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第二話 王宮の外を考える八歳
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第二話 王宮の外を考える八歳
婚約破棄から、数日が過ぎた。
王宮は不思議なほど、何も変わらなかった。
朝になれば目覚まし代わりにカーテンが開けられ、朝食が運ばれ、勉強の時間があり、午後には礼儀作法や読み書き、数字の授業が続く。庭を散歩すれば、いつも通りに侍女や騎士たちが頭を下げた。
——まるで、何事もなかったかのように。
けれど、タナーにはわかっていた。
変わったのは「今」ではない。 変わったのは、「先」だ。
「殿下、本日の算術の課題はこちらです」
「……ありがとう」
教師の差し出す紙を受け取りながら、タナーは机に向かう。数字は好きだった。並べると規則が見えて、嘘をつかない。誰かの機嫌や立場で形を変えない。
けれど今日の彼女の意識は、数字の向こう側にあった。
(いまは、だいじょうぶ)
(でも、いつか……)
第三王女。 婚約を破棄された王女。
今後、別の縁談が舞い込む可能性もある。だが、それは「あるかもしれない」話でしかない。そして、それが永遠の保証になることは、決してない。
王宮の庇護は、絶対ではないのだ。
午後。
自室に戻ったタナーは、机の引き出しから一冊の帳面を取り出した。王女用のものではない。装丁も簡素で、紙も少し黄ばんでいる。
——お金の帳面。
正確には、彼女個人の口座に関する記録だった。
タナーは、生まれながらにして多額の資産を持っている。祝い金、信託、王族として与えられた分配金。管理は大人がしているが、数字そのものは、タナー自身も把握していた。
「……二十億ファンタ」
小さく、声に出して確認する。
とてつもない金額だ。 けれど、それは「守られている間」しか意味を持たない。
(おかねが あるだけじゃ、だめ)
(つかえる ばしょと、つづけられる かたちが ひつよう)
八歳の少女の思考としては、あまりにも現実的だった。
——王宮の外で、生きる道。
それを考え始めたのは、婚約が破棄されたからではない。きっかけにはなったが、原因ではない。
ずっと前から、薄々感じていたことだ。
王宮は、広くて、豪華で、安全だ。 でも、ここは「自分で選んだ場所」ではない。
選ばれた立場であって、選んだ人生ではない。
タナーは、帳面の隣に、もう一冊のノートを広げた。 白紙に近いそのページに、ゆっくりと文字を書いていく。
「……おみせ」
小さな文字。
王女らしくもない発想だと、自分でも思う。 けれど、不思議と、それは胸の中にすとんと落ちた。
(おみせなら……)
(おうきゅうの そとでも、つづけられる)
(だれかの きげんで、なくならない)
商いは、地位ではなく、価値で成り立つ。 王女でなくなっても、続けられる。
タナーは、ペンを走らせる。
——どんなお店がいいだろう。
高級すぎるのは、だめ。 生活に密着しすぎるのも、むずかしい。
でも。
(かわいいもの)
(みて、すこし しあわせに なるもの)
王宮の部屋を見渡す。 棚の上には、飾り用のティーカップ。 ベッドの脇には、使い込まれたぬいぐるみ。
どちらも、心を和ませるものだ。
(……これだ)
雑貨屋。
しかも、ただ売るだけじゃない。 ちゃんと「続く」形で。
夕食の席で、タナーはほとんど喋らなかった。けれど、表情は落ち着いていた。むしろ、少しだけ、何かを決めた人の顔をしている。
それに気づいたのは、古くから仕えている侍女だった。
「殿下、何か……考え事を?」
「うん」
素直に、うなずく。
「……わたしね」
一瞬、言葉を選ぶように視線を落とし、それから、はっきりと言った。
「いつかの ために、じぶんの ばしょを つくろうと おもうの」
侍女は驚いた顔をしたが、すぐに柔らかく微笑んだ。
「それは……素敵なことですね」
タナーは、その言葉に少し救われた気がした。
夜。
ベッドに横になりながら、タナーはぬいぐるみを胸に抱く。
まだ、魔法はかかっていない。 しゃべりもしないし、お茶も淹れない。
それでも、ふわふわで、温かい。
「……おみせ、できるかな」
答えは返らない。 けれど、タナーはもう、不安よりも「やってみたい」という気持ちのほうが大きくなっているのを感じていた。
王宮の外を考える八歳。
それは、王女としては少し早すぎる決意かもしれない。
けれど——
第三王女タナーにとって、それは「生き方」を選ぶ、最初の一歩だった。
静かな夜の中で、その決意は、確かに形を持ちはじめていた。
婚約破棄から、数日が過ぎた。
王宮は不思議なほど、何も変わらなかった。
朝になれば目覚まし代わりにカーテンが開けられ、朝食が運ばれ、勉強の時間があり、午後には礼儀作法や読み書き、数字の授業が続く。庭を散歩すれば、いつも通りに侍女や騎士たちが頭を下げた。
——まるで、何事もなかったかのように。
けれど、タナーにはわかっていた。
変わったのは「今」ではない。 変わったのは、「先」だ。
「殿下、本日の算術の課題はこちらです」
「……ありがとう」
教師の差し出す紙を受け取りながら、タナーは机に向かう。数字は好きだった。並べると規則が見えて、嘘をつかない。誰かの機嫌や立場で形を変えない。
けれど今日の彼女の意識は、数字の向こう側にあった。
(いまは、だいじょうぶ)
(でも、いつか……)
第三王女。 婚約を破棄された王女。
今後、別の縁談が舞い込む可能性もある。だが、それは「あるかもしれない」話でしかない。そして、それが永遠の保証になることは、決してない。
王宮の庇護は、絶対ではないのだ。
午後。
自室に戻ったタナーは、机の引き出しから一冊の帳面を取り出した。王女用のものではない。装丁も簡素で、紙も少し黄ばんでいる。
——お金の帳面。
正確には、彼女個人の口座に関する記録だった。
タナーは、生まれながらにして多額の資産を持っている。祝い金、信託、王族として与えられた分配金。管理は大人がしているが、数字そのものは、タナー自身も把握していた。
「……二十億ファンタ」
小さく、声に出して確認する。
とてつもない金額だ。 けれど、それは「守られている間」しか意味を持たない。
(おかねが あるだけじゃ、だめ)
(つかえる ばしょと、つづけられる かたちが ひつよう)
八歳の少女の思考としては、あまりにも現実的だった。
——王宮の外で、生きる道。
それを考え始めたのは、婚約が破棄されたからではない。きっかけにはなったが、原因ではない。
ずっと前から、薄々感じていたことだ。
王宮は、広くて、豪華で、安全だ。 でも、ここは「自分で選んだ場所」ではない。
選ばれた立場であって、選んだ人生ではない。
タナーは、帳面の隣に、もう一冊のノートを広げた。 白紙に近いそのページに、ゆっくりと文字を書いていく。
「……おみせ」
小さな文字。
王女らしくもない発想だと、自分でも思う。 けれど、不思議と、それは胸の中にすとんと落ちた。
(おみせなら……)
(おうきゅうの そとでも、つづけられる)
(だれかの きげんで、なくならない)
商いは、地位ではなく、価値で成り立つ。 王女でなくなっても、続けられる。
タナーは、ペンを走らせる。
——どんなお店がいいだろう。
高級すぎるのは、だめ。 生活に密着しすぎるのも、むずかしい。
でも。
(かわいいもの)
(みて、すこし しあわせに なるもの)
王宮の部屋を見渡す。 棚の上には、飾り用のティーカップ。 ベッドの脇には、使い込まれたぬいぐるみ。
どちらも、心を和ませるものだ。
(……これだ)
雑貨屋。
しかも、ただ売るだけじゃない。 ちゃんと「続く」形で。
夕食の席で、タナーはほとんど喋らなかった。けれど、表情は落ち着いていた。むしろ、少しだけ、何かを決めた人の顔をしている。
それに気づいたのは、古くから仕えている侍女だった。
「殿下、何か……考え事を?」
「うん」
素直に、うなずく。
「……わたしね」
一瞬、言葉を選ぶように視線を落とし、それから、はっきりと言った。
「いつかの ために、じぶんの ばしょを つくろうと おもうの」
侍女は驚いた顔をしたが、すぐに柔らかく微笑んだ。
「それは……素敵なことですね」
タナーは、その言葉に少し救われた気がした。
夜。
ベッドに横になりながら、タナーはぬいぐるみを胸に抱く。
まだ、魔法はかかっていない。 しゃべりもしないし、お茶も淹れない。
それでも、ふわふわで、温かい。
「……おみせ、できるかな」
答えは返らない。 けれど、タナーはもう、不安よりも「やってみたい」という気持ちのほうが大きくなっているのを感じていた。
王宮の外を考える八歳。
それは、王女としては少し早すぎる決意かもしれない。
けれど——
第三王女タナーにとって、それは「生き方」を選ぶ、最初の一歩だった。
静かな夜の中で、その決意は、確かに形を持ちはじめていた。
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