詩片の灯影①〜想い結びの糸〜

桜のはなびら

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草壁の選択

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 その日、結はいつもより少し遅い時間に灯影書房を訪れた。

 夕暮れが町を包み始め、店内の照明が柔らかく灯っていた。
 
「こんばんは」
 
「いらっしゃい」
 
 草壁は、カウンターの奥で古い教科書をめくっていた。
 その表紙には、かすれた文字で「現代文」と書かれていた。
 
「……それ、教科書ですか?」
 
「うん。昔、使ってたやつ」
 
 結は、少しだけ躊躇してから尋ねた。
 
「草壁さん、前に“高校で教えてた”って言ってましたよね。……どんな先生だったんですか?」
 
 草壁は、しばらく黙っていた。
 そして、ゆっくりと口を開いた。
 
「……どうだったかな。生徒には、あまり好かれてなかったかもしれない」
 
「そんなふうには見えません」
 
「ありがとう。でも、実際は……少し厳しかったと思う。言葉にこだわりすぎて、伝えたいことが伝わらないこともあった。」
 
「……それでも、手紙をくれた人がいたんですよね」
 
 草壁は、ふっと目を伏せた。
 
「彼女は、言葉に敏感で、でもそれを表に出すのが苦手な子だった。あるとき、学校でちょっとした問題が起きて……彼女は、自分を守るために嘘をついた」
 
「……それで、草壁さんが責任を取った?」
 
「いいや。責任を問われるような事態にはならなかったよ」
 
「手紙には、生徒を守るために先生が黙って去ったって」
 
「そういう意図があったことは否定しないが、恩着せがましく掲げられるほど生徒のためだけを考えてのことなんかではない。俺自身が、教師という職業の限界を感じてしまっていたんだ。だから……彼女は俺に感謝する必要も、罪悪感を抱くことも、本当は無いんだ。なのに生徒からの手紙を後生大事に抱えて己を慰めてるのだから、俺も大概意地汚いエゴイストだよなぁ」
 
 そんな自嘲を子どもに聴かせて、「そんなことない」と言わせて悦に浸ろうなんて魂胆はさすがにみじめが過ぎるから、これもエゴだけど聞き流してほしいと草壁は懇願した。


 
「わかりました。でも聞けません。私は、そんな風には思えませんでした。想ってもいないことは言えません。草壁さんの思惑がどうであったとしても、手紙の主は、間違いなく救われたと書いていました。それは事実だと思います。事実は事実として、受け止めるべきです」
 
 その中に、草壁が職業を失い、生徒が救いを得たという事実も存在しているのだ。
 
「確かに退職の選択肢とその生徒の問題には因果関係はあった。でも、その責を彼女に求めることはできないしする気もない。退職の選択は教師としては、間違っていたのかもしれないけど……人としては、あれでよかったと思っている」
 
 結は、静かにうなずいた。
 選択の正誤は評価できなくても。少なくとも当人には揺るぎのない矜持がある。だから、選択そのものについては反省はあっても後悔はないのだろう。
 
「……そのあと、どうして古本屋を?」
 
「本だけは、手放せなかったから。教えることはやめても、言葉と向き合うことはやめたくなかった。それに……誰かが、ふと立ち寄って、何かを見つけてくれる場所を作りたかった」
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