婚約破棄と暗殺で死んだはずの公爵令嬢ですが、前に出ずに全てを崩壊させます

鷹 綾

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第34話 切られない名前

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第34話 切られない名前

 夜半、雨が降った。

 音は強くない。だが、街の輪郭を曖昧にするには十分だった。石畳を打つ雨音が、思考を一定のリズムに整える。

 フォールス・アキュゼーションは、窓辺に立ち、雨の筋を目で追っていた。

 ――切られなかった。

 それが、今夜の結論だった。

 資金経路の末端は切られた。
 だが、彼女の名前は、どこからも消されていない。

 それは、偶然ではない。

 彼らは、フォールスを「動線の一部」とは認識していない。
 危険だが、即時に排除すべき対象ではない。

 つまり――
 まだ、誤認している。

 ノックの音がした。

「入ってください」

 ディヴァイン・プロテクションだった。雨に濡れた外套を外し、室内に入る。

「動きがあった」

「切り替えですか」

「ああ。人ではなく、帳簿だ」

 フォールスは、すぐに理解した。

「記録を作り直す」

「そうだ。だが、急いでいる」

「焦っていますね」

「君のせいだ」

 その言い方には、責める響きはなかった。

「名は出ていない」

 ディヴァインが続ける。

「だが、探られてはいる」

「それで十分です」

 フォールスは、椅子に腰を下ろした。

「切るには、まだ材料が足りない。切らずに済ませるには、怖い。だから、触れない」

「厄介だな」

「ええ」

 だが、その「厄介」は、こちらにとっても有利だ。

 相手は、判断を保留している。
 保留は、行動の遅れにつながる。

「殿下は?」

「静観だ」

「賢明です」

 ディヴァインは、短く笑った。

「君が言うと、嫌味に聞こえる」

「事実しか言っていません」

 雨音が、少し強まった。

 フォールスは、机の上の紙を一枚引き寄せる。何も書かれていない。だが、頭の中では線が引かれている。

 ――彼らは、私を切らない。

 切れないのではない。
 切らない。

 それは、彼女を「使える可能性のある駒」と見ている証拠だ。

 ならば、やるべきことは一つ。

「こちらからは、名を出さない」

「それで?」

「相手に、判断を委ね続けます」

 ディヴァインは、少し考えた。

「君が、何者なのか分からない状態を維持する、と」

「はい」

「危険だぞ」

「危険でない状態は、もう終わっています」

 その言葉に、ディヴァインは反論しなかった。

 夜が更ける。

 雨は、やがて止んだ。

 フォールスは、窓を閉め、灯りを落とす。

 切られない名前。
 それは、保護ではない。

 迷いだ。

 相手の迷いは、こちらの余地になる。

 構造の隣に立つ者は、
 自分の名前を、武器にも盾にも使わない。

 ただ、
 切られない場所に置き続ける。

 フォールス・アキュゼーションは、静かに目を閉じた。

 次に動くのは、
 焦りきった誰かだ。

 その時、
 彼女は、また一歩だけ、
 距離を保ったまま、
 前に出る。
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