死線を潜り抜けた悪役令嬢

お好み焼き

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死線を潜り抜けた悪役令嬢と……

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暑い。
そう呟いたジグルド王太子は額から溢れ落ちる汗を拭った。照りつける太陽に青銀の髪はぐっしょりと濡れ、黒い瞳は充血している。

「そろそろ屋敷に入らないか?」

ジグルドの目の前には婚約者であるティスラー・アバロン公爵令嬢の背中がある。輝くばかりに太陽の光を反射する金髪も。

「死体を埋めるのを手伝ってくれませんか?」
「……わかった。手伝うから、終わったら屋敷で涼もう」
「はい」

ジグルドは婚約者として公爵家に訪れ、今日は二人でお茶を飲みながら交流する日だった。そこに現れた一人の暗殺者。

「恐らく暗殺者はもう一人いて、離れた場所からこの光景を見ています。隙をついて死体証拠を奪い取ろうとするでしょう。後は当家の暗部に任せます。彼等は既に敵の位置を把握しているでしょうから」
「……君は怪我をしていないのか?」
「わたくしのスキルはご存知でしょう?」
「確かあらゆる攻撃を跳ね返すスキルだと……」
「少し違います。受けた攻撃をそのまま攻撃してきた相手に移すスキルです。先程わたくしは暗殺者に殺されました。なのでスキルが発動して、わたくしの代わりに暗殺者が死にました」

ジグルドは今し方ティスラーに身をていして庇われ、全ての攻撃を受けたティスラーは死んだ。その直後、暗殺者は息絶え、ティスラーは生き返った。

「……何故君が私の婚約者になったのか、ようやく解ったよ」
「そうですか」
「あと、ずっと私との婚約を拒絶していた理由も」
「……死亡フラグを回避したかったのですわ」
「………………すまない。だが私にはどうすることも出来ない」

ティスラーは真っ直ぐにジグルドを見た。その目には怒りも恨みも無い。ジグルドの第一印象ではきつく見えたティスラーの碧眼が、今は澄んだ湖のように見えていた。

「……どうやら……曇っていたのは私の目のようだ。私の心も濁っていたようだが……」
「いいんです。ずっと殿下にはわたくしが我が儘を言って婚約を強要したと思われていましたが、その誤解が解けただけでも実際にスキルをお見せした甲斐がありました」
「…………」
「そしてずっと婚約を拒絶していたのは、殿下の気を引きたいからではなく、先程のように物理的にも後ろ盾の役目を担わされるからです。……殺されるのだけは、きっと生涯慣れませんわ」
「……すまない」


それから数年。

ジグルドは15歳になった。
ティスラーと共に王立学園に入学し、生徒会長として生徒の纏め役を担った。勉強の合間に公務をこなし、たまに休憩時間にティスラーに話し掛ける。殆どが仕事絡みの事務的な内容になってしまったが、ティスラーと会話するその短い時間だけがジグルドの唯一の癒しだった。

そしてある日のこと。

ジグルドは夏期休暇前に側近達や学友からもう耐えられないと苦言を浴びせられた。

「ティスラー・アバロンの非道さにはもう我々も黙っていられません!」
「殿下の耳にも入っている筈です!  マルリィー男爵令嬢が公爵令嬢から受けた虐待の数々を!」
「マルリィーの体は傷だらけです!  公爵令嬢から髪を切られ、階段から突き落とされ、毒まで飲まされたのですよ!」
「この診断書が証拠です!  僕が手当てしました!  マルリィーは骨折までしていたんですよ!」
「それに朝からマルリィーは登校しておりません!  きっと公爵令嬢から何かされたに違いありません!」
「公爵邸に騎士団を送って下さい!  殿下は命じるだけでよいのです!  後は俺が証拠を見つけます!」
「殿下!  どうか正しき判断を!」

「……ああ。全て知っている」

ため息をついたジグルドは、側近達に婚約者であるティスラーを生徒会室へ連れてこさせた。
そしてティスラーと二人きりで話がしたいと全員部屋から追い出した。

「やあ。よく来たね。最近紅茶の淹れ方を学んでいてね、いつか君をここに呼んでゆっくりお茶がしたかったんだ。……そろそろ顔を上げてくれないか?  一緒に休憩しよう」
「結構です。それより用件はなんでしょうか?」

頭を垂らしたままのティスラーに、ジグルドは苦笑いを溢しながら椅子から腰を上げた。

そして生徒会室にたてつけられているクローゼットを開けて、中に丸めて押し込められていた男爵令嬢をティスラーに見せた。

「……っ、殿下」
「死体を埋めるのを手伝ってくれないか?」




暑い。
ティスラーは降り注ぐ初夏の日差しに額の汗を拭った。

「君が頬をぶたれ、髪を引っ張られ、階段から突き落とされても……私には何も術がなかった。何もするな、動くなと父上から命じられ、その間も、お前は私の婚約者に非道の限りを奮っていた」

スコップで男爵令嬢をぐじゃぐじゃに切り刻むジグルドの背中を眺めながら、ティスラーは遠くで王家の暗部が監視している気配を感じていた。いつものように彼等が動いている様子は無い。ただ見守っているだけ。当然だろう。この男爵令嬢は、暗殺者ではなくただの一般人なのだからと、ティスラーはため息をついたあとに重い口を開いた。

「この男爵令嬢は何者だったのですか?」
「未来の国母に手を出すくらいなんだ。敵国のスパイである可能性があったが、あやしい情報は何ひとつ出てこなかった。疑って泳がせた父上もどうかしてる。それで余計に対応が遅れた。はじめからこうしていればよかったんだ。初対面から頭のおかしい女だった」

ティスラーは目を閉じた。
ただ自分は、ゲーム通り殿下と男爵令嬢ヒロインが結ばれるならそれでいいと、今まで理不尽を受け入れてきた。それが何故こんなことになってしまったのか。

「ティス……泣いているの?」

スコップを手放したジグルドが駆け寄って、ティスラーを抱き締めた。

「いえ……殿下、どうか御身を大切になさって下さい。このような事は、殿下が自らなさることではありません」
「こんなに震えて可哀想に……怖かったんだね。あのとき身をていして私を庇ってくれた時も、本当はとても恐ろしかったんだろう?  でももう大丈夫だよ」
「……殿下」



翌日。
ジグルドの側近と学友が全て変えられていた。ティスラーが子供の時から見知った顔。王家の暗部が生徒としてそこにいた。

全て消えてしまった。
ヒロインも、攻略対象者も。
残ったのは王太子と、その婚約者である悪役令嬢だけ。取り巻きの令嬢達も、婚約者が出世コースから外れたせいか、領地に戻されてしまった。元々いた周りは誰もいなくなった。

「……はぁ」
「そんなに落ち込んだ顔をして、もしかして私の淹れた紅茶が口に合わなかった?」
「……いえ。殿下自ずから淹れて頂いたお茶です。美味しくない筈がありません。それで、その……以前の彼等はどこに?」
「過去を気にするのは若者のすることじゃないよ。ティス、私は君と未来の話がしたいんだ。さあ、次は気分を変えて果実茶を飲もう。これも美味しく淹れられたと思うんだ」
「……はい」


今ティスラーの頭の中には、男爵令嬢ヒロインから受けた疑問の叫びがこだましていた。

『何でアンタはあたしを虐めないのよ!』
『悪役令嬢のくせに!』
『ジグルドが全然攻略出来ないじゃない!』
『そんな澄ました顔しても無駄よ!』
『あたしはアンタの秘密を知ってる!』
『虐めなんて、こうやって簡単に偽造できるんだから!』

確かに、受けた攻撃をそのまま相手に移すスキルは、ゲームでも悪役令嬢は必死になって周りに隠していた。バレたらあらゆる的にされてしまうから。でも、私は隠さなかった。断罪後に悪役令嬢のスキルが発覚した時のように、前線に送り込まれたとしても、それでも、王太子の婚約者候補から外れたかったから。


「殿下……その、いつ頃から暗部を増やしたのですか?  以前は数人だったはず……」
「ティスが私を庇わなくてもいいように、数年前から徐々に監視を増やしていた。ああ、この事は公爵も了承済みだから、心配しないで」

ジグルドはティスラーの手を握った。

「だからティス、私と未来の話をしよう。君が王太子妃にならなければ、公爵は君を前線に送らざるをえない。例えどんなに公爵が抵抗しようとも、父上は非道にもそれを命じるだろう」
「……はい。解っております。わたくしも……それは回避したいと思っております」
「よかった。じゃあ夏の舞踏会について予定を話そうか。秋には私達の婚約式が行われるし、早めに衣装を用意しておかないとっ」

ジグルドは意気揚々と棚から冊子を取りだし、目録を指でなぞっている。その姿を眺めながら、ティスラーはカップに口をつけた。

「…………」

頭の中には、まだヒロインの叫びがこだましている。


『っ、あたしは……あたしは逆ハーにならないと殺されてしまうヒロインなのよ!  そういう運命なのよ!  お願いだから助けてよう!  死にたくない!  本当はこんなことしたくないの!』


本当に、そうだったんだろうか……?
自ら手を出さなくとも、生き残る術はあったんじゃないだろうか……?  それとも自分も転生者だと伝え、互いに手を取り合うべきだったのか?

「……ねぇ、ティス。以前いた彼等はまだ生きているから、もうそんな顔はしないで」
「っ、」

いつの間にかジグルドが目の前で腰をおろしていた。そして生徒となった暗部達に目を向けると、彼等はティスラーに向かって頭を下げた。

「はい。殿下の仰る通りです」
「彼等はまだ生きてますよ」
「安心して下さい」

そこでティスラーは気付いた。
子供の頃から見知った顔。それはジグルドの暗部だからと納得していたが、そうじゃなかった。悪役令嬢は断罪された後、贖罪として前線に送り込まれる。その時ティスラーを盾として利用していた者達の顔だ。本来なら彼等は、前線にいた。

「…………」

そうか……。
以前ここにいた彼等は、今は目の前にいる彼等の代わりに前線に送り込まれているのだと、だからジグルドはまだ彼等は生きていると言ったのだと、ティスラーは悟った。

「もし……もしあの者達が戦死したら、わたくしにも教えて頂けますか?  せめて……花を添えに」
「君は悟いねぇ。でも遺体が発見されないと訃報も届かないから、それは永遠に無理な話じゃないかなぁ」
「では……凱旋式には会えることを、祈っております」
「うん。前向きでいいね。そんな日がきたら私も彼等に労いの言葉をかけてやろう。ああそうだ、その時の為の衣装も誂えておこうか。君は美しいからどんなドレスも似合うだろう」


ティスラーは一頻りジグルドと話した後、生徒会室を後にした。複雑に続く回廊を渡り、窓から晴れ渡った外を見渡した。あの空の向こうにはそれぞれの前線がある。だがとりあえずは自身の死線は潜り抜けたのだと、ティスラーは安堵の息を溢した。



【終】
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