『婚約破棄はお好きにどうぞ。――真実の愛に酔った王太子の末路と、私は隣国で王妃になります』

鷹 綾

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第三話 違約金は満額で

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第三話 違約金は満額で

 婚約破棄の知らせは、翌朝には王都じゅうに広まりました。

 早いですわね。

 昨日の夕刻に正式書類へ署名がなされたばかりだというのに、今朝の朝刊にはすでに大きな見出し。

『王太子、婚約解消』

 文字は淡々としておりますが、行間は騒がしい。

 私は朝食の席でそれを眺めながら、バターを丁寧に塗りました。

 パンは焦らず、端まできちんと。

 契約も、同じでございます。

 

「お嬢様……本当に、よろしかったのですか?」

 クララが、いまだに落ち着かない様子で尋ねてきます。

「何がかしら?」

「殿下を……」

「手放した?」

 私は軽く笑いました。

「クララ。殿下は物ではございませんわ」

 それに。

「手放したのは、殿下のほうです」

 クララは、はっと口を押さえました。

 ええ、事実は簡単。

 選んだのは殿下。

 私は選ばれなかっただけ。

 そして。

 私は“選ばれない立場”に甘んじる趣味はございません。

 

 その日の午後、王宮より正式な文書が届きました。

 婚約解消の確認書。

 そして――違約金の条文確認。

 さすがに、ここからが本題でございます。

 

 私は書斎にて、父と向き合っておりました。

 グランディア公爵である父は、無駄な感情を挟まぬ人です。

「アーデルハイト。本当に、これでよいのだな」

「はい」

「殿下に未練は」

「ございません」

 即答。

 父は小さく息を吐きました。

「条文第十二条、同盟解消時の補償金請求。金額は想定通りでよいか」

「満額で」

「遠慮は」

「一切不要でございます」

 父の目がわずかに細くなりました。

 それは叱責ではなく、評価。

「理由を述べよ」

「王太子殿下は、自ら婚約を解消なさいました。公爵家に落ち度はございません」

「続けろ」

「ゆえに、契約通りに請求するのが最も穏当でございます」

 怒りでも復讐でもない。

 “穏当”。

 そこが肝心。

 

 金額は、王国財政にとって決して軽くはない。

 ですが。

 軽くないからこそ、条文に明記されているのです。

 

「王家は反発するぞ」

「承知しております」

「世間はどう見る」

「王太子殿下が破棄なさった、と見るでしょう」

 そこに、私の感情は関係ありません。

 

 夕刻、再び王宮へ。

 今度は公的な場です。

 宰相、財務官、そして殿下。

 空気は重く、けれど静か。

 

「公爵令嬢」

 殿下の声は、昨日よりも低い。

「違約金の件、再考の余地はないのか」

「ございません」

 即答。

「これは契約でございます」

「国庫への影響は理解しているか」

「もちろんでございます」

 私は穏やかに頷きました。

「ですからこそ、契約は守られるべきです」

 宰相が、わずかに口元を引き締めました。

 理解者は、少なくないのです。

 

 殿下は一瞬、言葉を失いました。

「……君は、冷酷だな」

「冷静でございます」

 昨日と同じ返答。

 

 私は視線を逸らさずに続けました。

「殿下は守ると仰いました」

「それが何だ」

「守るとは、選ぶということです」

 静かな声で。

「選んだ結果の責任を、取るということです」

 沈黙。

 室内の空気が、ぴんと張り詰めます。

 

「……支払おう」

 殿下は、低く告げました。

「満額だ」

 財務官の顔色が変わる。

 宰相は目を閉じる。

 けれど、決定は下された。

 

 私は一礼しました。

「痛み入ります」

 

 王宮を出るころ、すでに噂は広まり始めておりました。

「王太子、巨額の違約金支払い」 「公爵家、大勝利」

 大勝利?

 いいえ。

 勝ち負けではありません。

 契約が履行された、それだけ。

 

 馬車に乗り込むと、クララが小声で囁きました。

「これで、王国は……」

「少し揺れますわね」

「殿下は大丈夫でしょうか」

 私は窓の外を見ました。

 王都の空は、薄く曇っています。

 

「守ると仰ったのですもの」

 淡々と。

「守っていただきましょう」

 

 違約金は、まもなく公爵家へと移転される。

 それはただの金貨の山ではない。

 信用。

 軍備。

 外交。

 未来。

 

 エーヴェルハルト殿下は、正義を選ばれました。

 私は、契約を守りました。

 

 さて。

 次に“選ぶ”のは、誰でしょうか。

 王都の空気は、少しずつ変わり始めていました。

 恋の熱が冷めたあとの、現実の匂いが。

 ――ようやく、漂い始めたのでございます。
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