婚約破棄されたのでファンシーショップ始めました。 ― 元婚約者が、お人形さんを側室にしようとして大恥をかきました ―

鷹 綾

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第三十三話 ひらく まえ の いちにち

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第三十三話 ひらく まえ の いちにち

 おみせは、まだ開いていない。

 けれど、その朝。
 タナーは、もう「ひらいている」と思っていた。

 扉は閉じている。
 看板も、まだ裏返しのまま。

 それでも――中は、ちゃんとおみせの顔をしていた。

 棚は低く、背伸びしなくても手が届く高さ。
 角はすべて丸く削られ、触っても痛くない。
 通路は広く、二人並んで歩いてもぶつからない。

 床は木。
 靴音が、こつん、と優しく返ってくる。

「……いい です」

 タナーは、ひとりごちた。

 その声に反応する者はいない。
 それで、いい。

 テイデイ・バトラーは、入口脇の定位置に座っている。
 動かない。
 けれど、朝の準備は、すでに終わっていた。

 カウンターの上には、冷めないティーポット。
 隣に、ティーカップが二つ。

 ひとつは、試飲用。
 もうひとつは――来た人のため。

「まだ だれも
 きて ません けど」

 タナーは、そう言って、カップを撫でた。

 ぬくもりは、ちゃんとある。

 そこへ、控えめな足音。

「姫様」

 アンダーソンだった。
 いつもの商人の顔ではなく、今日は少しだけ、慎重な顔。

「……失礼します」

「どうぞ」

 アンダーソンは、一歩中に入った瞬間、立ち止まった。

 昨日まで、ただの空き店舗だった場所。
 だが今は――理由のない安心感がある。

「……これは」

「なにか
 おかしい です か」

「いえ……“何も売られていない”のに、もう“買った気持ち”になる」

 タナーは、少しだけ首を傾げた。

「それ で
 いい です」

 アンダーソンは、苦笑する。

「姫様。普通、商人はそういう店を嫌がります」

「……でも」

 タナーは、棚に並ぶ品々を見た。

 普通にかわいいティーカップ。
 少し高い、魔法のかわいいティーカップ。
 手縫いのクマ。
 ことり時計。

「ここ は
 “いらない もの”
 を かいに くる ところ です」

「……いらない、もの?」

「なくて も
 いきて いけます」

 アンダーソンは、ゆっくり頷いた。

「ですが……あると、少し楽になる」

「はい」

「少し、やさしくなれる」

「はい」

 タナーは、にこりともしなかったが、声はやわらかかった。

「だから
 たかく します」

「……はは」

 アンダーソンは、声を出して笑った。

「看板は、これでよろしいですか」

 差し出されたのは、小さな木の看板。
 派手な装飾はない。

 ただ、丸い文字で書かれている。

 ――かわいいもの やさん

「いい です」

「店名は……?」

「これ です」

 即答だった。

 アンダーソンは、少しだけ驚いたが、すぐに納得した。

「……覚えやすい」

「まちがえ にくい です」

 看板は、扉の横に掛けられた。
 まだ裏返しのまま。

「明日、ひっくり返します」

「はい」

 タナーは、そう言ってから、少し考えた。

「……あの」

「はい、姫様」

「きょう は
 うらを むいた まま
 で いい です」

「……理由を伺っても?」

「きょう は
 “じぶん が
 ここ に いて
 いい か”
 たしかめる ひ です」

 アンダーソンは、何も言えなかった。

 ただ、深く頷いた。

 夕方。

 陽が傾き、店内が橙色に染まる。

 タナーは、入口の前に立った。

 扉は閉まっている。
 看板も、まだ裏。

 けれど。

「……ここ は
 わたし の
 ばしょ です」

 小さな声だったが、迷いはなかった。

 テイデイ・バトラーは、動かない。
 だが、その存在は、ずっと肯定しているようだった。

 その夜。
 看板は、ひっくり返されないまま。

 でも、おみせは――
 もう、ちゃんと始まっていた。


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