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本章

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 頬を撫ぜる風が心地よい。
 磯の香りが染み込んだ風に、単調に繰り返す潮騒。

 わたしは防波堤に座り、遠くに見えるサーファーを眺めながら、感覚を晩秋の海岸に溶け込ませていた。

「ほれ、甘ぇのでイイか?」

 ドリンクを買いに行っていたキョウさんが戻ってきた。キョウさんにとっては、微糖のコーヒーは甘いドリンクって扱いなのだろう。自身はブラックコーヒーのプルタブを音を出して開けている。

「うん。ありがとう」

 わたしも受け取った微糖コーヒーを開けて中の液体を流し込む。
 香りが鼻を抜け、甘みが喉を通って胃に溜まっていった。


 キョウさんのバイクが駆け抜けること一時間半ほど。
 わたしは北関東の海に来ていた。

 高速道路に入ってからはほとんど曲がることなく、一定の速度で疾るバイクは、音と振動をわたしの身体に伝えてくる。そのリズムに委ねていたら、時間はあっという間に過ぎていた。
 あらかじめトイレに行きたくなった時の合図を伝えられていたが、一度も休憩は挟まなかった。


 サーファーのさらに向こう。空と海の境界も曖昧な世界の端には、夜の色が染み込み始めている。
 日曜日の夕方だけど、時期的なこともあり海水浴客などは見かけない。
 海辺は静かだった。


 ひとふたり分くらいの距離を空けて、キョウさんも防波堤に腰をかけた。

 キョウさんは無言でコーヒーを啜っている。


「なにも訊かないの?」

 連れてきたのはキョウさんだから。
 何か言いたいことや訊きたいことがあるのだと思う。
 何のことかといえば、当然わたしが晒した醜態のことだろう。

「なんか訊いてほしいンか?」

 けれどキョウさんからは、なにも訊いても言ってもこない。
 わたしは「べつに、そう言うわけじゃ」と、また黙る。


 この場所特有の音と香りだけがこの場にあった。



 ただ、波を見ていた。
 それだけだった。
 それだけのはずなのに、涙が頬を伝っていることに気づいた。
 気づいたら、もう歯止めが効かなかった。

 後から後から、涙が溢れてくる。
 止めようとすればするほど止まらなくなる。

 隣のキョウさんにはきっと気づかれている。
 でもキョウさんは何も言わず、海を見ていた。

 だからわたしは、もう遠慮はしないことにした。どうせ止められないのだ。どうせ、気づかれているのだ。


 迫っては引いていく波の音は、わたしの泣きじゃくる声も、攫っていってくれた。








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