婚約破棄と暗殺で死んだはずの公爵令嬢ですが、前に出ずに全てを崩壊させます

鷹 綾

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第32話 試される距離

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第32話 試される距離

 翌朝、フォールス・アキュゼーションは、いつもより早く目を覚ました。

 理由は単純だった。
 眠りが浅かった。

 短剣を枕元に置いたまま眠るという行為が、想像以上に意識を刺激していたらしい。危険を感じているわけではない。ただ、「備えている」という状態に、身体が慣れていないだけだ。

 身支度を整え、窓を開ける。

 街は、変わらず平穏だった。市場の準備をする音、通りを掃く人の気配。昨日までと何も違わない。

 ――だからこそ、違和感が際立つ。

 フォールスは、深く息を吸った。

 今日、何かが起きる。
 確信に近い感覚だった。

 午前中は、外出を控えた。市場へ行く気にもならず、本を開いても文字が頭に入らない。集中しようとするほど、思考が外へ引きずられる。

 昼前、控えめなノックがした。

「入ってください」

 扉の向こうに立っていたのは、ディヴァイン・プロテクションだった。

「殿下からの要請だ」

 言葉は短い。

「もう、ですか」

「ああ」

 フォールスは、頷いた。

「内容は?」

「確認と立ち会い」

「……それだけ?」

「それだけだ」

 それが意味するところは、明白だった。

 彼女の立ち位置が、実際にどう扱われるのか。
 それを測るための、最初の一手。

 大使館内の会議室。
 そこには、エクイティ・フェアネス・ロイヤル・ロードのほか、数名の文官が集まっていた。いずれも、顔には出さないが、明らかに彼女を値踏みしている。

「来てくれて感謝する」

 エクイティは、穏やかに言った。

「今回は、君の意見を聞きたい」

「どの件についてでしょうか」

 差し出されたのは、一束の書類だった。

 王太子派の残党が関与していると疑われる、資金の流れ。表向きは合法だが、いくつかの点で不自然さがある。

 フォールスは、無言で目を通した。

 読み終えるまで、誰も口を挟まない。

「……これは」

 顔を上げる。

「違法ではありません。ただし、隠蔽を前提とした構造です」

 文官の一人が、眉を動かした。

「違法でないなら、問題ないのでは?」

「短期的には」

 フォールスは、静かに答える。

「ですが、この構造は、責任の所在を曖昧にするためのものです。資金が不正に使われた場合、誰も裁けない」

「推測だな」

「はい」

 彼女は、否定しない。

「ですが、過去に同じ形式を、私は見ています」

 文官たちの視線が、わずかに鋭くなる。

「王太子フレイム・ファブリケイト・ロイヤル・ロードが使っていた手法です」

 室内の空気が、静かに変わった。

 エクイティは、興味深そうに言った。

「断定はできないな」

「できません」

 フォールスは、はっきり言った。

「だからこそ、今は手を出すべきではない。監視だけに留めるべきです」

「動かない、と?」

「動かないことで、相手を焦らせる。次の一手を打たせる」

 沈黙。

 やがて、エクイティが口を開いた。

「君は、正面から切らない」

「切れば、こちらが悪者になります」

「だが、放置もしない」

「はい」

 エクイティは、ゆっくりと頷いた。

「……なるほど」

 文官の一人が、渋い顔で言う。

「それでは、何も成果が出ない」

 フォールスは、その言葉を正面から受け止めた。

「成果を急げば、歪みます」

 視線を逸らさず、続ける。

「私は、結果を保証しません。ただ、構造が壊れる可能性を、先に示すことはできます」

 再び沈黙。

 それは、拒絶ではない。
 評価だ。

「いいだろう」

 エクイティが言った。

「今回は、君の意見を採る」

 文官たちは、それ以上何も言わなかった。

 会議が終わり、廊下を歩く。

 ディヴァインが、低く言った。

「踏み込みすぎない判断だったな」

「はい」

「だが、確実に目を付けられた」

「覚悟しています」

 ディヴァインは、短く笑った。

「それでいい」

 宿へ戻る道すがら、フォールスは空を見上げた。

 雲は流れ、光が差し始めている。

 今日、彼女は何も暴かなかった。
 誰も裁かなかった。

 だが、自分の立ち位置は、確かに示した。

 構造の隣に立ち、
 早すぎる正義にも、
 遅すぎる沈黙にも、
 与しない。

 フォールス・アキュゼーションは、静かに理解した。

 これが、試される距離だ。

 そして――
 この距離を保てる限り、
 彼女は、消されない。
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