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勇者と魔王が手を繋ぐ平和な箱庭

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ドン、と誰かがぶつかってきて舌打ちが聞こえてきた。
振り返りもせず棒立ちしていると、背後からガキンと音がして、何かが地面に落ちた。
足下には剣の刃先。
ああ、いま、刺されたのだと、ぼんやりとその事実だけを受け入れる。
ヒッ、と一声。のち、化け物と叫んで走り去る足音。
数秒後、背後から腕を引かれて体が自然と半歩下がり、思わず振り返った。

眩しいほどに輝く黄金色の巻き毛に、目の覚めるような鮮やかな碧眼。慣れ親しんだ筈のその色味に、また今日も目を細めてしまう。

「……アルフォンシーナ」
「何故刺されて黙っているの……貴方は今、ぶつかってきた輩に刺されたのよ?」
「余所見をしていた僕が悪いのです」
「余所見って……ただ突っ立っていただけじゃ、」
「どうでもいいです。早く二人きりになれる場所に行きましょう」

彼女の腕を引く。
ここは待ち合わせ場所の街の広場。人目が多い。無数の眼が彼女の美貌に寄せられる。
ああ。早く隠したい。
この腕で包み隠して、誰の目にも手にも触れないように。早く早く早く。

「ちょ、引っ張らないでくださらない? 地味だけどお気に入りの外套なのよ」
「知ってます。闇夜では星のように輝く塗料が塗られているんですよね。品があって、君に似合ってます。贈って正解でした」
「……っ、もう。本当に、お気に入りなのよ。どこで買ったかすら教えてくれないんだから」
「安心して下さい。ダメにはなったらまた同じ物を贈りますよ」

自ら肌を傷付けて流した僕の血を塗った外套。ピアス。指輪。アンクレット。
彼女が身に着けたその全てに僕の血に宿る魔力が籠められている。
これならどこにいても、彼女の場所がわかる。決して見失うことはない。

「せめてどの区域にあるお店かヒントだけでも教えてよ。お高いんでしょうけど、これでも公女よ。それに……色違いのものとかあれば、贈り返したいし」
「…………」

それは困った。
元の素材はそれなりの物だが、探せばどこにでもある代物だ。ただ、竜種でも見ただけで逃げ出すほど色濃い勇者の血が塗られているというだけ。

「僕が自ら見つけた秘密の店です。そこで君に似合いそうだと吟味するその秘かな楽しみを、奪わないで下さい」
「誰にも知られたくないお気に入りの店なのね。この塗料も、珍しいもの。やっぱり他国とか?」
「さあ……どうでしょう」
「……けち」

ぷくっと膨らませた頬が可愛い。
彼女は美しいが、時折見せる子供のような仕草がひどく愛らしくもある。とても魔王には思えない。

「アルフォンシーナ……久しぶりに泊まれますか?」

彼女の膨らんだ頬を指でつつく。
途端、愛らしい頬がしぼんでいく。そして真っ赤に染まり、小さく唸った。あぁ。今日は応えてくれそうだ。




初めてアルフォンシーナを見掛けたのは、互いが5歳の時だった。

『ブスブスブス! なんだその鳥の巣みたいなちんちくりんな頭は!』

アルフォンシーナは側にいたやたら身分が高そうな少年に貶されていた。彼女は姿勢も美しく、気の強そうな顔立ちをしていた。なのに何故言い返さないんだと眺めていたら、こんなことは今日が初めてじゃない様子で、ぐっと耐えた顔であろうことか貶してきた少年に謝罪したのだ。

『お前のようなブスが婚約者だなんて、俺の人生は終わってる!』
『……申し訳ありません』
『いいか、俺の婚約者であり続けたいなら二度と刃向かうなよ! 少しでも生意気な態度を見せたら公爵に言いつけるからな! そしたらお前はまた鞭打ちされる! わかってるな!』
『……はい』

一度は言い返したことがあるのか。
それでこんな状況に陥ったのか。
その時、少女の透明な魔力が僅かに黒く染まった。
瘴気だ。見つけた。あれが魔王だ。

少年が踵を返し、見えなくなった後、少女は小さな背を震えさせて泣いていた。
あの少年ほどではないにしろ、彼女も身なりから高い爵位なのだろう。だが側には誰もいない。

僕は音も立てず木の上からおりて、泣きじゃくる少女に近付いた。
気付いた少女が顔を上げる。
凄い。背後につくまでに僕に気付くなんて。やはり魔王なのだな、と危機感を抱いた。早く始末しないと。
でも振り返った少女が僕を見た瞬間、ぴたりと泣き止んで、頬を赤く染めた。
そして狼狽えて、更に赤くなった。
少女の心臓の音がこちらにまで聞こえてくる。

『妖精、さん?』
『…………』
『こんなところで、なにをしているの?』

……そういや、この王宮ではたまに妖精が現れると噂されている。とくに茶会が開かれお菓子が並べられた日には、複数の妖精が目撃されている。

『お菓子が食べたくて』

だからついそう言ってしまった。
でも慌ててポケットを探る少女の姿に、一粒だけあった飴玉を発見した時の少女の顔に、それを興奮した様子で渡してくる少女の幼さに、その時は、まだ始末しないでおこうと、ただそれだけ思った。

後日。
黄昏時に、少女はまた少年に貶されていた。

『父上にも母上にも褒められやがって! 俺を馬鹿にしてそんなに楽しいか!』

固い石畳の上に跪ずかされた少女は少年に後頭部を殴られていた。
泣きじゃくる少女を、黙れと言わんばかりに更に殴る。魔王なのだから、決して痛くはないだろう。
むしろ少年の方が傷ついた顔で泣いている。
なのに少女の魔力がまた僅かに黒く染まって、胸に訳のわからない気持ちが湧き上がってくる。
そんなに泣くならいっそのこと、目の前の少年を殺したらいいのに。そしたら僕にも魔王を始末する大義名分が出来るのに……始末?
始末って、なんだろう。殺せばいいだけだ。少女に対して少年を殺せと願ったように。願ったように? なら僕は何故、少女を殺すじゃなく始末という言葉が思い浮かんだのか。
魔王は絶対に殺す。それが僕の使命だから。
だから僕は少女を殺……始末する。
あれ? 少女を殺……殺……上手く思考がまとまらない。とにかく、魔王は殺すんだ。でないと僕の時間はいつまで経っても5歳から進まない。

『…………妖精、さん?』

かけられた声に木の上から地面を見下ろした。
少年は既に立ち去り、あとには泣き腫らした目の少女だけが残っていた。

トン、と石畳におりる。

『ごめんね。起こしちゃった?』

寝てたと思われた。

『……うるさくして、ごめんね』

なんだか居たたまれなくて、ポケットから飴玉を取り出して少女に差し出した。少女に貰った飴玉だ。僕の血がついて、黄昏時にキラキラと光っていた。

『わぁ……きれい。宝石?』
『…………さぁ?』
『……妖精の国の特産品?』
『……』
『……秘密なのね。うふふ。ありがとう』

木の上にいた時に無意識の内に手を強く握りすぎていたようだ。自分でつけた傷は既に塞がっていた。
なんの変哲もない飴玉を空に翳して笑う少女。宝物を見つけたような瞳をしていた。
飴玉の甘い香りに誘われたのか、少女は手にしたそれを口に含んだ。僕の魔力ごと。そして弾けるような笑顔を見せたあと、僅かに黒ずんだ少女の魔力が透明に戻った。

『美味しい……甘いわ!』
『……そっか』
『わたくし、妖精の国の特産品を食べたわ……一生の思い出に残る体験よ!』

またキラキラと、飴玉よりも瞳を輝かせて。
同じく僕も、よくわからないけれど、宝物を見つけたような気持ちになっていた。

それから一カ月後。
僕は気付いた。
魔王を倒してないのに、髪が伸びていた。なにより顕著だったのは、爪が伸びていたこと。
僅かにだが、時間が経過している。
もしかしてあの少女は、魔王ではないのか?


『妖精さん……いつかわたくしを妖精の国へ連れていってくださらない?』
『どうして?』
『……妖精は、優しいもの。それとも貴方だけが、そうなの?』

なんて答えよう。
なんて考える間もなく声を出していた。

『そうだね。妖精は、意地悪だよ。お菓子をあげたら御礼も言わずに消えちゃう。それにイタズラ好きだ』
『……そうなのね。妖精さんも、そうなの?』
『……さぁ?』






「妖精さん、」

数年ぶりにそう呼ばれて、思わず僕はおろしかけのズボン姿のまま、顔を上げた。そしてなんて間抜けな姿なんだと、一旦ズボンをあげた。

「あ、やだ、何故履いてしまうの?」
「……吃驚して」

ベッドの端に腰をおろすと、一糸纏わぬ姿にシーツを被っただけの彼女が、背中に胸を押し付けてきた。

「っ、」
「凄い筋肉……昔は、性別が解らないほど華奢だったのに」

凄い肉感。柔らかい。シーツごしでもあたたかい。何度触れ合っても、この感覚は慣れない。胸がざわめく。心が躍る。ひどく喉が渇く。

「君に『妖精さん』と呼ばれてた頃は、そうだったかもね」
「エイデンはわたくしの勘違いを何年も放っておいたわよね? 内心馬鹿にしていたのでしょう?」
「違います。ただ、」

僕を見掛けたら妖精さん、そう言って近付いてくる彼女があまりにも滑稽で、可愛くて、このまま永遠に妖精でいようと思えるくらいには、側にいる時間が愛しくて、もどかしくて、仕舞いには噓だとバレたら彼女がどう反応するか、恐ろしくて、つい、

「つい、言いそびれて」
「先ほど貴方は吃驚したと言ったけれど、わたくしが湖で泳ごうと誘った時点で正直に言うべきだったわ。あの時の驚きは、今の貴方の比じゃないわ」
「……男の子だと知って吃驚してましたね」
「妖精に性別があるのはともかく、あの時も貴方は真実を言わなかった!」
「ごめんね……エトランジェ騎士団に入った時は流石にバレると思ったんだけど、君は『もしかして妖精の混血種である兄弟はいませんか?』って……僕に気付きませんでした」
「仕方ないじゃない! 当家の騎士団に妖精が入ってくるなんて、夢にも思わないわよ! その前に人間なら人間って、早く言ってよ! 貴方に性別があると知った時点で、わたくしは、吃驚した以上に、とても、……とてもっ、」
「?」

そこで部屋のドアをノックする音と、部下の声が聞こえてきた。

「エイデン騎士団長。第一王子殿下が話をさせて欲しいと仰せです」
「…………」

今更、なんの用だ。
数年前に王太子に決闘を強要され、両の親指を切り落としてやった。結果、剣もペンも握れなくなった王太子は、ただの第一王子となった。今は第二王子が王太子だ。

彼女が僕の背中から離れた。
一気にもどかしさが増す。

「いま、とてもいそがしい」
「……はい」
「二カ月ぶりの休みだ。ゆっくりさせてくれよ」
「……二年はかかる遠征を二カ月で終わらせたのです。陛下もその功績を称えたいのでしょう。だから第一王子を使者としてこちらに寄越したのかと」
「エトランジェ公爵家は、エトランジェ公国となった。なら僕を称えるべきは陛下ではなく僕を召し抱えるエトランジェ公爵だ。そして公爵からは既にねぎらいの言葉と褒章とエトランジェ嬢との結婚の許可を賜っている」
「……では、そう伝えてきます。あと……第一王子からは面会の許可がおりなかったら『婚姻が決まった』とだけ、伝えて欲しいと」
「……そうか」

エトランジェ公爵家が公国として独立した時に、王太子とアルフォンシーナの婚約は解消された。そして僕がアルフォンシーナの婚約者となった。なんせその頃には国一番の騎士になっていたから。公爵も召し抱えた僕を王家から打診のきていた第三王女に取られるくらいならと、独立を選んだ。

けれど王太子はアルフォンシーナを取り戻そうと、僕に決闘を強要してきた。
戦ってみると、予想外に強かった。吃驚した。死に物狂いで努力したのだろう。これならアルフォンシーナの薄皮一枚くらいは切れそうだ、そう思った途端、王太子に殺意が湧いて剣を握れない体にしていた。
その後もアルフォンシーナに付き纏い、過去の問題行為を謝罪したり、好きだからこそ苛めてしまっただの、本当に愛しているのは君だけだの、鬱陶しいことこの上なかった。

「君が第一王子を恨んでいればよかったのに」
「…………」
「そしたら僕は、」
「5歳の時から、わたくしの心はずっと妖精さんが占領していたの。その心の1割くらいは、殿下を恨む気持ちで埋めた方がよかった?」
「いえ……やっぱり君の心は僕で満杯のままにしておいて下さい。お願いします」
「はいはい」

呆れたその声が愛しい。
以前は彼女を魔王にしなければいいと思っていたけれど、本当のところは逆かもしれない。彼女がいなければ、僕が魔王になっていた可能性がある。
それほどこの世界は息がしづらい。
彼女に口付けて、ようやく忘れていた呼吸が出来る。
笑顔を向けられて、思い出したように心臓が弾む。そして体中に血を巡らせていく。
肌を重ねて、生きている実感が湧く。

「もっ、しつこい、っ」
「……すみません」
「だから、っ、」
「すみません」
「ちょ、」

一瞬たりとも他に目を向けて欲しくない。その瞳は、僕以外の景色を映さなくていい。なんて、言えるはずもなく、事後の彼女にまたあの湖に行こうと誘われて、僕はどうやって人払いしようか微睡みのなか考えるのだった。


* * * *


微睡み、いつの間にかわたくしの胸に顔を埋めて寝息を立てるエイデンを見つめる。
今回の遠征は、とくにきつかったのではないかしら?
初めて見る隈ができていた様子から、遠征中の二カ月間は殆ど寝ていなかったんじゃないかと推測する。

そこでドンドンドン!と、ドアを叩き割りそうな音。

「エイデン様! プリシィアです! 貴方の妻となるプリシィアですわ! 早くここを開けて下さいませ!」

プリシィア第三王女殿下だ。
陛下の愛人から生まれた継承権を持たない庶子。
幼少期は、わたくしを蔑ろにする殿下によく加担して、とても意地悪だったのを覚えている。
しかし後ろ盾もない庶子の王女では第一王子に縋るしか生き残る術はなかったのだろう。エイデンを心の拠り所にしたわたくしのように。と、今は思う。

「っ、お願いです……どうか、このドアを開けて……そしてわたくしを受け入れて……そうでないとわたくし、兄の第一王子と婚姻させられるんです」

そうでしょうね。
王国はいま、兵力不足だから。
当家が独立したからでも、エイデンが第一王子を剣の握れない体にしたからでもない。
エイデンが強すぎて、周りが努力を止めてしまったから。貴族はエイデンさえいればいいと判断してしまった。陛下はそれを危惧されて、高魔力を持つ王家の子を増やそうと躍起になっている。でも第一王子も第三王女も、候補がいなくて、互いに婚姻させられることになったのだろう。

「お願いよ! エイデン様! 側女でもいいの! どうかわたくしを助けると思って……!」

王女がこれだけ大声を出しているのに、エイデンは全く起きる様子がない。

「あんな男の妻になるなんて嫌っ……ずっと死んだ目をして、なのにいつまでも上から目線で、わたくしを娶ってやるって、子種を渡すから自力で孕めって、気持ち悪い! お優しいエイデン様なら、わたくしをそんな目に合わせないでしょう!? お願いよ! どうかわたくしを受け入れて、守って下さいまし!」

果たして貴女の兄の指を切り落としたエイデンは、優しいのだろうか?

「お願い! お願いよ! 早くっ……もう時間がないの!」

鬼気迫る声。それに対してエイデンはむにゃむにゃと気持ち良さそうに涎まで垂らしてわたくしの胸を汚している。今は眠りが深いのだろう。

「っ、……」

やがて懇願は止まり、ドア越しに立ち去る足音が響き、それも聞こえなくなった。

「……っ、イタタタ」

エイデンの重みで胸が痺れてきた。
胸が痺れるなんて、あるのね。
思わず笑っちゃいそうになると、エイデンが飛び起きた。

「っ、どうしました? 何かありました?」
「…………」
「いま、痛いって、聞こえました」
「……誤解よ。夢の中でエイデンに会いたいと、伝えていたのよ」
「ああ……会いたい、と」

エイデンはふにゃりと頬を緩ませ、口元を綻ばせ、またわたくしの胸に落ちてきた。
重い。
でも普段は疲れた顔すら見せない人だから。しばらくは胸の痺れも我慢してあげましょう。苦しくない、この重みを。痛みじゃない、心地良いこの痺れも。



【終】
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