婚約破棄と暗殺で死んだはずの公爵令嬢ですが、前に出ずに全てを崩壊させます

鷹 綾

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第27話 距離のある日常

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第27話 距離のある日常

 数日が過ぎた。

 フォールス・アキュゼーションは、同じ道を歩き、同じ市場を通り、同じ川沿いのベンチに腰を下ろす生活を続けていた。特別な出来事はない。だが、何も起きないこと自体が、少しずつ彼女の中で意味を持ち始めていた。

 人は、慣れる。

 それが、良いことか悪いことかは分からない。ただ、慣れは判断を鈍らせる一方で、余計な緊張を削ぎ落とす。

 市場の果物屋で、また林檎を買う。

「今日も一つ?」

「はい」

 それだけの会話。店主は、もはや彼女を不審がらない。常連というほどではないが、顔見知りではある。

 代金を払い、包みを受け取る。

 その瞬間、ふと思う。

 ――この人は、私が誰かを知らない。

 だが、知らないからといって、軽んじてもいない。
 ただ、客として扱っている。

 それは、以前の自分が一度も得たことのない距離感だった。

 川沿いで林檎をかじりながら、本を開く。旅の記録の続きを読む。書き手は、失敗や勘違いを正直に書いている。華やかさはないが、妙に現実的だ。

 読み進めるうちに、胸の奥に引っかかる言葉があった。

 ――人は、役割を持たないと不安になるが、役割に縛られると壊れる。

 紙を閉じ、空を仰ぐ。

「……本当に、その通りですね」

 独り言は、風に溶ける。

 午後、例の掲示が貼られていた路地を、再び通った。帳簿整理の求人は、まだ残っている。紙の端が、少しだけ剥がれていた。

 誰かが、迷っている証拠だ。

 フォールスは、立ち止まった。

 応募するつもりはない。少なくとも、今は。

 だが、自分の視線がそこに引き寄せられていることは、はっきり分かった。

 ――私は、完全に何もしない状態が、少し苦手だ。

 それは、悪いことではない。
 ただの性質だ。

 夕方、大使館に戻ると、ディヴァイン・プロテクションが廊下で待っていた。

「外出は順調か」

「はい」

「困りごとは」

「特に」

 短い報告。

「……何か、変わったことはないか」

 彼の問いは、曖昧だった。

「大きなことは、ありません」

 フォールスは、正直に答える。

「ただ……人と距離を取るのが、楽だと感じるようになりました」

 ディヴァインは、少し考えた。

「それは、悪い兆候か」

「いいえ」

 フォールスは、首を振る。

「以前は、距離を詰めることが正しいと思っていました。責任として」

「今は違うと」

「今は、距離があるからこそ、壊れない関係もあると分かります」

 ディヴァインは、短く息を吐いた。

「……向いているな」

「何にですか」

「生き延びることに」

 フォールスは、わずかに微笑んだ。

 夜、部屋に戻る。

 机の上に、白紙の紙を広げる。前に畳んだものとは、別の紙だ。

 筆を取るが、何も書かない。

 代わりに、心の中で言葉を整理する。

 私は、目立ちたくない。
 だが、無関心でもいられない。
 前に出るのは苦手だが、構造を見過ごすこともできない。

 それは、役割として押し付けられた性質ではない。
 裁判を経て、残ったものだ。

 紙を畳み、引き出しにしまう。

 まだ、書く時ではない。

 選択は、近づいている。
 だが、急ぐ必要はない。

 フォールス・アキュゼーションは、灯りを落とし、ベッドに横になった。

 距離のある日常。
 静かで、淡々としていて、壊れにくい。

 その中で、自分が何を手放せて、何を手放せないのか。

 それが見えた時、
 初めて選ぶ資格が、生まれるのだろう。

 そう思いながら、
 彼女は、ゆっくりと眠りについた。
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