婚約破棄されたので白い婚約を選びましたが、いつの間にか本命になっていました

鷹 綾

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第2話 泣き崩れる令嬢

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第2話 泣き崩れる令嬢(※演技)

 王宮の大広間を後にしたアウレリア・ローゼンベルクは、与えられていた控えの間へと案内された。

 扉が閉まる。

 ――その瞬間。

「……はぁ」

 深く、長いため息が零れ落ちた。

 先ほどまで震えていた肩はぴたりと止まり、涙に濡れていたはずの瞳は、驚くほど落ち着いた光を取り戻している。

「……疲れましたわね」

 ぽつりと呟き、アウレリアはソファへ腰を下ろした。

 頭の中では、先ほどの光景が冷静に再生されている。

 王太子アレクシオンの得意げな表情。
 守るべき存在を見つけた英雄気取りの声。
 そして、彼に縋るように寄り添う平民の少女――ミレア。

(あれで感動する方々がいらっしゃるのですから……王宮も平和ですわね)

 皮肉ではあるが、事実だった。

 あの場で彼女が感情的に反論していたらどうなっていたか。
 「捨てられた令嬢が取り乱した」という噂が瞬く間に広がり、すべてを失っていたに違いない。

(ですから、泣くのが正解)

 婚約破棄の場面において、令嬢に求められる役割は決まっている。

 ――健気で、可哀想で、反論しないこと。

 それを完璧に演じ切った自分に、内心で拍手を送る。

 コンコン。

 控えめなノックの音がした。

「……アウレリア様。失礼いたします」

 入ってきたのは、長年仕えてきた侍女のマルタだった。
 彼女は部屋に入るなり、アウレリアの顔を見て息を呑む。

「お、お嬢様……っ」

 その声に、アウレリアは一瞬だけ逡巡し、そして――再び、目を伏せた。

「……ごめんなさい、少し……一人になりたくて……」

 かすれた声。
 今にも泣き崩れそうな表情。

 マルタの目に、涙が浮かぶ。

「なんて……なんてお可哀想な……。あのような形で……!」

 アウレリアは、何も言わない。
 ただ、静かに俯く。

 ――それでいい。

 マルタはそれ以上踏み込まず、そっと紅茶を用意し、静かに部屋を出ていった。

 扉が閉まる音を確認してから。

「……ふぅ」

 アウレリアは背もたれに深く身を預けた。

(これで、噂は「悲劇の令嬢」で固定されますわ)

 婚約破棄された側が、感情的にならず、責めることもせず、ただ涙を流す。
 それだけで、人々は勝手に同情し、勝手に評価を固める。

 ――そして、追及は王太子側に向かう。

(よろしい流れです)

 紅茶に手を伸ばし、一口含む。
 いつもと同じ味。だが、今日のそれはどこか格別だった。

 なぜなら。

(これからは……王宮の帳簿も、会議も、外交文書も……私の仕事ではありません)

 脳裏に浮かぶのは、これまでの日々。

 王太子の失言を、どう帳消しにするか。
 不用意な約束を、どう現実的な形に落とし込むか。
 怒る貴族をなだめ、国庫の穴を埋め、期限を守らせる。

 そのすべてを、“当たり前”として引き受けてきた。

(……誰も、気づいていなかったのですわね)

 自分がいなければ、何も回らないということに。

 ――それでも。

 それを誇りに思っていた時期も、確かにあった。

 だからこそ、今日の婚約破棄は、多少なりとも胸に刺さるものがある。

(……少しだけ、ですけれど)

 コンコン。

 再びノック。

 今度は、王宮付きの文官だった。

「アウレリア様……国王陛下が……少し、お話をと……」

 アウレリアは、静かに立ち上がり、再び“悲劇の令嬢”の仮面を被る。

「……分かりましたわ」

 国王の私室。

 そこには、疲れた表情の国王と、宰相セヴランがいた。

「……すまない、アウレリア」

 国王は、深く頭を下げる。

「本来ならば、こんな形で……」

「いえ」

 アウレリアは、静かに首を振った。

「殿下のご決断ですもの。私は……従うだけです」

 その言葉に、セヴラン宰相が苦い顔をする。

 ――彼だけは、分かっている。

 彼女が、どれほどの仕事を担っていたか。

「……しばらく、休養を取るといい」

 国王の言葉に、アウレリアは微笑んだ。

「ありがとうございます。……では、失礼いたします」

 扉を閉めた瞬間。

(“休養”ですか)

 それはつまり、王宮から一歩引くということ。

(……願ってもないお話ですわ)

 廊下を歩きながら、アウレリアは小さく息を吐いた。

 これから何をするか。
 どこへ行くか。

 まだ、具体的には決めていない。

 けれど一つだけ、はっきりしている。

(私はもう、“便利な婚約者”ではありません)

 静かに、確かに。

 アウレリア・ローゼンベルクの新しい人生が、始まろうとしていた。

 ――一方、その頃。

 王宮の会議室では。

「……あれ? この資料、誰がまとめていた?」

 そんな声が、すでに上がり始めていた。


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