婚約破棄? では、その誠実さはどちらに置いていらしたのですか?

鷹 綾

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第九話 静かな清算

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第九話 静かな清算

 舞踏会の喧騒から離れ、王宮の奥にある小さな応接室。

 重厚な扉が閉じられた瞬間、外の音はすべて遮断された。

 そこにいるのは、レオンハルト・ヴァルディア、アルドリック・ルヴァリエ、エルヴィラ、ミレイナ、そして――セリシア。

 華やかな笑顔は消え、代わりに緊張が漂う。

「さて」

 レオンハルトが椅子に腰を下ろす。

「場を改めた。清算とやらの話を聞こう」

 苛立ちを隠さない声。

 だが、先ほどのような自信満々の響きは、わずかに薄れている。

 セリシアは立ったまま、淡々と口を開いた。

「婚約に際し、ルヴァリエ家は王家へ三つの条件を提示し、承認を得ております」

「条件だと?」

「第一に、持参金の一部を王宮運営費へ充当すること。第二に、公爵家商会との優先取引契約。第三に、将来的な領地再編時の優遇措置」

 言葉を区切り、視線を上げる。

「これらは、婚約を前提とした契約でございます」

 レオンハルトが顔をしかめる。

「それがどうした」

「婚約が破棄されるのであれば、契約も無効となります」

「当然だ」

「無効となる場合、返還義務が発生いたします」

 静かな声。

 だが、その意味は重い。

 アルドリックが慌てて口を挟む。

「セリシア、そこまで言わずとも……」

「父上」

 穏やかに遮る。

「わたくしは事実を申し上げているだけです」

 ミレイナが震える声で言う。

「お姉様、そんな大げさな……」

「大げさではございません」

 視線を向ける。

「王家との契約は、公的な記録に残っております」

 エルヴィラが扇を閉じた。

「つまり、返金を求めると?」

「返還、もしくは同等の代替措置でございます」

 レオンハルトが立ち上がる。

「私は王太子だ。金銭の話で脅される筋合いはない」

「脅してはおりません」

 視線を逸らさない。

「殿下が選ばれたのは愛。わたくしが選ぶのは契約。それだけの違いでございます」

 室内が、ぴんと張り詰める。

 レオンハルトは、ほんの一瞬だけ言葉を失った。

 愛と契約。

 並べられた二つの言葉が、あまりにも対照的だった。

「……私が支払う必要はない」

「王家として、でございます」

 訂正。

「王家の責任は、王家が負うべきかと」

 アルドリックが顔を青ざめさせる。

「王家に盾突くつもりか!」

「盾突くのではなく、確認でございます」

 セリシアはゆっくりと手袋を外し、机の上に置いた。

「婚約破棄は殿下のご意思。わたくしはそれを尊重いたします」

 ミレイナが息を詰める。

「ですが」

 一拍。

「尊重と、無条件の放棄は別でございます」

 レオンハルトの拳が、机を打った。

「君は冷たい!」

「そうでしょうか」

「感情がないのか!」

「ございます」

 静かに答える。

「だからこそ、曖昧にできません」

 その一言に、わずかな揺らぎが走る。

 レオンハルトは、ようやく理解し始める。

 これは、感情のもつれではない。

 現実だ。

「期限をいただきます」

 セリシアは続ける。

「正式な書面にて、清算内容を提示いたします」

「書面だと?」

「公的な手続きでございます」

 逃げ道はない。

 曖昧なまま終わらせることは、許さない。

 エルヴィラが苛立ちを隠さず言う。

「あなたは家の立場を考えているの?」

「考えております」

 穏やかな返答。

「だからこそ、曖昧なまま放置いたしません」

 アルドリックは、椅子に崩れるように座った。

 理解している。

 この話は、感情では終わらない。

 レオンハルトは、深く息を吐く。

「分かった。書面を出せ」

 不本意な承諾。

「だが、私は愛を後悔しない」

「それは殿下の自由でございます」

 セリシアは、ゆっくりと頭を下げた。

「わたくしも、後悔はいたしません」

 その言葉に、レオンハルトは目を細める。

 何かが、違う。

 捨てられたはずの女が、まるで揺らいでいない。

 応接室を出ると、再び音楽が耳に届いた。

 舞踏会は続いている。

 だが、もう同じ夜ではない。

 契約は、動き出した。

 愛の宣言は、書面へと変わる。

 セリシアは静かに歩き出す。

 清算は始まった。

 甘い言葉の代償が、これから形になる。

 夜はまだ終わらない。

 だが、物語は確実に、次の段階へ進んでいた。
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