『婚約破棄はお好きにどうぞ。――真実の愛に酔った王太子の末路と、私は隣国で王妃になります』

鷹 綾

文字の大きさ
1 / 31

第一話 守ると言ったその日から

しおりを挟む
第一話 守ると言ったその日から

 王太子殿下が「守る」とおっしゃったのは、春の舞踏会の真ん中でした。

 音楽が止まり、視線が集まり、そして――未亡人セレナ・ローゼンベルク伯爵夫人の手を、殿下は強く握ったのです。

「彼女は孤独だ。私は、彼女を守る」

 その瞬間、広間の空気が変わりました。

 ええ、私にもわかりましたわ。

 ――ああ、これは面倒なことになりますわね、と。

 

 私はアーデルハイト・フォン・グランディア。

 グランディア公爵家の長女にして、王太子エーヴェルハルト殿下の婚約者でございます。

 もっとも、いまのところは、ですが。

 

 殿下は、もともと優しいお方です。

 困っている者を見過ごせない。

 正義感もおありになる。

 それ自体は、美徳でしょう。

 けれど、その夜の殿下の横顔は、少しだけ違って見えました。

 優しさというより、陶酔。

 ご自身の選択に酔っていらっしゃるような――そんな表情。

 

 セレナ様は、まだお若い未亡人です。

 前伯爵が急逝なさり、家督の扱いが曖昧になっていたところへ、殿下が「特例として継承を認める」と宣言なさった。

 前例のない決断。

 けれど殿下は、堂々とおっしゃいました。

「彼女に罪はない。守られるべきだ」

 

 ええ、それ自体は立派なお言葉。

 ですが。

 “守る”という言葉は、とても便利で、とても重いのです。

 

 舞踏会の翌日、さっそく社交界はざわめきました。

「真実の愛ですって」 「まあ、素敵」 「でも公爵令嬢は?」

 もちろん、私の耳にも届きます。

 侍女のクララが、困った顔で報告に来ました。

「お嬢様……その、殿下と伯爵夫人の噂が」

「存じておりますわ」

 私は紅茶をひと口。

 熱すぎず、ぬるすぎず、ちょうど良い温度。

 紅茶は温度が肝心です。

 恋も、きっとそうなのでしょう。

 

「お怒りになりませんの?」

 クララが恐る恐る聞いてきます。

「なぜ?」

「だって……殿下はお嬢様の婚約者でいらっしゃいますのに」

 あら。

 クララは、案外情熱家ですわね。

 

「クララ」

 私はカップを置きました。

「ロマンスは小説の中だけで充分ですわ」

「え?」

「現実に持ち込むのでしたら、もう少し筋書きを練っていただきませんと」

 未亡人を救う王太子。

 真実の愛。

 禁断の想い。

 ――どこかで読んだことがありそうですわね。

 もっとも。

「三流では、観客も退屈いたしますでしょう?」

 クララは目を丸くして、それから小さく吹き出しました。

 

 私は怒っていません。

 悲しんでもいません。

 ただ、確認したいだけ。

 殿下が、何をお選びになるのかを。

 

 数日後、殿下から呼び出しがありました。

 王宮の私室。

 窓辺に立つ殿下は、以前より少しだけ硬い表情をしていらっしゃいました。

「アーデルハイト」

「お呼びと伺いました」

 私は礼をとります。

 完璧に。

 崩さずに。

 

「君も、噂は聞いているだろう」

「ええ」

 それだけです。

 責める言葉も、問い詰める声もありません。

 殿下の眉が、わずかに寄りました。

 

「私は、彼女を支えるつもりだ」

「存じておりますわ」

「誤解するな。これは同情だ。責任だ」

「そうでございましょうね」

 

 殿下は、少し苛立ったように私を見ました。

 私が怒らないことが、逆に落ち着かないのでしょう。

 

「君は、何も言わないのか?」

 ようやく出た問い。

 私は、静かに顔を上げました。

「では、お伺いいたしますわ」

 空気が、ぴんと張る。

 

「殿下は、どなたを優先なさいますの?」

 沈黙。

 その一瞬が、とても長く感じられました。

 

「優先、とは?」

「婚約とは、家と家、国と国の同盟でございます」

 声は穏やかに。

「その当事者が、他者を優先なさるのでしたら」

 私は微笑みます。

「選択なさるべきではありませんか?」

 

 殿下の瞳が揺れました。

 怒りでもなく、迷いでもなく。

 ――気づき。

 

 ええ、殿下。

 私は、破棄を申し出ることはできません。

 立場上。

 ですが。

 

 お選びになるのは、あなたです。

 

 王太子エーヴェルハルト殿下は、深く息を吸い込みました。

 そして。

「……少し、時間をくれ」

 

 ええ、もちろん。

 どうぞ、存分にお考えくださいませ。

 

 私は一礼し、静かに部屋を後にしました。

 

 廊下の窓から見える王都は、いつも通りに賑やかです。

 人々は、まだ知らない。

 この国の未来が、いま小さく揺れ始めていることを。

 

 守る、と言ったその日から。

 殿下は、きっともう戻れない。

 

 私はただ、契約を守るだけ。

 それだけですわ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

おかしくなったのは、彼女が我が家にやってきてからでした。

ましゅぺちーの
恋愛
公爵家の令嬢であるリリスは家族と婚約者に愛されて幸せの中にいた。 そんな時、リリスの父の弟夫婦が不慮の事故で亡くなり、その娘を我が家で引き取ることになった。 娘の名前はシルビア。天使のように可愛らしく愛嬌のある彼女はすぐに一家に馴染んでいった。 それに対してリリスは次第に家で孤立していき、シルビアに嫌がらせをしているとの噂までたち始めた。 婚約者もシルビアに奪われ、父からは勘当を言い渡される。 リリスは平民として第二の人生を歩み始める。 全8話。完結まで執筆済みです。 この作品は小説家になろう様にも掲載しています。

ボロ雑巾な伯爵夫人、やっと『家族』を手に入れました。~旦那様から棄てられて、ギブ&テイクでハートフルな共同生活を始めます2~

野菜ばたけ@既刊5冊📚好評発売中!
ファンタジー
 第二夫人に最愛の旦那様も息子も奪われ、挙句の果てに家から追い出された伯爵夫人・フィーリアは、なけなしの餞別だけを持って大雨の中を歩き続けていたところ、とある男の子たちに出会う。  言葉汚く直情的で、だけど決してフィーリアを無視したりはしない、ディーダ。  喋り方こそ柔らかいが、その実どこか冷めた毒舌家である、ノイン。    12、3歳ほどに見える彼らとひょんな事から共同生活を始めた彼女は、人々の優しさに触れて少しずつ自身の居場所を確立していく。 ==== ●本作は「ボロ雑巾な伯爵夫人、旦那様から棄てられて、ギブ&テイクでハートフルな共同生活を始めます。」からの続き作品です。  前作では、二人との出会い~同居を描いています。  順番に読んでくださる方は、目次下にリンクを張っておりますので、そちらからお入りください。  ※アプリで閲覧くださっている方は、タイトルで検索いただけますと表示されます。

私の容姿は中の下だと、婚約者が話していたのを小耳に挟んでしまいました

山田ランチ
恋愛
想い合う二人のすれ違いラブストーリー。 ※以前掲載しておりましたものを、加筆の為再投稿致しました。お読み下さっていた方は重複しますので、ご注意下さいませ。 コレット・ロシニョール 侯爵家令嬢。ジャンの双子の姉。 ジャン・ロシニョール 侯爵家嫡男。コレットの双子の弟。 トリスタン・デュボワ 公爵家嫡男。コレットの婚約者。 クレマン・ルゥセーブル・ジハァーウ、王太子。 シモン・グレンツェ 辺境伯家嫡男。コレットの従兄。 ルネ ロシニョール家の侍女でコレット付き。 シルヴィー・ペレス 子爵令嬢。 〈あらすじ〉  コレットは愛しの婚約者が自分の容姿について話しているのを聞いてしまう。このまま大好きな婚約者のそばにいれば疎まれてしまうと思ったコレットは、親類の領地へ向かう事に。そこで新しい商売を始めたコレットは、知らない間に国の重要人物になってしまう。そしてトリスタンにも女性の影が見え隠れして……。  ジレジレ、すれ違いラブストーリー

悪役断罪?そもそも何かしましたか?

SHIN
恋愛
明日から王城に最終王妃教育のために登城する、懇談会パーティーに参加中の私の目の前では多人数の男性に囲まれてちやほやされている少女がいた。 男性はたしか婚約者がいたり妻がいたりするのだけど、良いのかしら。 あら、あそこに居ますのは第二王子では、ないですか。 えっ、婚約破棄?別に構いませんが、怒られますよ。 勘違い王子と企み少女に巻き込まれたある少女の話し。

虚弱で大人しい姉のことが、婚約者のあの方はお好きなようで……

くわっと
恋愛
21.05.23完結 ーー 「ごめんなさい、姉が私の帰りを待っていますのでーー」 差し伸べられた手をするりとかわす。 これが、公爵家令嬢リトアの婚約者『でも』あるカストリアの決まり文句である。 決まり文句、というだけで、その言葉には嘘偽りはない。 彼の最愛の姉であるイデアは本当に彼の帰りを待っているし、婚約者の一人でもあるリトアとの甘い時間を終わらせたくないのも本当である。 だが、本当であるからこそ、余計にタチが悪い。 地位も名誉も権力も。 武力も知力も財力も。 全て、とは言わないにしろ、そのほとんどを所有しているこの男のことが。 月並みに好きな自分が、ただただみっともない。 けれど、それでも。 一緒にいられるならば。 婚約者という、その他大勢とは違う立場にいられるならば。 それだけで良かった。 少なくとも、その時は。

〈完結〉遅効性の毒

ごろごろみかん。
ファンタジー
「結婚されても、私は傍にいます。彼が、望むなら」 悲恋に酔う彼女に私は笑った。 そんなに私の立場が欲しいなら譲ってあげる。

公爵令嬢アナスタシアの華麗なる鉄槌

招杜羅147
ファンタジー
「婚約は破棄だ!」 毒殺容疑の冤罪で、婚約者の手によって投獄された公爵令嬢・アナスタシア。 彼女は獄中死し、それによって3年前に巻き戻る。 そして…。

悪意のパーティー《完結》

アーエル
ファンタジー
私が目を覚ましたのは王城で行われたパーティーで毒を盛られてから1年になろうかという時期でした。 ある意味でダークな内容です ‪☆他社でも公開

処理中です...