婚約破棄? では、その誠実さはどちらに置いていらしたのですか?

鷹 綾

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第七話 真実の愛宣言

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第七話 真実の愛宣言

「――私は、ここに宣言する」

 レオンハルト・ヴァルディアの声が、大広間いっぱいに響いた。

 ざわめきが止む。

 すべての視線が、王太子へと向けられる。

 ミレイナは息を呑み、父アルドリックは背筋を伸ばし、継母エルヴィラは扇の奥で微笑んだ。

 そして。

 セリシアは、ただ静かに立っている。

「私はこれまで、家同士の約束に従い、セリシア・ルヴァリエと婚約してきた」

 その言葉が空気を震わせる。

 あえて名を出す。

 周囲が息を詰める。

「だが」

 一拍。

「私は気づいたのだ。本当に大切なものに」

 ざわ、と波のように広がる気配。

 ミレイナの頬が、ほんのりと染まる。

「私が愛しているのは――」

 視線が、彼女へ向く。

「ミレイナだ」

 はっきりと告げられた。

 決定的な言葉。

 大広間が、どよめく。

「よって、セリシアとの婚約は、ここに破棄する」

 破棄。

 その単語は、冷たく、重く、明確だった。

 沈黙。

 次いで、ひそひそと広がる声。

「やはり……」

「氷の令嬢は、とうとう捨てられたのね」

「ミレイナ嬢のほうが愛らしいもの」

 ささやきが、容赦なく広がる。

 ミレイナは震える声で言った。

「殿下……本当に、よろしいのですか……?」

「もちろんだ」

 レオンハルトは、誇らしげに彼女の手を取る。

「私は真実の愛を選ぶ」

 真実の愛。

 その響きは甘く、そして軽い。

 父が、ぎこちなく一歩前に出た。

「……殿下のお決めになったことならば」

 すでに受け入れている声。

 継母は涙を拭う仕草を見せる。

「なんて勇気あるご決断でしょう」

 芝居じみた賞賛。

 そして、ようやく。

 レオンハルトの視線が、セリシアへ向いた。

「セリシア」

 名を呼ぶ。

 まるで寛大さを示すように。

「君は優秀だ。だが、私は王だ。心で選ばねばならない」

 まるで、情けをかけているかのような口調。

 セリシアは、静かに一歩前へ出た。

 視線が集中する。

 泣くのか。

 怒るのか。

 叫ぶのか。

 誰もが、それを期待している。

 だが。

「承知いたしました」

 澄んだ声が響いた。

 予想外の静けさ。

 ざわめきが止まる。

「殿下のご意思、尊重いたします」

「……」

 レオンハルトの眉がわずかに動く。

「ただし」

 セリシアは続けた。

「婚約は契約でございます」

 その言葉に、空気がぴんと張り詰める。

「契約の破棄には、相応の清算が必要かと存じます」

 ざわり、と再び波が広がる。

 レオンハルトの表情が曇る。

「清算、だと?」

「はい」

 淡々とした声。

「公爵家は、王家との婚約に際し、相応の持参金と商会優先権を提供しております」

 具体的な言葉。

 現実的な響き。

「破棄なさるのであれば、契約条項に基づく対応をお願いいたします」

 甘い愛の宣言に、水を差すような現実。

 ミレイナの顔が強張る。

「お姉様、そんな……いまはお祝いの場ですのよ?」

「だからこそ、曖昧にすべきではございません」

 視線を逸らさない。

 レオンハルトは苛立ちを隠さず言った。

「金の話か?」

「契約の話でございます」

 きっぱりと。

「王太子殿下が軽率な決断をなさる方とは、思っておりませんでした」

 その一言が、刺さる。

 軽率。

 誰もが心のどこかで感じていた言葉。

 レオンハルトの顔が赤くなる。

「私は王だ!」

「まだ王太子でございます」

 静かな訂正。

 周囲の空気がさらに張りつめる。

 ミレイナが震える声で言う。

「お姉様……どうしてそんなことを……」

「どうしても何も」

 セリシアは彼女を見る。

「あなたが選ばれたのでしょう? ならば堂々となさってください」

 逃げ道はない。

 愛を選んだのなら、責任も背負う。

 父が慌てて口を挟む。

「セリシア、場をわきまえよ!」

「わきまえております」

 視線は、王太子へ。

「殿下。わたくしは婚約破棄を受け入れます」

 きっぱりと言う。

「ですが、清算は必要です」

 大広間に、重い沈黙が落ちた。

 愛の宣言は、甘い夢のままで終わらなかった。

 現実が、そこに立っている。

 レオンハルトは、初めてわずかな動揺を見せた。

 だが、すぐに顎を上げる。

「……分かった。後日、正式に話し合おう」

「承知いたしました」

 セリシアは、静かに頭を下げた。

 泣きもせず、怒りもせず。

 ただ、受け入れ、そして線を引いた。

 氷の令嬢。

 その呼び名が、いまや別の意味を帯び始める。

 愛を選んだ者。

 契約を選んだ者。

 どちらが、最後に立っているのか。

 燭台の炎が揺れる。

 舞踏会は続く。

 だが、この瞬間。

 すでに、何かが決定的に崩れ始めていた。
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