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第三話 静かな王宮と、不穏ではない噂
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第三話 静かな王宮と、不穏ではない噂
婚約破棄という出来事は、王宮において意外なほど静かに扱われた。
公式には「外交上の都合による解消」とだけ記され、理由の詳細は伏せられた。侍女たちも、騎士たちも、あえて口に出すことはない。王宮とは、そういう場所だ。都合の悪い話は、最初から「なかったこと」にされる。
——けれど、人の気配までは消せない。
タナーが廊下を歩くと、視線がわずかに集まる。 好奇ではなく、同情でもなく、戸惑いに近いもの。
第三王女。 婚約を破棄された、幼い王女。
だが、その中心にいる本人は、驚くほど落ち着いていた。
午前中の庭園。
タナーは、日当たりのよいベンチに腰掛け、膝の上で本を読んでいた。物語集ではなく、王国史の簡易版。難しい部分は飛ばしながらも、過去の王や王女たちの選択を追っていく。
(……おうじょって、けっこう いろいろ してる)
結婚で国を支えた者。 修道院に入った者。 商業都市に移り住んだ者。
王女の人生は、一つではない。
そのことが、タナーを少しだけ安心させていた。
「殿下、ここにいらっしゃいましたか」
声をかけてきたのは、年配の侍女だった。昔から王宮に仕え、タナーのことも幼い頃から知っている。
「はい」
「お体の具合はいかがですか?」
「げんきです」
即答だった。
侍女は少し驚いたように目を細め、それから柔らかく微笑む。
「……それは、なによりでございます」
城の中では、別の話題も静かに流れていた。
第一王子が、最近少し無理をしているらしい。 第二王子が、甘いものを好みすぎだとか。
どれも、深刻ではない。 あくまで、日常の延長線上の噂だ。
第一王子は剣術の鍛錬が熱心すぎるきらいがあり、第二王子はお菓子好きとして有名だった。特に、ふわふわした甘味——マシュマロが好物だという話は、城内でもよく知られている。
タナーも、それを聞いたことがあった。
「おいしいですよね、ましゅまろ」
以前、そう言ったら、第二王子は得意げに笑っていた。
——それだけのこと。
午後。
図書室での静かな時間。
タナーは本棚の間を歩きながら、何冊か気になる本を抱えていた。そこに、年上の王女——すでに他国へ嫁いだ姉たちの名前が、ふと頭をよぎる。
(おねえさまたちは……)
もう、この城にはいない。 それぞれの場所で、それぞれの役割を生きている。
——残るのは、自分。
第三王女という立場は、城の中では少し宙に浮いているようなものだった。
夕刻。
王宮の一角で、小さな騒ぎがあった。
第一王子が剣の素振りをしていた最中、茂みから野良猫が飛び出してきた、というだけの話だ。
猫は、ただ通り過ぎただけ。 驚いたのは、人間のほうだった。
「びっくりした……」
という声とともに、騎士たちが集まったが、大事には至らなかった——その時点では。
タナーは、その話を後から聞いただけだ。
「ねこさん、わるくないのに」
そう呟くと、侍女が苦笑する。
「そうでございますね。猫は、ただ歩いただけですから」
その日の夜。
タナーは部屋で、古いぬいぐるみを抱きながら、静かに考えていた。
王宮は平穏だ。 人々も、いつも通り。
なのに、どこか——「流れ」が変わりつつあるような、そんな感覚があった。
不穏ではない。 怖くもない。
ただ、少しだけ、歯車がずれ始めているような。
「……」
タナーは、ぬいぐるみの柔らかさに頬をすり寄せる。
「おうきゅうって……ふしぎ」
守られているようで、いつまでも同じではない。 穏やかで、でも、止まってはいない。
八歳の王女は、まだその全てを理解しているわけではない。
けれど——
「ここだけに頼ってはいけない」という感覚だけは、少しずつ、確かなものになっていた。
王宮は今日も静かだ。
そして、誰も知らないところで、
第三王女タナーの未来へと続く道が、ゆっくりと形を変え始めていた。
婚約破棄という出来事は、王宮において意外なほど静かに扱われた。
公式には「外交上の都合による解消」とだけ記され、理由の詳細は伏せられた。侍女たちも、騎士たちも、あえて口に出すことはない。王宮とは、そういう場所だ。都合の悪い話は、最初から「なかったこと」にされる。
——けれど、人の気配までは消せない。
タナーが廊下を歩くと、視線がわずかに集まる。 好奇ではなく、同情でもなく、戸惑いに近いもの。
第三王女。 婚約を破棄された、幼い王女。
だが、その中心にいる本人は、驚くほど落ち着いていた。
午前中の庭園。
タナーは、日当たりのよいベンチに腰掛け、膝の上で本を読んでいた。物語集ではなく、王国史の簡易版。難しい部分は飛ばしながらも、過去の王や王女たちの選択を追っていく。
(……おうじょって、けっこう いろいろ してる)
結婚で国を支えた者。 修道院に入った者。 商業都市に移り住んだ者。
王女の人生は、一つではない。
そのことが、タナーを少しだけ安心させていた。
「殿下、ここにいらっしゃいましたか」
声をかけてきたのは、年配の侍女だった。昔から王宮に仕え、タナーのことも幼い頃から知っている。
「はい」
「お体の具合はいかがですか?」
「げんきです」
即答だった。
侍女は少し驚いたように目を細め、それから柔らかく微笑む。
「……それは、なによりでございます」
城の中では、別の話題も静かに流れていた。
第一王子が、最近少し無理をしているらしい。 第二王子が、甘いものを好みすぎだとか。
どれも、深刻ではない。 あくまで、日常の延長線上の噂だ。
第一王子は剣術の鍛錬が熱心すぎるきらいがあり、第二王子はお菓子好きとして有名だった。特に、ふわふわした甘味——マシュマロが好物だという話は、城内でもよく知られている。
タナーも、それを聞いたことがあった。
「おいしいですよね、ましゅまろ」
以前、そう言ったら、第二王子は得意げに笑っていた。
——それだけのこと。
午後。
図書室での静かな時間。
タナーは本棚の間を歩きながら、何冊か気になる本を抱えていた。そこに、年上の王女——すでに他国へ嫁いだ姉たちの名前が、ふと頭をよぎる。
(おねえさまたちは……)
もう、この城にはいない。 それぞれの場所で、それぞれの役割を生きている。
——残るのは、自分。
第三王女という立場は、城の中では少し宙に浮いているようなものだった。
夕刻。
王宮の一角で、小さな騒ぎがあった。
第一王子が剣の素振りをしていた最中、茂みから野良猫が飛び出してきた、というだけの話だ。
猫は、ただ通り過ぎただけ。 驚いたのは、人間のほうだった。
「びっくりした……」
という声とともに、騎士たちが集まったが、大事には至らなかった——その時点では。
タナーは、その話を後から聞いただけだ。
「ねこさん、わるくないのに」
そう呟くと、侍女が苦笑する。
「そうでございますね。猫は、ただ歩いただけですから」
その日の夜。
タナーは部屋で、古いぬいぐるみを抱きながら、静かに考えていた。
王宮は平穏だ。 人々も、いつも通り。
なのに、どこか——「流れ」が変わりつつあるような、そんな感覚があった。
不穏ではない。 怖くもない。
ただ、少しだけ、歯車がずれ始めているような。
「……」
タナーは、ぬいぐるみの柔らかさに頬をすり寄せる。
「おうきゅうって……ふしぎ」
守られているようで、いつまでも同じではない。 穏やかで、でも、止まってはいない。
八歳の王女は、まだその全てを理解しているわけではない。
けれど——
「ここだけに頼ってはいけない」という感覚だけは、少しずつ、確かなものになっていた。
王宮は今日も静かだ。
そして、誰も知らないところで、
第三王女タナーの未来へと続く道が、ゆっくりと形を変え始めていた。
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