婚約破棄? では、その誠実さはどちらに置いていらしたのですか?

鷹 綾

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第十話 追い出された令嬢

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第十話 追い出された令嬢

 舞踏会の翌朝。

 公爵邸は、異様な静けさに包まれていた。

 いつもなら使用人の足音や指示の声が響く時間だというのに、今日はどこかよそよそしい。

 セリシアが自室の扉を開けると、廊下の先で侍女たちが視線を逸らした。

「……おはようございます」

 声をかけても、返事は小さい。

 昨夜の出来事は、すでに邸内に広まっている。

 王太子による婚約破棄。

 そして、あの「清算」の一言。

 氷の令嬢は、最後まで冷たかった――そんな噂が、きっと飛び交っているのだろう。

「セリシア」

 呼び止める声。

 振り向けば、エルヴィラが立っていた。

 朝から完璧に整えられた姿。

 口元には、薄い微笑み。

「少し、話があるわ」

 応接室へと通される。

 すでに父アルドリックも座っていた。

 そして、ミレイナも。

 昨日の主役は、今日はどこかしおらしい顔をしている。

「座りなさい」

 父の声は硬い。

 セリシアは静かに腰を下ろした。

「昨日の件だが」

 アルドリックは視線を合わせない。

「王家との関係を、これ以上悪化させるわけにはいかない」

「承知しております」

「殿下は、正式な婚約破棄の書面を準備するそうだ」

「存じております」

「……」

 父は喉を鳴らした。

「その際、持参金や契約の件は、穏便に済ませる」

 穏便。

 つまり、何も求めるなという意味だ。

「穏便、とは」

「王家に請求などできるわけがないだろう!」

 ついに声を荒げる。

「我が家が損をすることになっても、受け入れろ!」

 ミレイナが慌てて言う。

「お姉様、お願い……これ以上、殿下を困らせないで」

「困るのは、王家ではございません」

 静かな声。

「公爵家でございます」

 エルヴィラが口を挟む。

「家のことは、あなたが気にする必要はないわ」

「……」

「あなたはもう、王太子妃候補ではないのよ」

 はっきりとした線引き。

「それは、存じております」

「ならば、身の振り方を考えなさい」

 冷たい微笑み。

「公爵家の一員としての役目は、ここまでよ」

 父が目を閉じる。

「セリシア」

「はい」

「お前には、しばらく領地へ下がってもらう」

 領地。

 事実上の追放。

「いつまででしょう」

「……決めていない」

 決めていない。

 戻る保証はない。

 ミレイナが小さく呟く。

「わたくし、悪いことをしたくてしたわけじゃないの」

「理解しております」

 セリシアは彼女を見た。

「選ばれたのは、あなたです」

「……」

「ならば、その立場を全うなさってください」

 責めない。

 泣かない。

 ただ事実を告げる。

 それが、かえって残酷に映る。

「今日中に出立しなさい」

 エルヴィラが言った。

「荷物は最小限で結構よ」

「承知いたしました」

 父は何も言わない。

 目を合わせない。

 仕方なかった。

 きっと、またそう思っているのだろう。

 部屋に戻ると、侍女が震えながら言った。

「お嬢様、本当に……」

「支度をお願いいたします」

 淡々と告げる。

 持っていくのは、数冊の帳簿と書簡。

 衣装は最低限でいい。

 宝石は置いていく。

 この邸のものだから。

 荷をまとめ終え、玄関へ向かう。

 父も、継母も、ミレイナも立っている。

 見送りというより、確認のように。

「身体には気をつけなさい」

 父が形式的に言う。

「ありがとうございます」

 ミレイナは、どこか落ち着かない目をしている。

「お姉様……」

「どうか、お幸せに」

 それだけを残す。

 馬車がゆっくりと動き出す。

 公爵邸の門が、音を立てて閉まった。

 追い出された。

 だが、不思議と心は静かだった。

 失ったのは、形だけの立場。

 残っているのは、事実と、契約と、証拠。

 そして――

 これから動くはずの清算。

 窓の外、邸が遠ざかる。

 あの家は、自ら柱を外した。

 それに、まだ気づいていない。

 セリシアは、わずかに目を閉じた。

 四面楚歌。

 孤立無援。

 それでも。

 これは終わりではない。

 清算は、これから本格的に始まる。
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