婚約破棄されたので白い婚約を選びましたが、いつの間にか本命になっていました

鷹 綾

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第17話 守られる立場

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第17話 守られる立場

 王宮からの使節団が去った翌日、ノルディス公爵邸は、驚くほど静かだった。

 騒ぎ立てる者もいなければ、噂話に花を咲かせる者もいない。
 まるで、あの緊張感のある面会が、最初から存在しなかったかのようだ。

(……これが、公爵領なのですね)

 アウレリア・ローゼンベルクは、朝の執務室で資料を整理しながら、内心でそう思った。

 王宮であれば、使節が来た翌日は、必ずと言っていいほど余波があった。
 誰が何を言ったか、どこまで踏み込んだか。
 些細な言葉尻が膨らまされ、政治的な駆け引きの材料になる。

 だが、ここでは違う。

 決着がつけば、それで終わり。
 次に進むだけだ。

「……南部の報告書は、こちらでよろしいでしょうか」

 管理官が差し出した書類を受け取り、アウレリアは軽く目を通す。

「ええ、問題ありません。
 ただ、この項目だけ、補足を入れてください」

「承知しました」

 淡々としたやり取り。
 それが、彼女にとっては少しだけ不思議だった。

(……昨日、あれだけのことがあったのに)

 誰も、彼女を特別扱いしない。
 気遣いすぎることもない。

 だが――

 昼前、執務室の扉が開いた。

「……少し、時間はあるか」

 カルディア・ノルディスだった。

「はい」

 アウレリアは、即座に答える。

「何か問題が?」

「いや」

 彼は短く否定し、机の横に立った。

「……王宮の件だが」

 その言葉に、アウレリアは視線を上げる。

「昨日の対応で、当面の干渉は抑えられる」

「そう、ですか」

「だが、完全に終わったわけではない」

 それは、想定内だった。

「君に直接、圧がかかる可能性もある」

 アウレリアは、一瞬だけ考え、そして答える。

「その場合は、自分で対応します」

 迷いのない声だった。

 王宮で生きてきた彼女にとって、
 圧力や干渉は、避けて通れないものだった。

 ――だが。

「……それは、必要ない」

 カルディアの言葉が、彼女の思考を遮る。

「?」

「君は、我が領の協力者であり、
 形式上とはいえ、婚約者だ」

 淡々とした口調。
 だが、その内容は、はっきりしていた。

「王宮が何を言おうと、
 君を前面に立たせる気はない」

 アウレリアは、言葉を失った。

(……前面に、立たせない?)

 それは、彼女がこれまで経験してきた立場とは、真逆だった。

 王宮では、常に“矢面”に立たされてきた。
 王太子の婚約者として、
 批判も不満も、すべて受け止める役割。

 それが、当然だと思っていた。

「……それでは、公爵にご負担が」

「問題ない」

 カルディアは、即答する。

「それが、私の立場だ」

 その言葉は、静かだが、揺るぎがなかった。

 アウレリアは、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。

(……これが、“守られる”ということ)

 守られること自体は、知っている。
 だが、それを“当然の前提”として扱われたことはなかった。

「……ありがとうございます」

 そう口に出してから、
 自分でも少し驚いた。

 礼を言うのは、自然だ。
 だが、ここまで素直に出てくるとは思っていなかった。

 カルディアは、わずかに目を細める。

「礼を言われることではない」

「それでも、です」

 アウレリアは、はっきりと言った。

「私は、ずっと“自分で何とかする立場”でしたから」

 それを否定することなく、
 彼は静かに頷いた。

「……そうだろうな」

 それ以上は、何も言わなかった。

 午後。

 アウレリアは一人、回廊を歩いていた。

(……不思議ですわね)

 守られる立場になったからといって、
 無力になったわけではない。

 むしろ。

(……選択肢が、増えました)

 自分で対応することもできる。
 だが、必要であれば、背後に立ってくれる存在がいる。

 それは、彼女の判断を鈍らせるどころか、
 むしろ、落ち着かせてくれた。

「アウレリア様」

 使用人に呼び止められ、彼女は振り返る。

「何か?」

「こちら、午後の予定変更です。
 公爵様より、“無理のない進行で”と」

 その一文を見て、
 アウレリアは思わず微笑んだ。

(……やはり、見ていらっしゃる)

 夜。

 自室で書類を閉じ、彼女は窓辺に立つ。

 静かな夜。
 遠くに見える、執務館の灯り。

(……私は、弱くなったわけではない)

 ただ。

 誰かに“任せてもいい”と、
 初めて思えただけだ。

 一方、別室で。

 カルディアは、報告書に目を通しながら、ふとペンを止めた。

(……彼女は、守られることに慣れていない)

 だからこそ、無理をする。

 だが。

(それでも、背負わせる気はない)

 それは、政治判断でも、計算でもなかった。

 ――自然に、そう思っただけだ。

「……守る、か」

 呟いたその言葉に、
 自分自身が少し驚いた。

 だが、否定する気はなかった。

 白い婚約。
 形式上の関係。

 それでも。

 彼女を一人で立たせる理由は、
 もう、どこにもなかった。


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