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第五話 なにも変わらない、という違和感めに
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第五話 なにも変わらない、という違和感
婚約破棄から、数日が経った。
王宮は——驚くほど、何も変わらなかった。
朝になれば、いつも通りカーテンが開けられ、紅茶の香りが部屋に満ちる。侍女たちは静かな声で挨拶をし、廊下には規則正しい足音が響く。庭では庭師が低木を整え、遠くで鐘が時を告げていた。
あの日、隣国アストリア王国第二王子ロトから婚約を破棄されたという事実が、まるで夢だったかのようだ。
「殿下、本日のご予定でございます」
侍女が差し出す予定表を、タナーは両手で受け取った。
午前は読み書き。 午後は礼法。 夕刻は音楽。
昨日と、同じ。 一週間前とも、同じ。
——何も、変わっていない。
授業の席でも、教師はいつも通りだった。
「では、ここを読みなさい」
「はい」
タナーは、落ち着いた声で答える。文字を読む声も、書く手つきも、特に変わらない。誰も、婚約破棄の話題を出さないし、出す必要もない、という顔をしている。
王宮とは、そういう場所だ。
都合の悪い出来事は、最初から存在しなかったかのように扱われる。
休憩時間、窓の外を眺める。
中庭では、別の王族の子どもたちが遊んでいる。笑い声が響き、追いかけっこをする姿は、昨日と変わらない。
(……ほんとうに、なにも かわらない)
タナーは、胸の奥に小さな違和感を覚えた。
悲しくはない。 怒ってもいない。
けれど、「安心」でもなかった。
昼食の席でも、同じだ。
「本日のスープは、少し薄味でございます」
「……おいしいです」
形式的な会話。 形式的な笑顔。
誰も、タナーの顔色を過剰に気にすることはなかった。それは配慮でもあり、同時に距離でもある。
——王女は、感情を持たないものとして扱われる。
少なくとも、表に出してはいけないものとして。
午後の音楽の時間、鍵盤に指を置きながら、タナーはふと思った。
(もし……)
(もし、あの こんやくが あったままだったら)
今も、こうして音楽を習っていただろうか。 それとも、別の国へ行く準備をしていただろうか。
考えても、答えは出ない。
けれど、はっきりしていることが一つだけあった。
(どっちにしても……)
(わたしは、えらばれる だけ)
選ぶ側では、ない。
夕方、自室に戻ると、タナーはベッドの端に腰掛けた。
そこには、いつも一緒にいる普通のぬいぐるみがある。魔法も、仕掛けもない、ただ柔らかいだけのぬいぐるみ。
ぎゅっと抱きしめる。
——変わらない感触。
「……ねえ」
小さく、話しかける。
「きょうも、なにも なかったね」
ぬいぐるみは、何も答えない。
それでも、腕の中は温かかった。
王宮の生活は、安全で、整っていて、不自由はない。
けれど、タナーは気づいてしまった。
変わらないことは、安心でもあるけれど、同時に——何も残らないということでもある。
婚約があっても、なくなっても。 自分が笑っても、黙っていても。
王宮は、同じように回り続ける。
夜。
灯りを落とした部屋で、タナーは天井を見上げていた。
「……このまま でも、いいのかな」
誰に聞くでもなく、心の中で問いかける。
答えは、返ってこない。
けれど、今日一日を振り返って、はっきりしたことがあった。
——何も変わらない日常は、守ってはくれる。 ——でも、それは「自分の場所」ではない。
婚約破棄は、痛みではなかった。 屈辱でもなかった。
ただ、静かに——
タナーに現実を見せただけだった。
「ここにいられるのは、今だけかもしれない」
その考えは、まだ漠然としている。 形も、答えも、ない。
けれど。
八歳の王女の胸に、
小さな小さな「先を考える芽」が、確かに生まれていた。
王宮の夜は、今日も変わらず静かだった。
婚約破棄から、数日が経った。
王宮は——驚くほど、何も変わらなかった。
朝になれば、いつも通りカーテンが開けられ、紅茶の香りが部屋に満ちる。侍女たちは静かな声で挨拶をし、廊下には規則正しい足音が響く。庭では庭師が低木を整え、遠くで鐘が時を告げていた。
あの日、隣国アストリア王国第二王子ロトから婚約を破棄されたという事実が、まるで夢だったかのようだ。
「殿下、本日のご予定でございます」
侍女が差し出す予定表を、タナーは両手で受け取った。
午前は読み書き。 午後は礼法。 夕刻は音楽。
昨日と、同じ。 一週間前とも、同じ。
——何も、変わっていない。
授業の席でも、教師はいつも通りだった。
「では、ここを読みなさい」
「はい」
タナーは、落ち着いた声で答える。文字を読む声も、書く手つきも、特に変わらない。誰も、婚約破棄の話題を出さないし、出す必要もない、という顔をしている。
王宮とは、そういう場所だ。
都合の悪い出来事は、最初から存在しなかったかのように扱われる。
休憩時間、窓の外を眺める。
中庭では、別の王族の子どもたちが遊んでいる。笑い声が響き、追いかけっこをする姿は、昨日と変わらない。
(……ほんとうに、なにも かわらない)
タナーは、胸の奥に小さな違和感を覚えた。
悲しくはない。 怒ってもいない。
けれど、「安心」でもなかった。
昼食の席でも、同じだ。
「本日のスープは、少し薄味でございます」
「……おいしいです」
形式的な会話。 形式的な笑顔。
誰も、タナーの顔色を過剰に気にすることはなかった。それは配慮でもあり、同時に距離でもある。
——王女は、感情を持たないものとして扱われる。
少なくとも、表に出してはいけないものとして。
午後の音楽の時間、鍵盤に指を置きながら、タナーはふと思った。
(もし……)
(もし、あの こんやくが あったままだったら)
今も、こうして音楽を習っていただろうか。 それとも、別の国へ行く準備をしていただろうか。
考えても、答えは出ない。
けれど、はっきりしていることが一つだけあった。
(どっちにしても……)
(わたしは、えらばれる だけ)
選ぶ側では、ない。
夕方、自室に戻ると、タナーはベッドの端に腰掛けた。
そこには、いつも一緒にいる普通のぬいぐるみがある。魔法も、仕掛けもない、ただ柔らかいだけのぬいぐるみ。
ぎゅっと抱きしめる。
——変わらない感触。
「……ねえ」
小さく、話しかける。
「きょうも、なにも なかったね」
ぬいぐるみは、何も答えない。
それでも、腕の中は温かかった。
王宮の生活は、安全で、整っていて、不自由はない。
けれど、タナーは気づいてしまった。
変わらないことは、安心でもあるけれど、同時に——何も残らないということでもある。
婚約があっても、なくなっても。 自分が笑っても、黙っていても。
王宮は、同じように回り続ける。
夜。
灯りを落とした部屋で、タナーは天井を見上げていた。
「……このまま でも、いいのかな」
誰に聞くでもなく、心の中で問いかける。
答えは、返ってこない。
けれど、今日一日を振り返って、はっきりしたことがあった。
——何も変わらない日常は、守ってはくれる。 ——でも、それは「自分の場所」ではない。
婚約破棄は、痛みではなかった。 屈辱でもなかった。
ただ、静かに——
タナーに現実を見せただけだった。
「ここにいられるのは、今だけかもしれない」
その考えは、まだ漠然としている。 形も、答えも、ない。
けれど。
八歳の王女の胸に、
小さな小さな「先を考える芽」が、確かに生まれていた。
王宮の夜は、今日も変わらず静かだった。
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