と、
呼ばれない側に立ったのだと。
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