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6 冷静に立ち回った結果
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梅雨。
風に生温い温度を含むこの時期、学園の騎士科には高位貴族の後継ぎが次々と訪れ、訓練に明け暮れる生徒を品定めしていた。新入生も含めた優秀な騎士の卵を確保するためだ。まだ学生のブラッドリーも例外なくその組に属し、傍らにいるクワイス侯爵と肩を並べていた。
「私はアロイモア近衛兵の息子がよいかと。剣筋がいい。父上はどうでしたか? 先に来られていたようですが、お眼鏡にかなう人材はいましたか?」
「そうだな……」
片眼鏡にかかる灰色の癖っ毛を手で払った侯爵は鷹のように鋭い眼を横目にブラッドリーを見た。
「先ほどネイサン・アトスがやたらと話し掛けてきたが、お前は話したことがあるのか?」
何か含みがある声色だった。
「いいえ。同じ科というだけで交流はありませんよ。それに学年も違う」
「ふむ。……かの御方が掌中の珠に集る虫を排除しろと申した」
「ほう。それがアトス子息というわけですか?」
「ああ。調べたところ、幼馴染みだったドロテア嬢と同じような扱いを受けているらしい」
その言葉にブラッドリーの眼が据わった。
幼馴染み……婚約を打診する前にドロテアの周りに小蝿がいないか自分でも調べてみたが、ネイサン・アトスとは幼馴染み以上の仲ではなかった。ただ当主達の仲がよく、家も近いことから交流があるだけ。ただそれだけのこと。
「……それで、私の婚約者はどのような扱いを受けてきたと?」
さっと侯爵から渡されたのは薄い封筒。中を見ると医師による診断書が数枚、そして新たに矛先が向けられたかの御方、その娘への仕打ち。
「────」
そこで遠くの方にいるネイサンが剣を手に声を荒げた。まるで侯爵に自分の腕前をアピールするように。
「……奴は阿呆なのか?」
「でしょうね。継ぐ爵位もなく、失う物もないときたら……」
ブラッドリーは報告書のある一部に目を止め、紙をくしゃと曲げてから侯爵に返した。
「……これと似たような仕打ちをドロテアは受けていたと?」
「ん? ああ、裏庭での情事は未遂だそうだ。診断書にも純潔だと書いて」
「そういう事ではなく過去に私の婚約者にもこのような性的接触被害があったのか聞いているのです! 無かったんですよね!?」
「そう声を荒げるな……」
侯爵は耳障りだと言わんばかりに目頭を押さえた。
「そのような事実はない。だが学園では一度だけ暴力を受けたそうだが……」
「は? 暴力?」
「その時手当てした学園の女医に聞けば詳しい経緯が解るが、基本医師は患者の情報を隠匿する。病例の開示はしても、患者が特定できるものは決して出さない。国家資格だからな、国を間に挟めば、可能だが……」
ブラッドリーは遠くの方にいるネイサンに視線を移した。
ネイサンはぐいっと引っ張ったシャツで顔を拭き、そして木陰にいるティアラに駆け寄り、汗だくで抱き付いて本気で嫌がられている。
ブラッドリーは侯爵が止めるのも構わず少し距離を詰めて二人の会話を聞いた。
「なんだよこれ! 水じゃなくて果実水が飲みたいって言っただろう!」
「知らないわよ! 自分で用意すればいいじゃない! なんで私が!」
「ま、待てよ……なぁ、ほら。他の奴等も差し入れとかしてるだろ? ティアラも見学にきたならそれくらいさぁ」
「あの子達は自分の婚約者に差し入れしているのよ! それに私は見学に来たんじゃないから! やっと生徒会長から出禁が解除されたのに、いつになったら仕事してくれるのよ! 補佐もなくずっと私一人でやってるのよ!」
「会計なんてタルいことやってられるかよ……なあ、それより、」
「やめて! ベタベタ触らないで!」
端から見たら痴話喧嘩のように見えるやり取りだが、ティアラが頑なな態度でネイサンを拒絶している様子から、このままではかの御方の暗部が動いてしまうとブラッドリーは溜め息をついた。
そういえば以前ドロテアが感情は資源だと言っていた、その言葉をブラッドリーは思い出し、そして納得した。
……確かに感情も資源である。誰かに怒ったり悲しんだり、激情を相手に向けるのはとても疲弊するものだ。そしてそれは無尽蔵に有るものじゃない。感情のままに動いていればいつか枯渇してしまう。ブラッドリーはぐっと耐え、この感情という名の資源を節約することにした。そして動いた。ネイサン・アトスをクワイス家の私兵として登用したのだ。時期も重なり、命じられたアトス家はそれをふたつ返事で了承し、正規の手続きのもとネイサンを学園から退学させることにした。
単位を取得していないので中退となるが、卒業を待たずに騎士として採用されたので表向きは名誉の退学だった。
それをブラッドリーはかの御方に報告して、その見返りにとある医師からある患者の情報を開示させた。その内容は怒髪天の如くブラッドリーを激昂させるものだった。
風に生温い温度を含むこの時期、学園の騎士科には高位貴族の後継ぎが次々と訪れ、訓練に明け暮れる生徒を品定めしていた。新入生も含めた優秀な騎士の卵を確保するためだ。まだ学生のブラッドリーも例外なくその組に属し、傍らにいるクワイス侯爵と肩を並べていた。
「私はアロイモア近衛兵の息子がよいかと。剣筋がいい。父上はどうでしたか? 先に来られていたようですが、お眼鏡にかなう人材はいましたか?」
「そうだな……」
片眼鏡にかかる灰色の癖っ毛を手で払った侯爵は鷹のように鋭い眼を横目にブラッドリーを見た。
「先ほどネイサン・アトスがやたらと話し掛けてきたが、お前は話したことがあるのか?」
何か含みがある声色だった。
「いいえ。同じ科というだけで交流はありませんよ。それに学年も違う」
「ふむ。……かの御方が掌中の珠に集る虫を排除しろと申した」
「ほう。それがアトス子息というわけですか?」
「ああ。調べたところ、幼馴染みだったドロテア嬢と同じような扱いを受けているらしい」
その言葉にブラッドリーの眼が据わった。
幼馴染み……婚約を打診する前にドロテアの周りに小蝿がいないか自分でも調べてみたが、ネイサン・アトスとは幼馴染み以上の仲ではなかった。ただ当主達の仲がよく、家も近いことから交流があるだけ。ただそれだけのこと。
「……それで、私の婚約者はどのような扱いを受けてきたと?」
さっと侯爵から渡されたのは薄い封筒。中を見ると医師による診断書が数枚、そして新たに矛先が向けられたかの御方、その娘への仕打ち。
「────」
そこで遠くの方にいるネイサンが剣を手に声を荒げた。まるで侯爵に自分の腕前をアピールするように。
「……奴は阿呆なのか?」
「でしょうね。継ぐ爵位もなく、失う物もないときたら……」
ブラッドリーは報告書のある一部に目を止め、紙をくしゃと曲げてから侯爵に返した。
「……これと似たような仕打ちをドロテアは受けていたと?」
「ん? ああ、裏庭での情事は未遂だそうだ。診断書にも純潔だと書いて」
「そういう事ではなく過去に私の婚約者にもこのような性的接触被害があったのか聞いているのです! 無かったんですよね!?」
「そう声を荒げるな……」
侯爵は耳障りだと言わんばかりに目頭を押さえた。
「そのような事実はない。だが学園では一度だけ暴力を受けたそうだが……」
「は? 暴力?」
「その時手当てした学園の女医に聞けば詳しい経緯が解るが、基本医師は患者の情報を隠匿する。病例の開示はしても、患者が特定できるものは決して出さない。国家資格だからな、国を間に挟めば、可能だが……」
ブラッドリーは遠くの方にいるネイサンに視線を移した。
ネイサンはぐいっと引っ張ったシャツで顔を拭き、そして木陰にいるティアラに駆け寄り、汗だくで抱き付いて本気で嫌がられている。
ブラッドリーは侯爵が止めるのも構わず少し距離を詰めて二人の会話を聞いた。
「なんだよこれ! 水じゃなくて果実水が飲みたいって言っただろう!」
「知らないわよ! 自分で用意すればいいじゃない! なんで私が!」
「ま、待てよ……なぁ、ほら。他の奴等も差し入れとかしてるだろ? ティアラも見学にきたならそれくらいさぁ」
「あの子達は自分の婚約者に差し入れしているのよ! それに私は見学に来たんじゃないから! やっと生徒会長から出禁が解除されたのに、いつになったら仕事してくれるのよ! 補佐もなくずっと私一人でやってるのよ!」
「会計なんてタルいことやってられるかよ……なあ、それより、」
「やめて! ベタベタ触らないで!」
端から見たら痴話喧嘩のように見えるやり取りだが、ティアラが頑なな態度でネイサンを拒絶している様子から、このままではかの御方の暗部が動いてしまうとブラッドリーは溜め息をついた。
そういえば以前ドロテアが感情は資源だと言っていた、その言葉をブラッドリーは思い出し、そして納得した。
……確かに感情も資源である。誰かに怒ったり悲しんだり、激情を相手に向けるのはとても疲弊するものだ。そしてそれは無尽蔵に有るものじゃない。感情のままに動いていればいつか枯渇してしまう。ブラッドリーはぐっと耐え、この感情という名の資源を節約することにした。そして動いた。ネイサン・アトスをクワイス家の私兵として登用したのだ。時期も重なり、命じられたアトス家はそれをふたつ返事で了承し、正規の手続きのもとネイサンを学園から退学させることにした。
単位を取得していないので中退となるが、卒業を待たずに騎士として採用されたので表向きは名誉の退学だった。
それをブラッドリーはかの御方に報告して、その見返りにとある医師からある患者の情報を開示させた。その内容は怒髪天の如くブラッドリーを激昂させるものだった。
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