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本章

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「まあ、舐めてたンだろーな。ちゃんと生活するってことを」
 生活とは、家族を養い、守るということ。

 キョウさんは何でもないことのように言った。でもその目はどこか遠くに合っていて、懐かしむような中に、後悔とやるせなさを感じさせた。


 結婚の翌年、キョウさんの娘がうまれた。
 バンド活動はやめない、どころか疎かにすらしないキョウさんの収入に、キョウさんの妻となった、乳幼児を抱えたまだ二十歳に満たない若い女性が就ける仕事の収入を足したってたかがしれている。
 若い彼女にとっては子育てだけでも重労働だった。
 バンドにかまけて、まだ未成熟な配偶者と、まだまだ弱く不安定な娘を顧みない、同じく未成熟な二十歳そこそこのキョウさん。

 三人の生活は、数年と持たずに破綻する。

 生活苦に精神的な苦痛が積み重なる日々は、キョウさんの妻に鬱という病名を与え、娘にもたらされていた軽度のネグレクトも明るみに出た。
 

 キョウさんの妻の実家は山梨にある。
 山梨から来た彼女の両親に妻と娘ともども引き離されたキョウさんの手元には、記入済みの離婚届だけが残された。

 キョウさんもはじめは抵抗をしたらしい。
 妻を鬱にさせてしまった原因は自分だ。それによって起こったネグレクトなら、その遠因も自分にある。
 そこを加味したとしても、まだ症状が改善していない妻、娘にネグレクトをしている本人である妻と、娘を一緒にはさせられないと主張したキョウさん。

 しかし、相手の家は資産家とまではいえないがそこそこ裕福で余裕があった。
 妻は入院させて養生に努め、その間はまだ現役世代の両親が娘の面倒を見ると返された。
 事実、二十歳を少し超えた程度の妻の両親はいずれも五十代だ。
 充分な収入を得ている父親に、心身ともに健康で時間に余裕もある専業主婦の母親。家は広く清潔で、必要があればハウスキーパーやベビーシッターも呼べる環境。幼児を育てるのに不足はなかった。
 少なくとも、家を出て天涯孤独となり、バンド優先で定職についていないキョウさんが片親で育てるよりは。

 結局妻も娘も奪われたキョウさん。
 その原因となったのは紛れもなく自分自身。
 何も持っていなかったオレが、最初の状態に戻っただけだと嘯きながらバンド活動を続けていたキョウさんだったが、その後程なくして、天涯孤独が故に大事にしていた『サーバルキャッツ』をも、キョウさんは自ら手放してしまった。

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