婚約破棄と暗殺で死んだはずの公爵令嬢ですが、前に出ずに全てを崩壊させます

鷹 綾

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第35話 残響の問い

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第35話 残響の問い

 朝の光は、昨夜の雨を洗い流した石畳に反射していた。

 街は、いつもより少しだけ明るい。だが、フォールス・アキュゼーションの内側には、消えない影があった。切られない名前。判断を保留する相手。動かないことで生まれる圧。

 ――次は、問いだ。

 答えではない。
 行動でもない。
 相手に突きつけられる、形のない問い。

 午前、ディヴァイン・プロテクションが短い報告を持ってきた。

「今朝、二つの噂が流れ始めた」

「内容は?」

「一つは、王太子派の復権。もう一つは、君がその鍵だという話」

 フォールスは、表情を変えなかった。

「誰が流していますか」

「特定はできない。だが、どちらも同じ場所から広がっている」

「……市場ですね」

「ああ」

 噂は、意図を隠すのに最適な媒体だ。誰が言い出したか分からず、否定すれば逆に広がる。

「狙いは?」

「様子見です」

 フォールスは、即答した。

「こちらがどう反応するか。黙るか、否定するか、怒るか」

「反応すれば?」

「彼らは、私を測れます」

 ディヴァインは、短く頷いた。

「なら、反応しない?」

「いいえ」

 フォールスは、椅子から立ち上がった。

「反応します。ただし、別の形で」

 昼過ぎ、彼女は市場へ出た。

 いつもの果物屋。
 いつもの林檎。

「今日も一つ」

 店主は、何気なく包みながら言った。

「最近、変な話が多いな」

「そうですね」

「大使館の人間が、何か企んでるとか」

 フォールスは、代金を置き、穏やかに答えた。

「噂は、面白いから広がるんです」

「違いねえ」

 それだけの会話。

 否定もしない。
 肯定もしない。

 次に、書店へ寄る。旅の記録ではなく、法律の入門書を一冊手に取る。棚から抜き、表紙を眺め、元の場所へ戻す。

 それを、誰かが見ている。

 川沿いで腰を下ろし、林檎をかじる。噂話をしている二人組の声が、風に乗って届いた。

「……証人が、まだ生きてるらしい」

「王弟が匿ってるって?」

「さあな」

 フォールスは、食べ終えた芯を紙に包み、立ち上がった。

 その日の夕方、エクイティ・フェアネス・ロイヤル・ロードから、非公式の呼び出しがあった。

「噂が、君の周りを回っている」

「承知しています」

「否定しなかったな」

「はい」

「肯定もしなかった」

「はい」

 エクイティは、指を組んだ。

「なぜだ」

「噂は、否定されると勢いを増します」

「では、放置か」

「いいえ」

 フォールスは、はっきり言った。

「噂の射程を、ずらしました」

「どうやって」

「私が“鍵”だという話を、誰でも触れる場所に置いた」

 エクイティは、目を細めた。

「危険だ」

「だからです」

 フォールスは、静かに続ける。

「誰でも触れる噂は、価値が下がる。特別な情報ではなくなる」

「……残響を薄めたか」

「はい。問いだけを残して」

 沈黙。

 やがて、エクイティは微笑んだ。

「相手は、次にどう出ると思う」

「直接、確かめに来ます」

「誰が」

「名のある者ではありません。名を失っても痛くない者です」

 それは、暗殺者ではない。
 使い捨ての観測者。

「備えは?」

「距離を保ちます」

「それだけで?」

「十分です」

 会談が終わり、廊下でディヴァインが言った。

「随分と、危ない橋だ」

「橋ではありません」

「何だ」

「残響です」

 フォールスは、足を止めた。

「音は、発した瞬間よりも、残った後のほうが、人を動かします」

 夜、部屋に戻り、短剣を確認する。

 使うためではない。
 距離を思い出すためだ。

 噂は、問いに変わった。
 問いは、誰かを動かす。

 そして、動いた者の足跡は、
 必ず、残る。

 フォールス・アキュゼーションは、灯りを落とした。

 次に響くのは、
 相手の答えだ。
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