婚約破棄? では、その誠実さはどちらに置いていらしたのですか?

鷹 綾

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第八話 四面楚歌

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第八話 四面楚歌

 舞踏会は、何事もなかったかのように続いていた。

 楽団が再び奏で始め、貴族たちは表向きの笑顔を取り戻す。

 だが、空気は変わっていた。

 甘いはずの祝宴は、どこか刺々しい。

「氷の令嬢が、金の話を持ち出したそうよ」

「やはり情がないのね」

「殿下の勇気ある決断を、祝うべき場でしょうに」

 ささやきが、容赦なく背に突き刺さる。

 セリシアは、壁際で静かにグラスを手にしていた。

 中身は口にしていない。

 ただ、立っている。

 それだけで、注目される。

「セリシア」

 低い声が背後からかかった。

 振り向けば、父アルドリックが険しい顔で立っている。

「少し来い」

 抗う理由はない。

 父に従い、柱の陰へと移動する。

 音楽と笑い声が遠のく。

「何を考えている」

 抑えた怒り。

「契約の清算を申し上げただけです」

「場を壊す気か!」

「壊したのは、殿下でございます」

 静かな指摘。

 父の顔が歪む。

「お前はどうして、そう冷たい」

「冷静であることが、冷たいと呼ばれるのであれば」

「屁理屈だ!」

 声が大きくなる。

 近くにいた貴族が振り向く。

 父は慌てて声を落とした。

「いまは王家との関係が最優先だ。余計な要求をすれば、我が家が不利になる」

「不利になる契約を、なぜ結びましたか」

「それは……」

 言葉が詰まる。

 そこへ、柔らかな声が割り込んだ。

「あなた、落ち着いて」

 エルヴィラが現れる。

 扇で口元を隠しながら、微笑む。

「セリシアも、少しは殿下のお気持ちを思いやれないの?」

「思いやりとは、契約を無視することですか」

「愛を祝福することよ」

 甘い声音。

「あなたも姉なら、妹の幸せを喜ぶべきでしょう」

 周囲の視線が、じわりと集まる。

 姉として、冷たい。

 その構図を作り上げる。

「わたくしは反対しておりません」

「ではなぜ清算などと」

「必要だからです」

 言葉は短い。

 だが揺るがない。

 そのとき、ミレイナが近づいてきた。

 瞳は潤み、今にも涙がこぼれそうだ。

「お姉様……どうして、そんなに意地悪なの?」

 会場の空気が一瞬止まる。

「意地悪?」

「殿下は、勇気を出して宣言なさったのよ。皆の前で……わたくし、怖かったの」

 震える声。

「なのに、お姉様は……お金の話をなさるなんて」

 ぽろり、と涙が落ちる。

 その瞬間、周囲の空気が一斉に傾いた。

「やはり冷たいのね」

「妹を泣かせるなんて」

「王太子殿下がお気の毒だわ」

 四方から押し寄せる視線。

 まさに四面楚歌。

 父が低く言う。

「謝れ」

「何に対してでしょう」

「場を乱したことにだ!」

「乱したのは、婚約破棄の宣言です」

 静かに返す。

 エルヴィラが溜息をつく。

「あなたは、本当に可愛げがないわ」

「可愛げは、契約を守る理由にはなりません」

 冷たい。

 堅い。

 愛がない。

 そう言われても、否定しない。

 レオンハルトが、少し離れた位置から様子を見ている。

 眉間に皺を寄せ、不快そうに。

 その視線に、わずかな苛立ちが混じる。

「セリシア」

 王太子が歩み寄る。

「これ以上、恥を晒すな」

 恥。

 その言葉に、周囲が息を呑む。

「恥を晒したのは、どなたでしょう」

 淡々とした問い。

「……!」

 レオンハルトの顔が紅潮する。

「私は愛を選んだ。それは誇るべき決断だ」

「ならば堂々と清算なさってください」

「金に執着するな!」

「金ではありません」

 セリシアはまっすぐに見つめる。

「責任でございます」

 その一言が、空気を切り裂く。

 責任。

 甘い言葉の裏に隠していたもの。

 レオンハルトは一瞬、言葉を失う。

 だが、すぐに背を向けた。

「話は後日だ。いまは祝宴を続ける」

 逃げるように、ミレイナの手を取り、中央へ戻る。

 音楽が再開する。

 笑い声が戻る。

 だが、どこかぎこちない。

 父が、低く言った。

「お前は孤立するぞ」

「すでにしております」

 即答。

 父は何も言えなくなる。

 エルヴィラは冷たい目で睨む。

 ミレイナは王太子の腕にすがりながら、ちらりとこちらを見る。

 勝者の視線。

 だが、その奥に、わずかな不安が宿る。

 セリシアは一人、壁際に立つ。

 四面楚歌。

 だが、恐れはない。

 失うものは、すでにほとんどない。

 残っているのは。

 事実と、契約と、証拠。

 楽団の旋律が高まる。

 華やかな夜は続く。

 だが、その裏で。

 静かに、確実に。

 公爵家と王家の歯車は、ずれ始めていた。
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