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第15話 触れてはいけないはずの感情
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第15話 触れてはいけないはずの感情
南部視察は、予定通りに進んでいた。
ノルディス公爵領の南部は、王都から離れている分、行政の目が届きにくい。
だからこそ、今回の視察は形式ではなく、実情を確かめるためのものだった。
アウレリア・ローゼンベルクは、村の代表者と向き合いながら、静かに話を聞いていた。
「……正直に申し上げますと」
年配の村長が、言葉を選びながら口を開く。
「税制が変わった当初は、不安もありました。
ですが……今は、以前より先が見えるようになりました」
その言葉に、アウレリアは小さく頷く。
「ありがとうございます。
不都合があれば、遠慮なくお知らせください」
「ええ。
“どうせ言っても無駄だ”と思わずに済むのは、ありがたいことです」
その言葉は、決して軽くなかった。
視察を終え、屋外に出ると、穏やかな風が吹き抜けた。
遠くには畑が広がり、作業をする人々の姿が見える。
「……成功だな」
隣を歩くカルディア・ノルディスが、ぽつりと言った。
「はい」
アウレリアは、自然に答える。
「数字だけではなく、現場の反応も悪くありません」
「君が、余計なことをしなかったからだ」
「……余計なこと、ですか?」
「理想論を押し付けなかった。
説明しすぎず、だが放置もしなかった」
それは、極めて的確な評価だった。
アウレリアは、ほんの少し驚いたように目を瞬く。
「そこまで、見ていらしたのですね」
「当然だ」
カルディアは、歩みを止めずに言う。
「君が、どう働くかを見ている」
その言葉に、胸の奥がわずかに揺れた。
(……仕事の話、ですわよね)
そう自分に言い聞かせる。
白い婚約。
干渉しない約束。
感情を持ち込む理由は、どこにもない。
夕刻。
一行は、村外れの仮宿に戻った。
簡素な建物だが、清潔で、必要なものは揃っている。
「今日は、ここで休む」
カルディアの判断に、誰も異を唱えなかった。
部屋は、男女別に割り当てられている。
それも、当然の配慮だった。
アウレリアは、自室に入り、外套を脱ぐ。
(……少し、疲れましたわね)
椅子に腰掛け、深く息を吐いた瞬間。
――ぐらり。
視界が、わずかに揺れた。
「……っ」
立ち上がろうとしたが、足に力が入らない。
(……油断しました)
連日の移動と視察。
集中していた分、疲労を自覚するのが遅れた。
その時。
控えめなノック音がした。
「……アウレリア」
カルディアの声。
「入るぞ」
返事をする間もなく、扉が開いた。
「……顔色が悪い」
一目見て、彼はそう言った。
「少し……立ちくらみですわ」
アウレリアは、無理に笑おうとする。
「問題ありません」
「座れ」
短い命令。
カルディアは、彼女の前に立ち、視線を外さない。
「……無理をしている」
「しておりません」
「している」
即答だった。
アウレリアは、言葉を失う。
「君は、自分の限界を後回しにする癖がある」
静かな声。
「仕事が回っている間は、止まらない」
その指摘は、あまりにも正確だった。
「……ご心配には及びません」
そう言いながらも、声に力が入らない。
カルディアは、一瞬、何かを言いかけ――
そして、言葉を変えた。
「……これは、命令ではない」
彼は、低く続ける。
「今日は、休め」
その言葉に、アウレリアは小さく目を見開いた。
命令ではない。
だが、拒めない。
「……分かりました」
そう答えた瞬間。
胸の奥に、温度のある何かが、すっと落ちた。
(……これは)
仕事への配慮。
合理的な判断。
そう、分かっている。
それでも。
自分の状態を、
ここまで正確に見ている人間がいるという事実が、
思っていた以上に、心に触れた。
カルディアは、それ以上踏み込まなかった。
「必要なものがあれば、言え」
それだけ言って、部屋を出ていく。
扉が閉まる。
静寂。
アウレリアは、しばらくその場から動けなかった。
(……いけませんわ)
これは、白い婚約。
守りのための関係。
信頼はあっても、
それ以上を求めてはいけない。
――そう、決めたはずなのに。
夜。
彼女はベッドに横になり、天井を見つめていた。
眠ろうとしても、意識が冴えている。
(……触れてはいけない感情)
それが、どんな形をしているのか。
まだ、はっきりとは分からない。
ただ。
カルディアが部屋に入ってきた瞬間、
“助かった”と思ってしまった自分がいた。
それが、すべてだった。
一方、廊下の先。
カルディアは、窓辺に立ち、夜風に当たっていた。
(……不覚だ)
彼は、僅かに眉をひそめる。
必要だから休ませた。
それだけのことだ。
だが。
彼女が倒れそうになった瞬間、
頭に浮かんだのは、
“仕事”ではなかった。
「……白い婚約、か」
誰に聞かせるでもなく、呟く。
合理的で、干渉しない関係。
それは、今も変わらない。
だが。
互いに気づいてしまった。
感情は、管理できるとは限らないということに。
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南部視察は、予定通りに進んでいた。
ノルディス公爵領の南部は、王都から離れている分、行政の目が届きにくい。
だからこそ、今回の視察は形式ではなく、実情を確かめるためのものだった。
アウレリア・ローゼンベルクは、村の代表者と向き合いながら、静かに話を聞いていた。
「……正直に申し上げますと」
年配の村長が、言葉を選びながら口を開く。
「税制が変わった当初は、不安もありました。
ですが……今は、以前より先が見えるようになりました」
その言葉に、アウレリアは小さく頷く。
「ありがとうございます。
不都合があれば、遠慮なくお知らせください」
「ええ。
“どうせ言っても無駄だ”と思わずに済むのは、ありがたいことです」
その言葉は、決して軽くなかった。
視察を終え、屋外に出ると、穏やかな風が吹き抜けた。
遠くには畑が広がり、作業をする人々の姿が見える。
「……成功だな」
隣を歩くカルディア・ノルディスが、ぽつりと言った。
「はい」
アウレリアは、自然に答える。
「数字だけではなく、現場の反応も悪くありません」
「君が、余計なことをしなかったからだ」
「……余計なこと、ですか?」
「理想論を押し付けなかった。
説明しすぎず、だが放置もしなかった」
それは、極めて的確な評価だった。
アウレリアは、ほんの少し驚いたように目を瞬く。
「そこまで、見ていらしたのですね」
「当然だ」
カルディアは、歩みを止めずに言う。
「君が、どう働くかを見ている」
その言葉に、胸の奥がわずかに揺れた。
(……仕事の話、ですわよね)
そう自分に言い聞かせる。
白い婚約。
干渉しない約束。
感情を持ち込む理由は、どこにもない。
夕刻。
一行は、村外れの仮宿に戻った。
簡素な建物だが、清潔で、必要なものは揃っている。
「今日は、ここで休む」
カルディアの判断に、誰も異を唱えなかった。
部屋は、男女別に割り当てられている。
それも、当然の配慮だった。
アウレリアは、自室に入り、外套を脱ぐ。
(……少し、疲れましたわね)
椅子に腰掛け、深く息を吐いた瞬間。
――ぐらり。
視界が、わずかに揺れた。
「……っ」
立ち上がろうとしたが、足に力が入らない。
(……油断しました)
連日の移動と視察。
集中していた分、疲労を自覚するのが遅れた。
その時。
控えめなノック音がした。
「……アウレリア」
カルディアの声。
「入るぞ」
返事をする間もなく、扉が開いた。
「……顔色が悪い」
一目見て、彼はそう言った。
「少し……立ちくらみですわ」
アウレリアは、無理に笑おうとする。
「問題ありません」
「座れ」
短い命令。
カルディアは、彼女の前に立ち、視線を外さない。
「……無理をしている」
「しておりません」
「している」
即答だった。
アウレリアは、言葉を失う。
「君は、自分の限界を後回しにする癖がある」
静かな声。
「仕事が回っている間は、止まらない」
その指摘は、あまりにも正確だった。
「……ご心配には及びません」
そう言いながらも、声に力が入らない。
カルディアは、一瞬、何かを言いかけ――
そして、言葉を変えた。
「……これは、命令ではない」
彼は、低く続ける。
「今日は、休め」
その言葉に、アウレリアは小さく目を見開いた。
命令ではない。
だが、拒めない。
「……分かりました」
そう答えた瞬間。
胸の奥に、温度のある何かが、すっと落ちた。
(……これは)
仕事への配慮。
合理的な判断。
そう、分かっている。
それでも。
自分の状態を、
ここまで正確に見ている人間がいるという事実が、
思っていた以上に、心に触れた。
カルディアは、それ以上踏み込まなかった。
「必要なものがあれば、言え」
それだけ言って、部屋を出ていく。
扉が閉まる。
静寂。
アウレリアは、しばらくその場から動けなかった。
(……いけませんわ)
これは、白い婚約。
守りのための関係。
信頼はあっても、
それ以上を求めてはいけない。
――そう、決めたはずなのに。
夜。
彼女はベッドに横になり、天井を見つめていた。
眠ろうとしても、意識が冴えている。
(……触れてはいけない感情)
それが、どんな形をしているのか。
まだ、はっきりとは分からない。
ただ。
カルディアが部屋に入ってきた瞬間、
“助かった”と思ってしまった自分がいた。
それが、すべてだった。
一方、廊下の先。
カルディアは、窓辺に立ち、夜風に当たっていた。
(……不覚だ)
彼は、僅かに眉をひそめる。
必要だから休ませた。
それだけのことだ。
だが。
彼女が倒れそうになった瞬間、
頭に浮かんだのは、
“仕事”ではなかった。
「……白い婚約、か」
誰に聞かせるでもなく、呟く。
合理的で、干渉しない関係。
それは、今も変わらない。
だが。
互いに気づいてしまった。
感情は、管理できるとは限らないということに。
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