8 / 123
序章 ガビと少年
少年と弟
しおりを挟む「お兄ちゃん……どこいくの? まだ着かないの?」
小学生の二歳差は体力に雲泥の差がある。
弟にとってはそこは歩いて行く場所としては遠かった。
自宅からガビの工場行く時は自転車で行っても良かったが、部活動に参加していない俺たちはランニングや筋トレなどの基礎トレーニングでも部活動組に負けたくないと、行き帰りは準備運動と整理運動を兼ねて軽いランニングで行き来するようにしていた。
工場の入り口付近に自転車が停めてあるのを、見咎められてはいけないと思う気持ちもあったかもしれない。
「もうすぐ着くよ。あれ、あの建物」
「なにあれ?」
目を丸くしている弟を見ながら促している俺の顔は、この後の展開を想像して変ににやついていた。
「まあ良いから、ほら、着いたぞ」
「勝手に入っちゃダメじゃない?」弟は不安そうだった。
「良いんだよ、誰もいないから」
恐る恐るといった様子で中に入る弟の警戒感を解こうと、俺はさっそくサッカーボールを取り出した。
「結構広いだろ? あの壁見ろよ? 思いっきりシュート撃てるぞ」
壁に向かって軽くシュートを撃ち、跳ね返ってきたボールをキャッチして、足元に落としバウンドを押さえた。
「すげー」
「その代わり地面はコンクリで硬いから、準備運動はしっかりしとけよ。足首は念入りにな」
「うん」
弟は素直に準備運動を始めていた。
俺と弟のやり取りを見ながら、羽龍は困ったような気青をしていた。
「アキちゃん、まずくない? ガビ来る前にはじめちゃ……」
「大丈夫、もう時間だから準備運動させているうちにすぐ来るよ。ここには誰も来ないってことにしといてさ――」
羽龍が怪訝な顔をしたその時、あの少し高い声が響いた。
「Boa noite! アキ! ウリ!」
扉から入ってきたガビは逆光で、黒く、そして大きく見えた。
「うわー‼︎ 人さらいだ! 逃げろ‼︎」
俺は弟の耳元で叫んだ。焦ったような、危機感を煽るような声で。
「ぎゃー‼︎」
弟はパニックになり顔面蒼白になって叫ぶ。
逃げたいが足がすくんでしまい思い通りにならない身体に更に困惑し泣き叫ぶ。動きも滑稽だ。
「あはははははは!」
笑いながらガビの方を見ると、困ったような顔の陰に寂しさが見えた気がした。
「アキちゃん!」
羽龍は弟を慰めながら、俺をまっすぐ見据えていた。
「こんなの全然どっきりじゃないよ」
羽龍はもう俺を見ていなく、優しい声で弟にガビの説明をしていた。「よく見て、優しい顔しているでしょ? ガビって言ってすごくサッカーがうまいんだ。いろんな技教えてくれる新しいコーチだよ」、と。
ようやく泣き止みガビを見る弟の顔からは、恐怖心は薄れていくようだった。
今は優しいまなざしでこちらを見ているガビを見て、怖い存在じゃないと肌で感じたのだろう。
「ごめん」
弟を怖がらせて、何が楽しいと思ったのだろうか。情けない気持ちになり謝った。
「ガビにも。あんな言葉は使っちゃだめだ」
「ガビ、ごめん。調子に乗りすぎた」
羽龍の言うとおりだ。ガビにも素直に謝った。
カビはもう表情に寂しさの色は見えなかったが、間違いなく傷つけてしまったと思った。
この街は急速に住宅地化していたが、元々は代々続く農業従事者が住民の中心で、地主とその系譜が所有している土地や相続した土地に家を建てていた。
農地の規制が外れたタイミングで土地を手放す地主が現われ始め、マンションが建つようになり、外部からの人も住むようになっていたが、外国人の姿はあまり見かけなかった。
特にこの工場の近辺に住宅はあまりなく、畑や田んぼと、その所有者である地主の家といった構成で、地主は高齢の人物が多かった。
具体的な何らかのうわさを聞いたわけではないが、なんとなくガビが周囲の住人に好意的に受け入れられてはいないのではと思ってはいた。
そう感じていたのに、傷つけることはわかっていたのに、なぜあんなことを言ってしまったのだろうか。
ガビに意地悪したい気持ちがあったのか? あったとしたらなぜ? わからない。
フィクションやドキュメンタリーなどで見聞きした、外国人を鬼などの恐怖の対象や、犯罪者のように扱う、差別的で排他的な旧い感性の日本人を、ダサいと思っていた。
自分がそんなダサい存在と同じことをしていたと気づいた俺は恥ずかしくなり、もう何も気にしていないようににこにこしながら弟と話しているガビをまっすぐ見られなかった。
何事もなかったように普段通りのガビや羽龍、弟と練習しながら、俺は俺の中の幼稚さを早く捨て、自分自身が格好良いと思える人物になろうと決めた。
0
あなたにおすすめの小説
スルドの声(交響) primeira desejo
桜のはなびら
キャラ文芸
小柄な体型に地味な見た目。趣味もない。そんな目立たない少女は、心に少しだけ鬱屈した思いを抱えて生きてきた。
高校生になっても始めたのはバイトだけで、それ以外は変わり映えのない日々。
ある日の出会いが、彼女のそんな生活を一変させた。
出会ったのは、スルド。
サンバのパレードで打楽器隊が使用する打楽器の中でも特に大きな音を轟かせる大太鼓。
姉のこと。
両親のこと。
自分の名前。
生まれた時から自分と共にあったそれらへの想いを、少女はスルドの音に乗せて解き放つ。
※表紙はaiで作成しました。イメージです。実際のスルドはもっと高さのある大太鼓です。
千紫万紅のパシスタ 累なる色編
桜のはなびら
キャラ文芸
文樹瑠衣(あやきるい)は、サンバチーム『ソール・エ・エストレーラ』の立ち上げメンバーのひとりを祖父に持ち、母の茉瑠(マル、サンバネームは「マルガ」)とともに、ダンサーとして幼い頃から活躍していた。
周囲からもてはやされていたこともあり、レベルの高いダンサーとしての自覚と自負と自信を持っていた瑠衣。
しかし成長するに従い、「子どもなのに上手」と言うその付加価値が薄れていくことを自覚し始め、大人になってしまえば単なる歴の長いダンサーのひとりとなってしまいそうな未来予想に焦りを覚えていた。
そこで、名実ともに特別な存在である、各チームに一人しか存在が許されていないトップダンサーの称号、「ハイーニャ・ダ・バテリア」を目指す。
二十歳になるまで残り六年を、ハイーニャになるための六年とし、ロードマップを計画した瑠衣。
いざ、その道を進み始めた瑠衣だったが......。
※表紙はaiで作成しています
スルドの声(反響) segunda rezar
桜のはなびら
キャラ文芸
恵まれた能力と資質をフル活用し、望まれた在り方を、望むように実現してきた彼女。
長子としての在り方を求められれば、理想の姉として振る舞った。
客観的な評価は充分。
しかし彼女自身がまだ満足していなかった。
周囲の望み以上に、妹を守りたいと望む彼女。彼女にとって、理想の姉とはそういう者であった。
理想の姉が守るべき妹が、ある日スルドと出会う。
姉として、見過ごすことなどできようもなかった。
※当作品は単体でも成立するように書いていますが、スルドの声(交響) primeira desejo の裏としての性質を持っています。
各話のタイトルに(LINK:primeira desejo〇〇)とあるものは、スルドの声(交響) primeira desejoの○○話とリンクしています。
表紙はaiで作成しています
スルドの声(嚶鳴) terceira homenagem
桜のはなびら
現代文学
大学生となった誉。
慣れないひとり暮らしは想像以上に大変で。
想像もできなかったこともあったりして。
周囲に助けられながら、どうにか新生活が軌道に乗り始めて。
誉は受験以降休んでいたスルドを再開したいと思った。
スルド。
それはサンバで使用する打楽器のひとつ。
嘗て。
何も。その手には何も無いと思い知った時。
何もかもを諦め。
無為な日々を送っていた誉は、ある日偶然サンバパレードを目にした。
唯一でも随一でなくても。
主役なんかでなくても。
多数の中の一人に過ぎなかったとしても。
それでも、パレードの演者ひとりひとりが欠かせない存在に見えた。
気づけば誉は、サンバ隊の一員としてスルドという大太鼓を演奏していた。
スルドを再開しようと決めた誉は、近隣でスルドを演奏できる場を探していた。そこで、ひとりのスルド奏者の存在を知る。
配信動画の中でスルドを演奏していた彼女は、打楽器隊の中にあっては多数のパーツの中のひとつであるスルド奏者でありながら、脇役や添え物などとは思えない輝きを放っていた。
過去、身を置いていた世界にて、将来を嘱望されるトップランナーでありながら、終ぞ栄光を掴むことのなかった誉。
自分には必要ないと思っていた。
それは。届かないという現実をもう見たくないがための言い訳だったのかもしれない。
誉という名を持ちながら、縁のなかった栄光や栄誉。
もう一度。
今度はこの世界でもう一度。
誉はもう一度、栄光を追求する道に足を踏み入れる決意をする。
果てなく終わりのないスルドの道は、誉に何をもたらすのだろうか。
スルドの声(共鳴) terceira esperança
桜のはなびら
現代文学
日々を楽しく生きる。
望にとって、それはなによりも大切なこと。
大げさな夢も、大それた目標も、無くたって人生の価値が下がるわけではない。
それでも、心の奥に燻る思いには気が付いていた。
向かうべき場所。
到着したい場所。
そこに向かって懸命に突き進んでいる者。
得るべきもの。
手に入れたいもの。
それに向かって必死に手を伸ばしている者。
全部自分の都合じゃん。
全部自分の欲得じゃん。
などと嘯いてはみても、やっぱりそういうひとたちの努力は美しかった。
そういう対象がある者が羨ましかった。
望みを持たない望が、望みを得ていく物語。
スルドの声(嚶鳴2) terceira homenagem
桜のはなびら
現代文学
何かを諦めて。
代わりに得たもの。
色部誉にとってそれは、『サンバ』という音楽で使用する打楽器、『スルド』だった。
大学進学を機に入ったサンバチーム『ソール・エ・エストレーラ』で、入会早々に大きな企画を成功させた誉。
かつて、心血を注ぎ、寝食を忘れて取り組んでいたバレエの世界では、一度たりとも届くことのなかった栄光。
どれだけの人に支えられていても。
コンクールの舞台上ではひとり。
ひとりで戦い、他者を押し退け、限られた席に座る。
そのような世界には適性のなかった誉は、サンバの世界で知ることになる。
誉は多くの人に支えられていることを。
多くの人が、誉のやろうとしている企画を助けに来てくれた。
成功を収めた企画の発起人という栄誉を手に入れた誉。
誉の周りには、新たに人が集まってくる。
それは、誉の世界を広げるはずだ。
広がる世界が、良いか悪いかはともかくとして。
スルドの声(共鳴2) terceira esperança
桜のはなびら
現代文学
何も持っていなかった。
夢も、目標も、目的も、志も。
柳沢望はそれで良いと思っていた。
人生は楽しむもの。
それは、何も持っていなくても、充分に得られるものだと思っていたし、事実楽しく生きてこられていた。
でも、熱中するものに出会ってしまった。
サンバで使う打楽器。
スルド。
重く低い音を打ち鳴らすその楽器が、望の日々に新たな彩りを与えた。
望は、かつて無かった、今は手元にある、やりたいことと、なんとなく見つけたなりたい自分。
それは、望みが持った初めての夢。
まだまだ小さな夢だけど、望はスルドと一緒に、その夢に向かってゆっくり歩き始めた。
あやかし警察おとり捜査課
紫音みけ🐾書籍発売中
キャラ文芸
※第7回キャラ文芸大賞にて奨励賞を受賞しました。応援してくださった皆様、ありがとうございました。
【あらすじ】
二十三歳にして童顔・低身長で小中学生に見間違われる青年・栗丘みつきは、出世の見込みのない落ちこぼれ警察官。
しかしその小さな身に秘められた身体能力と、この世ならざるもの(=あやかし)を認知する霊視能力を買われた彼は、あやかし退治を主とする部署・特例災害対策室に任命され、あやかしを誘き寄せるための囮捜査に挑む。
反りが合わない年下エリートの相棒と、狐面を被った怪しい上司と共に繰り広げる退魔ファンタジー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる