『婚約破棄はお好きにどうぞ。――真実の愛に酔った王太子の末路と、私は隣国で王妃になります』

鷹 綾

文字の大きさ
2 / 31

第二話 ご決断なさいますか?

しおりを挟む
第二話 ご決断なさいますか?

 時間をくれ、とおっしゃったのは殿下のほうでしたのに。

 三日と待たず、再び呼び出しが届きました。

 王宮の奥、陽の差し込む応接間。
 窓辺には、例の未亡人――セレナ様の姿はございません。

 よかった、と少しだけ思ったのは内緒ですわ。修羅場は趣味ではありませんもの。

 エーヴェルハルト殿下は、机の前に立ったまま私を迎えました。

「来てくれたか、アーデルハイト」

「お呼びとあらば」

 私は椅子に腰かけます。背筋は伸ばしたまま。視線は正面。声は穏やかに。

 殿下は迷っているご様子でした。

 普段なら即断即決なさる方ですのに、今日は言葉を選んでいらっしゃる。

「君に、誤解を与えたくない」

「誤解とは?」

「私は……セレナを守る。しかし、それは婚約とは別の話だ」

 ああ。

 まだ“両立”とお考えなのですね。

 私は小さく瞬きしました。

「殿下」

「なんだ」

「守る、とは何を意味なさいますの?」

「何を、とは?」

「爵位の継承を認め、領地の統治を支え、側近を派遣なさった。それはすでに“個人的な支援”の域を越えておりますわ」

 殿下の眉がぴくりと動きました。

「彼女には支えが必要だ」

「ええ。ですがその支えは、殿下ご自身の立場を用いてのものでございます」

 私は、わざとゆっくりと続けます。

「王太子という地位は、殿下個人のものではございません」

 空気が、少し冷えました。

 殿下の声が低くなります。

「君は、私が私情で動いていると?」

「私情でないと仰るのであれば」

 私は微笑みました。

「なおさら、選択なさるべきですわ」

「……選択?」

「はい」

 逃げ道を、塞ぐ言葉。

「婚約は国家同盟でございます。そこに“別の守るべき存在”が生じたのであれば」

 私は、静かに目を合わせました。

「どちらを優先なさるのか、明確になさる必要がございます」

 殿下は黙り込みました。

 きっと、ご自身でも気づいていらっしゃる。

 中途半端が、一番の悪手だと。

「両立できるはずだ」

 ようやく出た反論。

 私は首をかしげます。

「両立とは、どちらも同じだけ守れる場合にのみ成立いたします」

「私は守れる」

「では、社交界の噂も?」

 沈黙。

「議会の疑念も?」

 さらに沈黙。

「公爵家への信用失墜も?」

 殿下の視線が揺れました。

 ええ、そうです。

 “守る”とは、感情ではなく結果です。

 私はとどめを刺します。

「私は立場上、婚約破棄を申し出ることはできません」

 これは事実。

「ですが殿下がご決断なさるのであれば、止めはいたしません」

 机の上の書類が、やけに重く見えました。

 殿下の拳が、わずかに震えているのが見えます。

「……君は、本当に冷静だな」

「冷静でなければ、同盟は結べませんもの」

 殿下は目を閉じました。

 深く、深く息を吐きます。

「セレナを守る」

 その言葉は、先日のような陶酔ではなく、覚悟を帯びていました。

「ならば、婚約は……解消しよう」

 やっと、出ましたわね。

 私は立ち上がり、ゆっくりと一礼いたしました。

「ご英断、痛み入ります」

 声は揺れません。

 涙も出ません。

 殿下は、どこか安堵したような顔をなさっていました。

 きっと、ご自身の正義を貫いたと思っていらっしゃるのでしょう。

 けれど。

「殿下」

「まだ何かあるのか」

「契約条文に従い、違約金の精算をお願い申し上げます」

 空気が止まりました。

「……今、言うのか?」

「はい。今すぐに」

 甘さは、ここで断ち切るべきです。

 殿下の顔色が、わずかに変わりました。

「そこまで徹底するのか」

「婚約は感情ではございません。契約でございます」

 私は穏やかに告げます。

「殿下が守ると仰るのであれば、私は守られる立場を辞退いたします。代わりに、契約の履行を求めるのみ」

 沈黙。

 長い、長い沈黙。

 やがて殿下は、かすかに笑いました。

「冷たいな、アーデルハイト」

「冷静でございます」

 その瞬間、何かが完全に終わりました。

 私はもう、婚約者ではありません。

 そして殿下は、ご自身の意思で道を選ばれた。

 守る、と言った男が。

 これから何を失うのか。

 まだ、誰も知らない。

 ええ。

 殿下ご自身も、まだご存じないでしょう。

 ――ここからが、本番でございますわ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

おかしくなったのは、彼女が我が家にやってきてからでした。

ましゅぺちーの
恋愛
公爵家の令嬢であるリリスは家族と婚約者に愛されて幸せの中にいた。 そんな時、リリスの父の弟夫婦が不慮の事故で亡くなり、その娘を我が家で引き取ることになった。 娘の名前はシルビア。天使のように可愛らしく愛嬌のある彼女はすぐに一家に馴染んでいった。 それに対してリリスは次第に家で孤立していき、シルビアに嫌がらせをしているとの噂までたち始めた。 婚約者もシルビアに奪われ、父からは勘当を言い渡される。 リリスは平民として第二の人生を歩み始める。 全8話。完結まで執筆済みです。 この作品は小説家になろう様にも掲載しています。

ボロ雑巾な伯爵夫人、やっと『家族』を手に入れました。~旦那様から棄てられて、ギブ&テイクでハートフルな共同生活を始めます2~

野菜ばたけ@既刊5冊📚好評発売中!
ファンタジー
 第二夫人に最愛の旦那様も息子も奪われ、挙句の果てに家から追い出された伯爵夫人・フィーリアは、なけなしの餞別だけを持って大雨の中を歩き続けていたところ、とある男の子たちに出会う。  言葉汚く直情的で、だけど決してフィーリアを無視したりはしない、ディーダ。  喋り方こそ柔らかいが、その実どこか冷めた毒舌家である、ノイン。    12、3歳ほどに見える彼らとひょんな事から共同生活を始めた彼女は、人々の優しさに触れて少しずつ自身の居場所を確立していく。 ==== ●本作は「ボロ雑巾な伯爵夫人、旦那様から棄てられて、ギブ&テイクでハートフルな共同生活を始めます。」からの続き作品です。  前作では、二人との出会い~同居を描いています。  順番に読んでくださる方は、目次下にリンクを張っておりますので、そちらからお入りください。  ※アプリで閲覧くださっている方は、タイトルで検索いただけますと表示されます。

私の容姿は中の下だと、婚約者が話していたのを小耳に挟んでしまいました

山田ランチ
恋愛
想い合う二人のすれ違いラブストーリー。 ※以前掲載しておりましたものを、加筆の為再投稿致しました。お読み下さっていた方は重複しますので、ご注意下さいませ。 コレット・ロシニョール 侯爵家令嬢。ジャンの双子の姉。 ジャン・ロシニョール 侯爵家嫡男。コレットの双子の弟。 トリスタン・デュボワ 公爵家嫡男。コレットの婚約者。 クレマン・ルゥセーブル・ジハァーウ、王太子。 シモン・グレンツェ 辺境伯家嫡男。コレットの従兄。 ルネ ロシニョール家の侍女でコレット付き。 シルヴィー・ペレス 子爵令嬢。 〈あらすじ〉  コレットは愛しの婚約者が自分の容姿について話しているのを聞いてしまう。このまま大好きな婚約者のそばにいれば疎まれてしまうと思ったコレットは、親類の領地へ向かう事に。そこで新しい商売を始めたコレットは、知らない間に国の重要人物になってしまう。そしてトリスタンにも女性の影が見え隠れして……。  ジレジレ、すれ違いラブストーリー

悪役断罪?そもそも何かしましたか?

SHIN
恋愛
明日から王城に最終王妃教育のために登城する、懇談会パーティーに参加中の私の目の前では多人数の男性に囲まれてちやほやされている少女がいた。 男性はたしか婚約者がいたり妻がいたりするのだけど、良いのかしら。 あら、あそこに居ますのは第二王子では、ないですか。 えっ、婚約破棄?別に構いませんが、怒られますよ。 勘違い王子と企み少女に巻き込まれたある少女の話し。

虚弱で大人しい姉のことが、婚約者のあの方はお好きなようで……

くわっと
恋愛
21.05.23完結 ーー 「ごめんなさい、姉が私の帰りを待っていますのでーー」 差し伸べられた手をするりとかわす。 これが、公爵家令嬢リトアの婚約者『でも』あるカストリアの決まり文句である。 決まり文句、というだけで、その言葉には嘘偽りはない。 彼の最愛の姉であるイデアは本当に彼の帰りを待っているし、婚約者の一人でもあるリトアとの甘い時間を終わらせたくないのも本当である。 だが、本当であるからこそ、余計にタチが悪い。 地位も名誉も権力も。 武力も知力も財力も。 全て、とは言わないにしろ、そのほとんどを所有しているこの男のことが。 月並みに好きな自分が、ただただみっともない。 けれど、それでも。 一緒にいられるならば。 婚約者という、その他大勢とは違う立場にいられるならば。 それだけで良かった。 少なくとも、その時は。

〈完結〉遅効性の毒

ごろごろみかん。
ファンタジー
「結婚されても、私は傍にいます。彼が、望むなら」 悲恋に酔う彼女に私は笑った。 そんなに私の立場が欲しいなら譲ってあげる。

公爵令嬢アナスタシアの華麗なる鉄槌

招杜羅147
ファンタジー
「婚約は破棄だ!」 毒殺容疑の冤罪で、婚約者の手によって投獄された公爵令嬢・アナスタシア。 彼女は獄中死し、それによって3年前に巻き戻る。 そして…。

悪意のパーティー《完結》

アーエル
ファンタジー
私が目を覚ましたのは王城で行われたパーティーで毒を盛られてから1年になろうかという時期でした。 ある意味でダークな内容です ‪☆他社でも公開

処理中です...